040.開戦
「季節がズレたけど、遂に始まるわよ」
セラの言葉に血の気が引く。顔を上げてセラを見ると、難しそうな顔で私を見ていた。
「……知らせが、来たのですか?」
当初の予定は冬になる前だろうと言われていた。それが春になったのは、多岐様や源之丞様がエテメンアンキでのマグダレナ侵攻の準備が完了するのを先延ばしするよう行動したからだと聞いた。
イリダとオーリーの苦しめられていた人達が手を組んで、王侯貴族やらなんやらをやっつけるのに春を待つ必要があったらしい。革命軍(レジスタンス)って奴ですね、分かります!
漠然と春、と言われてもじゃあ
「知らせが届いたの。艦隊がエテメンアンキを発する準備が完了したって」
艦隊──…胃のあたりが急に重くなる。
さすがに一隻で攻め込んで来るとは思わないけど、艦隊と言う事は、何隻もの戦艦がこの大陸に向かって来ると言う訳で。ルシアンは最低でも七隻は来るだろうって言ってた。最低でも、だ。だからもっと来る事だって考えられる。
「……海上で艦隊の戦力を削ぐと、伺ってますけれど」
セラは頷いた。
「マグダレナの領海内に入ったら、ディンブーラ皇国、雷帝国、燕国、ト国の船が艦隊の進行を止めるわ」
どういうつもりで艦隊組んでマグダレナに向かってるのかを確認するんだって言ってた。
捨て石だとも。
ため息が出る。
「……本当に……始まるのですね……」
怖い。
怖いよ。
ギウスとの戦争の時だって怖かった。
でもあの時よりも怖い。
酷い事を言うけど、イリダ側だけ全滅して欲しい。
私たちを巻き込まないで欲しい。
正気じゃないから、戦争なんて始められるんだ。
怪我じゃ済まないとか普通なんだよ。死ぬ事だってあるんだよ?
自分が傷付かないから平気って事?
無茶苦茶だ。無茶苦茶だよ。
「……ルシアン様を呼んでくるわ」
セラはそう言って部屋を出て行った。直ぐにルシアンがやって来た。
「ミチル、泣かないで」
言われて自分が泣いてる事に気が付いた。だからルシアンを呼んでくれたの?
「ごめん、なさい……忙しいのに……私……」
ルシアンは首を横に振ると私を抱きしめてくれた。温かさに少しずつ身体の強張りが解けていく。
「怖いです、ルシアン……」
頷いて私の髪を撫でてくれる。
私よりも、実際に戦争に出る人達の方が怖い思いをすると言うのに。
守られている立場の私が怖がるなんて、申し訳ない。
そう思うのに、怖い。
「ミチル……」
嫌だ。
怖い。
ルシアンの服にしがみ付き、額を擦り付ける。
何処にも行かないで欲しい。
無理だって分かってる。
言わないよ。言わないけど、離れたくない。
海上でイリダの艦隊とマグダレナ連合軍が接触したと言う知らせが入って来たのは、それから間もなくの事だった。
予想通りではあったものの、マグダレナ側の問いに対してイリダ側はまともな回答もせず、大砲で攻撃をして来たと言う。
そもそも捨て石になる覚悟を決めていたマグダレナ側は、イリダ側の艦隊の攻撃にも怯む事なく応戦し、艦隊の内三隻を巻き添えにする形で撃沈したと言う。
仲間が乗った船が沈んでいっても、助ける事すらしなかったと言う。
それなのに、イリダは進軍を止めず、こちらに向かっているのだとセラが言った。
「邪魔者が消えたぐらいにしか思ってないんでしょ」
邪魔者──。
王位を争っているから?
そこまでして、マグダレナに来るの?
どうして自分は平気だって思えるの?
「あと三日程で、要塞から望遠で確認出来る領域に入るそうよ」
スカートを握り締める。
咽喉が一瞬にして渇く。
「……湾岸の要塞には、どなたが向かうのですか?」
「帝国皇帝、ギウス族長、リオン様、ルシアン様ね」
「それしか行かないのですか? 各国の王達は?」
「戦艦が一点に集中しない事を想定して、湾岸線に兵を配備しているわ。必要に応じて要塞も作っている国もあるわよ」
あぁ、そうか、そうだよね。
海から来るんだもんね。入り口を絞り込もうとしても、完全には防げない。そう言う事なんだろう。
「実際、海上戦では三隻しか止められていないし、何隻か別の海岸線に向かっているらしいわ」
気持ちがザワザワする。上手く言えない。頭の中の考えがまとまらない。
「……明日にはミチルちゃんも、公家の当主達も、別途用意した要塞に入ってもらうわ」
それは、私と分かれてルシアンが要塞に向かう事を意味する。
「何があるか分からないから、気休めは言わないわ。
ルシアン様と、後悔のないように過ごして頂戴」
そこまで言うとセラは立ち上がった。エマとクロエがお辞儀をして私の前に立つと、湯浴みを、と言った。
二人の笑顔は、いつもより優しかった。
いつもよりも念入りに洗われて、香油を塗り込まれていく。普段なら恥ずかしくて堪らなくて早く終わってくれと思うけど、今は違う理由で早く終わって欲しいと思う。
早く、早くルシアンに会いたい。
「ルシアン様はお先にお待ちです」
浴室から部屋に向かう歩みが、自然と早歩きになる。
至星宮を大きいとは思っていたけど、こんなに遠く感じた事はなかった。
ドアを開けて、寝室に繋がるドアを開けると、ルシアンはベッドに腰掛けて本を読んでいた。
私が入って来たのに気付いて顔を上げると、笑顔になる。
胸が締め付けられて、泣きそうになる。
はしたないって分かってるけど、我慢出来なくて、ルシアンに駆け寄った。ちょっと驚いていたけど、立ち上がって両腕を広げて迎えてくれる。
「ルシアン!」
腕の中に飛び込むと、ルシアンはきつく私を抱き締めた。
「ルシアン、ルシアン……!」
「ミチル」
顔を上げて強引にキスをする。
唇が離れてはまた、どちらともなく重ねた。
「嫌です、嫌……っ!」
何処にも行かないで!
言っちゃいけないって分かってる。
分かってるけど、無理だ。
聞き分けの良いフリなんて出来ない。
「何処にもい」
行かないで、と言う私の言葉はキスで封じられた。
「泣かないで、ミチル」
「……無理、です……っ」
涙が止まらない。
「ミチル、今日は私の我儘を許して下さい」
「ルシアンの……我儘……?」
えぇ、と言ってルシアンは私の頰を撫でると、まぶたにキスをして涙を唇で吸い取っていく。
あちこちにルシアンのキスが降って来る。
「しばらく会えなくなるから、私の徴を貴女の身体中に付けたい」
「……それ、なら……私も、付けたい、です」
泣いてしまって、しゃくり上げながら言うと、ルシアンは微笑んだ。
「付けて。私の身体にミチルの徴を」
抱き上げられて、ベッドに横にされる。
明かりを消そうとしたら、手を掴まれて止められた。
「駄目。ミチルを目に焼き付けたいから」
恥ずかしいと思ったけど、私もルシアンを見たかった。
「香油、良い香りですね」
私の首にキスをしながらルシアンが言った。
「ルシアンも、良い香りです」
学生の時にルシアンの為に作った香水を、ずっと使ってくれている。甘さとスパイシーさの混じった香りだ。
「カーライルに戻ったら、一緒に香水を作りに行きたいです」
「良いですね。私もミチルに作りたい」
「楽しみです」
言いながら、怖くなる。
本当にそんな日は来るのかって、誰かが聞いてくる。
その声に耳を傾けたくなくて、ルシアンの頭を抱き締める。まだ少し濡れてる髪を、唇で噛み、指を通して梳く。
「また、カフェに行きたいです」
ルシアンの唇が肩に触れたかと思うと、あちこちに触れていく。
「今年はバレンタインのチョコレートをいただいてませんから、是非」
あ! そうだった!
すっかり忘れてた!!
しまった、と言う顔をしてる私を見て、ルシアンは笑う。
「倍でお願いします」
「そうしますわ。期待なさって」
お互いにキスをし、全てが終わってからしたい事の約束をいくつもいくつもした。
そうしないと、不安が直ぐに迫って来て、おかしくなりそうだった。
「好きです、ルシアン、大好き」
私の言葉にふ、とルシアンは笑みを浮かべる。
「ミチルは、愛してるとはなかなか言ってくれない。私が愛してると言っても、私も、と言うばかりで」
うぐぐ……大変申し訳ない。
つい、言いやすい所為なのか、好きって言っちゃう。
身体を起こしたルシアンが、深いキスをしてきて。おしゃべりは終わりだと知らされる。
いつもなら優しく愛してくれるルシアンは、その日、激しく私を愛した。
気持ちが通じ合った日を思い出した。私の言う好きが、愛してるの意味を持っていた事を知ったルシアンは、遠慮がなかった。
身体中にルシアンの徴が刻み込まれて、身体に力が入らなくなっていく。
私の身体なのに、私のものじゃないみたい。
でも、嫌いじゃない。
どんどん、私が溶けて、ルシアンのものになっていくこの感覚を、きっと愛されてるって言うんだと思う。
えっちな行為は、所詮情欲なのだと思っていたのに。
ルシアンの想いが私の中に注ぎ込まれていくのを感じる。
涙が出る。
愛されている事に、溺れてしまう。
でも今は溺れたい。
心に直接響いてくる。
──愛してます、ミチル。
何度も囁かれていく言葉に、脳の奥が痺れていく。
愛して欲しい。
もっと、愛して欲しい。
不安を全て消して、絶対に大丈夫だと言って欲しい。
でも、ルシアンは言わなかった。
代わりに言われたのは、強い執着の言葉。
何があっても、貴女は私のものだ。
そう。
そうよ。
私はルシアンのもの。
私の身体も、心も、魂も。
全部、ルシアンのもの──。
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