破壊と創造<ゼファス視点>
「リオン」
「何だい?」
私の呼びかけに、リオンは顔も上げない。手元の本を読んでいる。
「奴らが攻めて来ると分かっているのに、何故こちらから攻めない? 武力が向こうの方が上だからか?」
そこで漸くリオンは顔を上げた。
「ゼファスがそんなにも好戦的だとは思わなかったよ」
「そうではない。そなたは日頃から自国を戦地にしてはならぬと言っていたではないか。それなのにイリダに対しては待っている。その理由が知りたい」
いつ来るとも知れない敵を待つのは、思った以上に精神を磨耗させるものなのだと知った。
不意を突けば簡単に終わらせられるのでは無いかと。
何よりここに奴らが攻めてきて、ミチルに危害を加えられる事が嫌なのだ。
あの娘はしっかり者のようでいて抜けている所もある。うっかり敵に捕まる気がしてならない。
「燕国の二人からの報告を待っているのか?」
リオンはまさか、と言って笑った。
ベネフィスが音も無くリオンの横に立ち、紅茶を注ぐ。
「期待はしているけれどね。未知数が多過ぎるだろう?
当てにはしないよ。それよりも既知数の方が重要だ」
「捨て駒と言う事か?」
「そうではないよ。多岐家四男は聞いていた通りに大変優秀だ。彼は主人が同行した事で確実に良い結果を出すだろう。それについては確信しているよ」
主人が同行する事でそちらにばかり気が行ってしまって、と言うのは良く聞く話だが、アレは違うのか。
「次期公方もなかなかに面白い人物だからね、楽しい事になりそうだと思っている」
「ならば、何故?」
リオンは本を閉じると、ベネフィスが差し出した地図をテーブルに広げた。
それは、マグダレナ以外の、イリダとオーリーの大陸が記された地図だ。海にやたらと矢印が記されている。
「まさかこれは、海流図か?」
「さすがゼファス。理解が早くて助かるよ」
マグダレナ、ト国、燕国周辺の海流を記した地図なら見た事はあるが、目の前の地図にはそれ以上の海流が記されている。ト国と燕国から入手したか?
「各国ともバラバラの海流図しか持ち合わせていなかったからね。その全てをまとめるようにステュアートに命じて作らせた」
ステュアート?
初めて聞く名だ。
「ルシアンに心酔している皇国出身の青年だ。大変優秀であるのに人格的に不器用な人物でね、不遇な境遇だったのをルシアンが見出したのだよ。今はカーライルにいる」
「皇国は人材不足なんだから優秀な人間を連れて行くな」
いくらルシアンが皇都にいる間に色々片付けたとは言え、皇国内はまだ盤石とは言えない。
近頃はイルレアナ様が皇継殿下としてレーゲンハイム家の文官達を引き連れて城に入って下さったのもあって、アレクシア不在による遅滞は解消しつつある。
最初はラルナダルト家が何するものぞと高を括っていた貴族達は、殿下により既に痛い目に合わされていると言う。
イルレアナ様は公家にも出仕を命じ、体制の見直しなど、様々なものに当たらせている。
彼女はミチルが女皇になった時の為に、その地盤作りに精を出しているのだろう。
ミチルを次の皇位に就けたい公家からすれば、その意思に逆らってイルレアナ様が臍を曲げるのを恐れている。
年齢を理由にその地位を返上するなど造作も無い。その場合、ようやく出来つつある、皇室の主筋をイルレアナ様からミチルへと継承する事も不可能となる。確実に殿下に皇位を継いでいただき、ミチルに引き継がせたいと公家は考えているのだ。
「それぐらい、公家が何とかするだろう。それにステュアート本人の意思を尊重した結果だ」
それはそうだろうが、その先へと誘導したのはリオンなのかルシアンなのか。きっとリオンだろう。
「それで、その優秀なステュアートが作り上げたこの海流図が、何だと言うんだ?」
「見て分からないかい?」
「……マグダレナへと至れる海流には限りがあるな」
マグダレナ周辺の海流が、女神により作為的に作られている事は分かっている。
知れば知る程に、我らマグダレナは創造神に愛された存在なのだと言う事が分かるのだ。
マグダレナ大陸から少し離れた西に、ト国はある。東側に燕国。そのどちらも海流が邪魔をしてすんなりとマグダレナには到達出来ない。
双方の国はその海流の僅かな隙を縫うようにしてマグダレナにやって来る。
「この大陸に入るには、海流に逆らえるだけの推進力が必要になる。マグダレナの船は殆どが帆船だ。イリダに攻め込むにしても、まず海域を出る為の推進力が足りない。数も必要となる。間に合わないのだよ」
大陸を守る為の海流が、逆に枷となって我らの進行を妨げるとは皮肉だ。
「それに、一定の距離まで魔素が広がっているからね、それだけであちらはダメージを受ける。アドバンテージを捨ててまで攻め込むには色々と足りないんだよ、我らは」
待つしかないと言う事か。
「それで、リオンは今何をしてる?」
対イリダに向けて何をしているのか。必要ならばそれを手伝いたい。
「あちらが動き出してから始める事はあるけど、今は特に無いね」
私の顔を見て、リオンは吹き出した。
「長く付き合っているけど、ゼファスのそんな顔、初めて見たよ。君にそんな顔させるとはね」
「……笑いたければ笑え」
涼し気な顔で紅茶を飲み、茶菓子を口にする。さっきからリオンが摘んでいるが、この菓子はなんだ?
茶色くて甘さは無さそうだ。一つ口にするものの、やはり甘さはない。
「良い事だよ。幼い頃から君は心を抑圧し続けて来たのだからね」
「何でも知ってますと言うその顔が腹が立つ」
これは手厳しいね、とリオンは笑う。
「ゼファス、攻めない理由はもう一つあるよ」
「それは何だ?」
「ミチルがいるからこそ、戦争になっても、奴らは過度な攻撃が出来ない。だが攻め込めばあちらは容赦なく攻撃してくるだろう。手心を加える必要がないのだから」
ミチルを守りたいのに、ミチルに守られる。
歯痒い。
「何故そう言い切れる?」
「今回の首謀者であるオメテオトルの狙いがミチルだからだよ。彼──彼女と言うべきかな? 彼女は女神を呼び出す為の依代としてミチルを欲している」
なんだそれは……!
「……初耳だ、リオン」
怒りがふつふつと湧いてくる。
頭に血が昇りそうになるのを、茶色い菓子を口にする事で抑えようとする。
「あぁ、それは甘くない奴だからね、ゼファスにはこっちの方が好みだと思うよ」
ベネフィスが茶色い菓子に白い半透明な粒がまぶされたものを差し出してきた。腹立たしいままに口に入れる。
「……これは?」
「アラレと言うそうだ。私が食べているのは梅あられ。ゼファスが今食べたのはざらめアラレと言うらしいよ」
しょっぱいけれどざらめの甘さがあり、美味しい。
「ミチルがゼファスにとくれたものだよ」
「そう言ったものは早く出せ」
食べている内に怒りが少しおさまってくる。あの娘は私の好みをよく分かっている。
「それで」
「ルシアンの読みでは、イリダの王位継承者であるショロトルは多重人格者だ。その内の一つの人格であるオメテオトルが、ショロトルの為にこの戦争を仕掛けようとしている。彼女はこの戦争で自国の膿を吐き出したいんだよ。だからこちらから攻めてしまっては計画が台無しだ。
私としても、そこまで分かっていてせっかくの計画を無駄にするのは忍びない。なかなかに出来の良い案なのだよ」
多重人格──書物では読んだ事があるが、実際には見た事は無い。
「ショロトルが多重人格者であるという確証は?」
ルシアンとリオンの言う事だからこそ、間違いは無いとは思うが、自分の中に落ちて来ない。
「オーリー王の監視役をその職務から外して他国へ派遣出来る程の権力を有する者と言うのは、多くはない筈だよ。
王族であれば誰でもオーリーの王族に手を出せるとなれば統制が取れなくなる。必然的にイリダ王族の中でもより支配力の強い人間が持っていると考えるべきだろう?
そんな力を持つ人間ならば二〜三人に絞られる。
ト国が提出して来た書類に書かれた王位継承者は全部で八人。これまでに王の即位を祝う祭典の度にト国が献上してきた表を見ても、歴代の王は知る限りでは全て男性だ。
オメテオトルは王になってもおかしくない存在だと言う。しかも女性だと。この点で疑問がわく。オメテオトルは本当に女性なのか?と言う点だ」
だからと言って多重人格と決定するには要素が足りない。
「オメテオトルがミチルを必要とする理由がショロトルの為と言う事がそもそもおかしいのだよ。
もしオメテオトルが女性ならば、ショロトルとそのまま婚姻を結べば良い。権力を集中させると言う意味でも無駄がない。王位を継承出来ないながらもそれに匹敵する力をオメテオトルが持っているのだからね。
オメテオトルが男性ならば必然的に敵対する関係になる。王位を継承出来る二人を仲良くさせておくメリットが他の継承者にあるかい?」
「ないな」
かつ、オメテオトルがショロトルとは別だとするなら、ト国の王族一覧に存在する筈である。
「完全に納得はいっていない。まだ話してない理由があるだろう」
ふふふ、とリオンは笑う。
「ルシアン達が捕らえた間者に、ショロトルの容姿とオメテオトルの容姿を尋ねたそうだ。
髪の色、長さ、瞳の色、肌の色、
両方を知るオーリー王の監視者にショロトルの容姿を尋ねた後、オメテオトルの容姿をルシアンが尋ねたら、監視者は何故そんな事を聞くのかと戸惑ったそうだよ。
同一人物の容姿を二度も聞く理由が分からないからね、当然の反応と言える」
まさか、本当に多重人格だと……?
「何故?」
「その理由までは不明だね、今の所は。
物知りなゼファスの事だ、多重人格となる原因と言われるものは知り得ているだろう?」
精神に崩壊を来す程のダメージを受けた場合、人間は自己防衛本能により、記憶そのものを消すか、心が潰されてしまうか、耐え得る別人格を作る──書物にはそう書かれていた。
「先程の言を信じるなら、神でなければ解決出来ない事がショロトルに起き、それを別人格であるオメテオトルが何とかしようとしている、と言う事だが、その為に国を滅ぼそうとしていると見るのが正しそうだな」
オメテオトルはマグダレナとの開戦を望んでいる。普通に考えれば自国の圧勝であるとイリダ側は考えるだろう。
その考えは正しい。それをどうやって敗戦に持っていこうと言うのか。まさかこちらの滅びの祈りを知っている訳ではあるまい?
「オメテオトルは、慈愛に満ちた人物らしいよ」
突然何を言い出したのかと、リオンを見る。含みのある笑みをこちらに向けていた。
しかも、慈愛に満ちた人物などと──。
「……オメテオトルは、マグダレナを模して作られた人格なのか……?」
正解だと言うようにリオンは微笑んだ。
「多分そうなのだろう。ショロトルは心から絶望し、救いを求めた。その結果生まれたのが女神マグダレナを真似た女性の人格、オメテオトル」
ショロトルが生み出した女神。
「調べてみた所、オメテオトルはイリダ神が創造するのを手伝ったとされる事から、創造の御使いと呼ばれている。
彼女以外にも御使いはいてね、民が神の御心に反したとされた時、現れる御使いがいるらしい。
その名もイツラコリウキ。破壊の御使い、だそうだよ」
あまりに楽しそうに話す様子と、わざわざ聞かせてきたことからして、嫌な予感がした。
「……ショロトルの中にイツラコリウキもいる、などと言うのではあるまいな」
「そのまさかさ、間違いなくいるだろう。彼女達のしようとしている事は破壊と創造なのだから」
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