革命前夜<源之丞視点>

言綏の予定通りにマグダレナ侵攻は春まで延期された。


最終的にオメテオトル──ショロトル殿とチャルチウィトリクエという女人以外の王族はこの侵略戦争に加わる事になった。


馬鹿馬鹿しい程に金をかけて催された開戦式は、士気を高める目的であったのだろうが、民は冷淡に見ていた。国民は戦争そのものに関心はなかった。

マグダレナから魔石が入れば生活が豊かになる、王室は再三に渡りその点を強調したが、国民はこれまでの生活に不満を抱いていなかった。欲を出したのは王侯貴族のみ。

その所為で増税され、自分達の生活が逼迫していく。面白い筈も無い。

だが、民も無意識に驕っていた。己の国の文明はマグダレナより進んでいると言う自負があった。この馬鹿げた戦争も、イリダの圧倒的武力で速やかに終わる。直ぐに元通りの生活に戻るだろうと考える者が大半だった。


それでは困りますな、と言綏は苦笑いを浮かべていた。

どうするのかと問えば、煽るので御座りますよ、と簡単に言って、好物のアラレを口にする。


「猜疑心を人に植えるのがお得意なようですが、自分達以外も同じようにするとは考えなんだ辺り、平和が続き過ぎて惚けておられるのでありましょうな」


平和が続いて、と言うのは燕国とて言えるような気もするが、この男の頭の中は違うらしい……。


「春になったとは言え、乾燥しておりますからな、よぅよぅ燃えましょう」


物理的な話ではない。あちこちで燃え上がるように準備をしてきたから、民は怒るだろうと言っているのだ。

味方で良かったとは思うものの、味方でありながら、空恐ろしい男である。言綏が何を思って私を主人と認めているのか、露程も分からぬが……。


十五隻にもなる戦艦が、隊を成してエテメンアンキを発して直ぐに、問題が起きた。

食糧問題である。かなりの量を戦艦に載せていったようで、出回る食料品の値段が上がった。

悪質な上級国民が、食料を買い占め、更に値段を釣り上げた。その事をショロトル殿が王に苦言を申した所、ショロトル殿は自身の宮殿に軟禁された。

そんな噂がまことしやかに流れ始めた。


王室での出来事がこれ程はっきりと流れてくるなどおかしいと言うのに、そういった不具合には皆目を瞑るのか、あっという間に噂は広がっていった。

それに便乗するようにイリダ教がトラロック王の横暴さを下級国民の前で叩いた。普通なら王も斯様な状況を許しはしない筈であるが、イリダ教の後ろに皇后が付いていた所為で手出し出来なかった。

だからこそショロトル殿が軟禁されている、と言う噂まで真実であるように思われているのだ。

事実はそうではなく、自由にされているとアスラン王を経由してホルヘ殿から聞いているが、噂に便乗して閉じこもるつもりだとも聞いた。

どうしてどうして、皆、したたかである事だ。

とても、真似出来ぬ。


アドリアナ殿は大分腹が膨らみ、動き辛いようではあるものの、健やかにお過ごしだ。

燕国の梅アラレが悪阻つわりの時期に重宝したようで、今でも好んで食べている。


物価の上昇は止まらず、民の王に対する不満は募っていく。

王を諫めようとしたショロトル殿が軟禁された事も、民の怒りを買った。

イリダ教は繰り返し繰り返し説いた。

何故下級国民の我らは、偉大なる神を別の名で呼ばねばならぬのか、と。だからこそ我らの祈りが届かぬのではないか、と。

そんな筈もあるまい、と思うが、繰り返し言われる内に、人間とは信じていってしまうようで、少しずつ信じ始める者も出て来る。無論、そうなるようにホルヘ殿のお仲間が扇動しているのであるが。

なるほど、こうやって人の心とは煽っていけるものなのだと、恐ろしく思いながら私は見ていた。




マグダレナのディンブーラ皇国、雷帝国、燕国、ト国の連合軍とイリダ軍が接触した、という知らせは直ぐに国内に広まった。

十五隻の内、三隻が海の藻屑と消えたと言う。

それまでイリダが圧倒的有利と思われていたのに、最新であるとされた戦艦が三隻も撃沈したと言う知らせは、国民を不安にさせるのに十分過ぎる程だった。


"もし、マグダレナにイリダが負けたらどうなるのか?"

"戦争が長引けば更に増税されるのではないか?"

"イリダが負ける事があれば、オーリー達が反旗を翻すのではないか?"


これらは全て、ホルヘ殿達が革命に向けて流したものではあるが、白い紙に墨汁を垂らしたかのように、瞬く間に民衆の関心は噂で塗り潰されていった。


ここに来てトラロック王は更に悪手に出る。

王からすれば、下級国民におもねったのであろう。だが、思い違いも甚だしかった。


開戦してから、イリダ教は勢力を付けつつあった。皇后の後ろ盾だけでどうにかなるものではない。

イリダ教は去年の秋頃から美しい乙女を用意していたのだ。清楚で可憐な年若い乙女が、神イリダへの信仰を捨ててはなりません、と説きながら民に食料を配っていた。

その時は民もイリダ教のあざとさに鼻を摘んでいたものを、状況が悪くなっていく中で見る目が変わっていった。為している事は変わらぬし、見ている者も同じであるのに。景色は見る者の心次第で斯様かようにも変わるのか。


その乙女を、王は召し上げた。己の愛妾として。

王からすれば、イリダ教と手を組み、下級国民から支持を受けている乙女を自身の物にすれば、自分の人気が上がると考えた。何故そうなるのか私には分からぬ。

言綏は愚物によく見られる思考回路に御座ります、と笑った。


結果として民の鬱憤は増した。

王はそれまで溺愛していたチャルチウィトリクエ殿には目もれず、乙女にのめり込んでいく。


焦ったチャルチウィトリクエ殿は、あろう事か戦艦に乗ってマグダレナ侵攻に参戦したのだ。

その為に追加の増税がなされ、食料を更に搾り取られ、日々のエネルギーを賄っていた魔石も大量に奪われた。

チャルチウィトリクエ殿は焦りのあまり、残る民の事を考えずに根刮ぎ奪った。


王家に対する不満が、これまでの比ではない程に膨れ上がっていった。

マグダレナ侵攻が失敗するのではないか、戦争が長期化するのではないかという懸念に拍車をかけた。

そもそもこの戦争は必要だったのか、戦争後、関係悪化により魔石が手に入らなくなるのではないか──。

あと一つでも切っ掛けになる何かがあらば、暴動が起きるのではと危惧する程に、空気が張り詰め始めた。


全て言綏達の予定通りなのだろうと思っていたが、チャルチウィトリクエ殿の事で俄かに慌て出した。


「計算外に御座ります」


何時いつになく真剣な様子で言綏は言った。


「チャルチウィトリクエ殿が乗った戦艦は、試作用としてイリダの技術の粋を集めたものに御座ります。あれがマグダレナを襲えば、マグダレナはひとたまりもありませぬ」


試作艦であるそれは、試作艦であるが故にエネルギー効率を考えておらず、使用に耐えぬとして、今回の侵攻から敢えて外されていたものであり、事実、動かすにしても大量のエネルギーを必要とした。


「……どうするのだ?」


「どうもこうもありませぬ。直ぐにでも民を蜂起させ、イリダを滅ぼしまする。その上で新たな戦艦でマグダレナに向かい、チャルチウィトリクエを止めねばなりませぬ」


苦虫を潰すような言綏の顔を、初めて見た。


ホルヘ殿も顔色が優れなかった。毒の研究に忙殺されていたのもあるのかも知れぬが。

ここに来て私は、アスラン王と対面を果たす事になった。


「余はアスラン。初めてお目にかかる、燕国の次期公方よ」


属国に成り下がっているとは言え、かの方は王。

私はただの後継者候補の筆頭であるだけである。

丁重に礼をする。


「お初にお目にかかる。燕国公方が嫡子、日生ひなせ源之丞と申す」


アスラン王の顔色も悪い。


これまでの準備が、チャルチウィトリクエ殿により駄目になる様相を呈している。

マグダレナと良好な関係を築きたいと、アスラン王もホルヘ殿も思っているのだ。

その旨を言綏は文にもしたためてマグダレナに送っていた。それがチャルチウィトリクエ殿によってご破算になろうとしている。

ただでさえマグダレナ大陸に勝手に上陸し、民を殺めるなどして魔石を奪っていたのだ。


「王宮の倉庫に、大量の食料が備蓄されていると言う噂を流しておいた」


そう言ったのはホルヘ殿だ。

民が食料不足で喘いでいるのに、贅沢な暮らしを止めぬ王に対して蜂起する──。


「だがそれでは一足飛びであろう」


アスラン王の案はこうだ。民には食料は施さぬのに、王族が飼っていた猛獣には餌として食料をやり、余らせて捨てる。

それと間を置かずして、王に近い者の名で更に食料を買い占める。

そうすれば──


「大変だ!」


扉が突然開き、ホルヘ殿のお仲間が駆け込んで来た。


「食料品を扱っている店が、次々と燃えてる!」


「急げ!」


ホルヘ殿もアスラン王も、立場を忘れて消火活動に参加した。私も参加した。

誰も彼もが隣にいる人間が何者かなんて考えず、水であったり砂であったり、とにかく火を消すものを運び込んだ。


必死になって火を消したものの、食料の大半が炭と化した。その事実に、その場にいた殆どの者が呆然としていた。


誰かが呟いた。


「明日から、どうやって食べて行けばいいんだ……食料品店の殆どが倉庫ごと燃えてしまった……」


その言葉に、アスラン王が立ち上がった。


「掛け合って来よう」


そこで漸く、この男は誰なのだと皆は思い始めたのだろうと思う。


「頼む、アスラン王。このままでは、皆、飢え死にしてしまう」


ホルヘ殿が名を呼んだのは、わざとであったのだろう。

王と呼ばれた事に、周囲がぎょっとする。

アスラン王は頷くと共を連れて王宮に戻って行った。


当然のようにホルヘ殿は囲まれてどう言う事だと問い詰められる。


「研究の為にアスラン王と面会していた際に、この火災が起きて、消火活動に参加してくれたのだ」


自分達が虐げてきた民の王である。災害を目の前にしても助けないと言う選択肢もアスラン王にはあった筈である。

だが、イリダの民の為に、顔や身体を火の粉や煤に塗れながら、王自ら消火活動に参加した。

己達の王と、否が応でも比較してしまうであろう。


その日の夜だった。

イリダの民は一斉蜂起した。

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