043.湾岸にて
配慮されての事なんだろう。
私の部屋は、ベリウム湾に面していた。
距離があるから建造物群が見えるぐらいのものだ。でも、それでも嬉しい。
戦艦が湾に到達するのは、明日の夜だとエステルハージ公は言った。
「セラ」
「なぁに?」
「イリダの人達は、魔素の影響を受けないのかしら?」
「ん?」
「魔素は彼等にとって毒なんでしょう? どうにかする術を手に入れているのかしら?」
もし、そうでないなら、引き返すか、攻め込むのを早めるのではないのか?
それも含めての明日の夜?
「早まる可能性を言ってるんでしょうけど、大丈夫よ、既に臨戦態勢に入ってると聞いてるわ」
臨戦態勢。
攻撃出来ないようにして、魔素の届く範囲で放置して、魔素にやられてサヨウナラ!とか、出来たら良いのに。
「お茶を入れたわ」
「ありがとう、セラ」
お義父様の手紙は、完全に命を落とす事を想定していた。
いつだって不可能は無いと言わんばかりだったのに。
ルシアンもそうだけど、お義父様も嘘を吐かない。今回のは嘘とは違うけど、確信の無い事も口にしない人があんな手紙を書いてきたのだ。
ルシアンを絶対に守ると書いてあった。
祖母も、ルシアンを守る為に祖父を要塞に送ったと言っていた。
また泣きそうになる。
何でこんなに直ぐ、涙が出て来るんだろう。情緒が不安定過ぎる。本当に嫌になってくる。
前は我慢出来ていた事が我慢出来なくなってると感じる。
ルシアンにだって、あんな事を言うべきではなかった。……でも無理だった。
二度と会えなくなるかも知れない、そう思ったら耐えられなかった。
ルシアン。
あれだけ抱き締められて、キスをされて、愛してると言われ続けたのに、足りないと、今すぐ会いに来て欲しいと思ってしまう。
なんて我儘で、貪欲なんだろう。
恋は人を愚かにすると言うけど、あれは的を射ている。
私も、ルシアンを守る力があったなら良いのに。
そうしたら迷わずに、力を振るうのに。
眠れない私は窓から要塞を眺めていた。明かりはずっと灯されていた。臨戦態勢に入っているとセラは言った。
あの明かりの何処に、ルシアンはいるんだろうか。きっと同じ場所に祖父も、お義父様もいるんだろうと思う。
まともに寝る事も許されない状態に入るんだろう。
ちゃんと食事は用意されるんだろうか。
……こうして、見守る事しか出来ない。
ドアをノックする音がして、返事をする。セラだった。もしかして寝ないでいた事がバレた? 怒られる?
セラが言った。
「湾内に、イリダの艦隊が入ったわ」
目眩がした。
俄かに私のいる要塞も騒がしくなった。
祈りを捧げる場所は要塞の屋上との事だった。粗方準備が済んでいたから、後は祈るのみなのだと。それは良いのか悪いのか。
私達は屋上に集められた。
春になったとは言え、まだ夜は寒い。防寒具を着込んでいるとは言え、風が吹くと冬の名残を感じる。
誰もが無言で、要塞のあるベリウム湾を見ていた。
この距離でも分かる程の、巨大な戦艦が湾内に入って来ていた。
エステルハージ公は誘導の為に擬似要塞が戦艦に攻撃を仕掛けると言っていた。その言葉の通りに、攻撃を仕掛ける擬似要塞。吸い寄せられるように、戦艦は向きを変え、擬似要塞に近付き、反撃していく。
戦艦の攻撃を受けて、擬似要塞が燃えた。爆発したかのように激しく。戦艦が湾の奥に進む為に進路を変えようとした時、巨体が傾いた。
「……?」
戦艦が傾く? 湾内は波が無いって言ってたのに? 海と繋がってるんだから、無いって言ったっていくらかはあるだろうけど、あんな風に戦艦のような大きさと重さを持つ物を傾けさせる力を持つ筈も無い。
それなのに、戦艦は一度、大きく左右に揺れ、ゆっくりと、でも確実に湾に沈んでいった。
「何が、起きてるの……?」
思わず口にしてしまった私の疑問に答えたのは、ゼファス様だった。
「魚雷」
ギョライ──魚雷?
「ミチルがリオンに教えたんでしょ? 流石にミチルが言った通りの性能は、今のマグダレナには作れなかったからね、いかに戦艦を引き付けて、確実に戦艦に雷撃を加えられるかが課題だった」
擬似要塞を囮にして引き付け、直線上にしか進めない魚雷が確実に当てられる距離に戦艦が近寄った時、魚雷を掃射する。魚雷は戦艦に穴を開け、そこから浸水し、いずれは沈む。
現代の魚雷は水中からも掃射したり、相手の船を追跡して攻撃出来る、と言うのを何処ぞの戦争漫画で読んだのをそのまま伝えたんだけど、今のマグダレナで実現するとこうなるのか。って言うか、実現させられたのが凄いと思う。
「戦艦を沈めていく場所も大事らしいよ」
「沈める場所?」
鸚鵡返しのように聞き返すと、ゼファス様はベリウム湾を指差した。
「あの場所に戦艦が沈むと言う事は、その横にある要塞には近付けない。砲撃で攻撃するだろうけど、海上戦で確認した、イリダの船上に配備された艦砲の飛距離からしてギリギリ届く距離だ。それ以上離せばこちらの攻撃も当たらない。無駄に砲弾を撃ち、当たらないと諦めて別の場所に移動しようとしても、その時には誘引された別の戦艦に進路を邪魔されるか、進んで同じように擬似要塞に騙されるか」
擬似要塞に近付き魚雷に沈められるというこちらの手法は、戦艦同士が連絡を取り合ったらバレてしまうのでは?
……あぁ、そっか。仲が悪過ぎるから、絶対に教えないんだ。
「そのやり方で沈められるのは良くて四艦。悪くて二艦。上手くいかなければこちらの船を定位置に移動させて沈める。可能な範囲でね。
相手の航路を限定させる事で選択できる行動を限定して確実に落とす。こちらの被害もただでは済まないけどね、背に腹は変えられない」
被害は出ても、着実に戦艦を仕留めていけるように聞こえるのは気の所為だろうか?
「戦艦の艦砲は最新では無いものが搭載されている予定だ。最新を載せると嘯いたらしいよ。上手くいったかは不明だけどね」
ゼファス様の話を聞いている間にも戦艦が湾内に入り、攻撃を受け、そちらに向かって行く。間を置かずに次の戦艦が入って来る。
「これなら、三隻は確実に落とせそうだね」
「大丈夫でしょうか……」
「自分の夫が信じられないの?」
その言葉に言葉が詰まる。
……私が一番、ルシアンを信じなくちゃ駄目だよね。
分かってる。こんな時、ヒロインが言うあの能天気にも思える、私は貴方を信じてるから! って言葉、私も言うべきだ。
「……そうであって欲しいと思っています」
私の返事に、ゼファス様は文句を言うかと思ったけど、言わなかった。
流石にあれだけ巨大な戦艦を何隻も見て、その攻撃の威力も見て、更に擬似とは言え要塞が燃え盛る様を、離れてるとは言え自分の目で見ているのだから、そんな簡単には言えない。むしろ何をもって大丈夫と言えるのか教えて欲しい。いくら今が順調だとしても、こちらの手の内がバレたら終わりじゃない?
それに……
「心配になる事を、誰かから聞かされたの?」
「……お義父様から、手紙をいただきました……死を覚悟なさっておいででした」
「他には何て書いてあったの?」
「ルシアンの事は必ず守ると、全てが終わってからの事を頼まれました」
そっか、とゼファス様は呟くように言った。
お義父様からの手紙には、ゼファスを救ってくれてありがとう、と書いてあった。
救ったとかは良く分からないけど、ゼファス様の辛さが減ったなら良い事だ。それに自分が関われたのなら、更に自分的には良かったと思う。
この内面天邪鬼、外面天使なゼファス様の事が私は好きだからだ。何て言うか、理屈じゃないよね。人を気に入るのって。言語化すれば面白い人だからとか、安心するとか、言えるんだろうけど。
「そなたの事は、私が守る」
「え、プロポーズですか?」
「!!」
言った直後、ゼファス様におでこをチョップされた。しかもかなりの強打。
「何言ってんの、馬鹿なの?」
「だって、今の言葉、プロポーズによく使われる台詞ではありませんか……」
痛むおでこを撫でる。
うぅ、脊髄反射でツッコんでしまったばっかりに……。
ガチで痛い。
「ルシアンに殺されるから止めてよ」
ソウッスネ。
「父として、守ると言ってるんだよ。当然でしょ」
ふん、と顔を背ける。
胸がじわりと温かくなる。
「私、皆様に守られてばかりで、そのお返しが出来そうにありませんわ」
いや、本当にね。
今でこそマグダレナの人間ですけどね、受けた恩をちゃんと返したい日本人の記憶を持つ者としては、恩の受けっぱなし状態は大変心苦しいのです。
「いつか返してもらうから気にしなくて良いよ」
「はい」
連れ立つようにして湾内に滑り込んでいた戦艦二隻が、湾に沈んでいく。暗闇の中、緋色の炎を上げながら。その明るさに、そこだけ朝になったみたいだった。
「あと、四隻」
誰かの呟きが聞こえた。
「あともう一隻ぐらい沈めておきたかったが、こちらの手が知られたようだな」
バフェット公が言った。
その言葉の通り、沈んだ三隻のように擬似要塞から攻撃を受けても相手にせず、戦艦が二隻、足並みを揃えるようにして湾内を追走し、擬似要塞に攻撃を返しつつ、湾の中央に進んで行った。
ちょうど湾の真ん中に戦艦の片方が達した時、先を行っていた戦艦が起き上がるようにして爆発した。爆発は一度ではなく、何度も起きた。斜め後ろを進んでいた戦艦にその巨体がのしかかりそうになり、それを避けようとしたその戦艦も、下から押し上げるようにして爆発した。
爆発したと言っても、それだけで戦艦は壊れはしない。ただ、損傷し、浸水が始まったようだ。沼に嵌るように戦艦が二隻、沈んでいく。
「あれは何だ……」
クーデンホーフ公の独り言のような問いに、シミオン様が答えた。
「機雷と言うらしい。地中に埋める罠のような物を、水中にも設置したとアルト公が言っていた」
機雷。
そんなものまで用意したのか。
現代のように自動走行する機雷なんて作れないし、むやみやたらに浮かばせられないだろうし、そこそこの重りを付けて設置したんだろうか?
「指揮を取ってるのは、アルト公かね?」
「いや」
クレッシェン公の問いにシミオン様が首を横に振った。
「ミチル殿下の夫君であるルシアン・アルト伯だ」
「ふむ」とシドニア公が呟く。
「なかなかにやる」
「流石天才と謳われるリオン・アルト公の嫡子と言うべきかな」
エヴァンズ公の言葉に、バフェット公が言う。
「まだあと二隻ある。喜ぶのは早かろう」
私も頷く。
最後の二隻が、湾外から追い立てられるようにして湾に入って来た。
こちらが意図的に沈めた船、沈められた戦艦を避けるようにして、戦艦は二手に分かれるようにして、湾に面する要塞、擬似要塞関係なく攻撃していく。
攻撃を受けて擬似要塞はあっけなく燃え上がった。
二隻の戦艦が、湾の最奥にある要塞に攻撃を仕掛けた。二隻からの同時攻撃を受け、要塞から火の手が上がる。
要塞からの反撃を受けて戦艦の船上も燃えているのがここからでも見える。もう片方の戦艦も同様で、砲塔が爆竹でも受けてるみたいにバチバチと爆ぜている。
それでも、戦艦の方が有利なようで、いくつもある砲塔が火を吹くように要塞に攻撃を仕掛けていく。
そして、離れていても分かる程の激しさで、要塞が爆発した。一瞬にしてあたり一面が火の海になる。
「!!」
どう考えても、最奥の要塞に要人が集まっていた筈だ。
その要塞が爆発した。
「ルシアン!」
火薬庫にでも引火したかのように、低音と振動が大地を伝って私達の元まで届く。
それから、最も大きな音をさせて、爆発が起きた。その爆風はこちらにも届き、要塞が激しく揺れた。
「…………っ!」
衝撃に堪えきれない私を、アウローラとオリヴィエが支える。
地震とは違い、揺れは直ぐに収まった。私は要塞がどうなったかを確認したかった。
そこには、何もなかった。
対峙していた筈の戦艦二隻は完全に横倒しになり、湾に沈んでいこうとしていた。
「今の……爆発で……」
その後の言葉は言えなかった。言うのが怖かった。言ったら確定してしまうような気がした。
誰もが何と言っていいのか分からない、そんな顔をしていた。
「みんな、無事だよ」
軽い調子で、ゼファス様が言った。
……は?
「一番奥の要塞が重要と思い込んで進軍してくるだろうから、別の場所を本拠地にするってリオンは言ってたよ」
がくっとする。
あぁ、そうですよね。
そうでしたそうでした、あんな手紙送ってくるから、色々失念してましたけど、お義父様はそんな人ではなかった!
なんだろう、このまんまと騙された感!
「リオン達がいるのは、湾の入り口の要塞だよ」
そう言って指差す。
「あの場所が全方位への展望が効き、各要塞に伝達が送りやすい」
急に力が抜けて、へなへなと座り込んでしまった私は、何か言い返そうとゼファス様を見上げた。
その表情は、暗かった。
──何故?
「ゼファ」
話しかけようとした時、爆発音が湾の方から聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます