ワタシの主人<セラ視点>

ミチルちゃんの元に戻る為なら、何でもする。

例え何年かかったとしても、絶対に戻ると決めていた。

帰れない可能性が高い事も受け入れていた。

二度とあんな思いをさせない為なら、どんなに身体が辛くても、血を吐く程苦しくても、あの時のミチルちゃんを思い出せば耐えられた。


媚薬に心と身体を侵食されながらも、ルシアン様への想いと強い精神力と、肉体への痛みで耐えようとした。

助かったのは運が良かったとしか言いようがなかった。

そして、そんな危機的状況に追い込んでしまったのは、ワタシだった。


アルトのような一族とは無縁の、普通の令嬢だったのに。

転生者と言う点を除けば、彼女は視野が広い、一般的な令嬢よりは幾分賢いかと言うぐらいの、普通の人間なのだ。

それがルシアン様に見初められ、リオン様に目を付けられてしまったばかりに、非日常に引きずり込まれていった。


仕える事にはしたものの、可愛い妹のような感覚だった。

聞き分けの良い、貴族らしからぬ令嬢だった。貴族嫌いのワタシには、ちょうど良かった。

ワタシは何処か甘く考えていたのだろう。

その結果が媚薬だった。


自分のような人間は、本来なら側にいない方が良いのは分かっている。でも、ワタシはミチルちゃんを守りたい。

ラトリア様にも、ルシアン様にも感じなかった。自分の主人だと言う感覚。

自分の全てを投げ打ってでも、支えたい。

そしてルシアン様と幸せになって欲しい。

だから──毒を食らう事も、薬物を飲む事も、厭わなかった。


大旦那様とベネフィス様に言われた。お前は心が弱い。それは、守りたいものが無いからだと。


"ベネフィスの元でやり遂げられたなら、ミチルの元に返してあげよう"


例えそれが嘘でも、構わなかった。

何故そこまでと言われたなら、自分の愚かさと弱さと強さに気付いたからとしか答えようがない。

ワタシは弱かった。でも、自分だけを守るならそれで問題なかった。誰かを守りたいとも思った事がなかったから。


ワタシは才能だけ見ればフィンよりも優れているだろう。ただ、その才能を活かして仕えたいと思える人がいなかった。ラトリア様もルシアン様も素晴らしい方達だけど、仕えるのがワタシでなければならないとも思えなかった。

だから、フィンはワタシよりも強かった。目的がある。その為に何をすれば良いのか、どんな力が必要なのか。それが常に明確だった。

必要となる力を持つのは自分である必要は無い。大事なのは、己の成すべき事が何なのかを見失う事無く、確実に遂行する事だ。

フィンはいつもブレなかった。そんな弟が眩しかった。


ミチルちゃんは弱かった。本当に。

身体こそ丈夫だけど、心は弱くて。そうかと思うと強くて。

人の心にするっと入り込む癖に無自覚で、一度親しくなった相手には、何処までも誠実だった。

そんな弱い彼女を、守れるだけの力を持ちながら守れなかった己に腹が立つ。

あんな思いをさせた事が、身体に痛い思いをさせた事が許せない。


二度と側で仕える事が出来なくても、別の形でも良い。

ミチルちゃんを支えようと思っていた。

側にいるだけが仕えると言う事では無いのだと、今更気が付いた。

そんなワタシに、ベネフィス様がおっしゃった。


"何とか使えるように間に合いそうだな"


間に合う?

大旦那様が何か大きな事を計画している事は以前から気付いていた。それが、何なのか、軽く探りも入れてみた。

諜報の全てを仕切る父は、常に大陸のあちこちに密偵を送って、大旦那様に情報を送り続けていた。

皇国を超えて情報を仕入れる事が異常なのでは無い。謀を常とし、辺境に位置するカーライルならば当然の事と言える。

大旦那様の見ているものが、カーライルを中心としていたなら、そのまま何とも思わずにいたのだろう。


懐に入れた人間を大切にするのがアルト家とは言っても、大旦那様はミチルちゃんを殊更に可愛がった。

ほんの僅かでもミチルちゃんが傷付く事を厭うた。

その事で、目に入れても痛くない程に可愛がっていたキース様に罰を与えた。

異常だと思った。


ベネフィス様の元で修練しながら、大旦那様の目的を探り続けた。

都合の良いことにカーライルに居たワタシは、父の不在時に、大旦那様の命令で父が調査した結果を読み漁った。


ミチルちゃんが、皇国公家の人間である事。

大旦那様の計画には、皇国八公家全ての当主が必要だと言う事。

"杖"が帝国にある事。どうやら、"アンク"、"天秤"なるものも必要で、その二つは既に入手出来ているか、入手の目処が立っている事。

ミチルちゃんの祖母は、ギウスにいる事が分かった。これはアルト家、つまりサーシス家では調べきれなかったのを、オットー家が調べてくれた。


断片的な情報を元に推測するに、大旦那様は新しい何かを作り出そうとしているのでは無さそうだ。

過去のものを復元しようとしているように見える。

アレクシア陛下の戴冠式も、従来の形ではなく、かつての皇国で行われていた方式を再現したと言う。


何を復元しようとしているのか。


皇国七公家ではなく、皇国八公家時代に戻そうとしているのであれば、詳しくは知らないが、大陸に皇国しか統治者がいなかった時まで戻そうとしているのではないか。


皇国八公家の時代──古代ディンブーラ皇国と呼ばれる、黄金時代の事だ。

大地は緑に溢れ、花は咲き乱れ、鳥は歌う。人々は飢えもなく、女神マグダレナに感謝して過ごしていたと言う。


……その時代に戻す?

それならば帝国の混乱など放っておけば良かった筈だ。それをそうしないと言う事は、皇国による統一を目指している訳ではない。


では、何の為に?

女皇と公家は女神に祈りを捧げていたと言う。祈りとは何なのか?

その祈りの為にミチルちゃんや他の公家が必要だと言う事?


「欲しい情報は手に入ったか?」


しばらく振りに聞く父の声に、やはりバレていたか、と思った。


振り返ると、父が無表情に扉の前に立っていた。


「ベネフィスの元での修行はどうした?」


足音をさせずに部屋の奥にある、机の前まで行くと、椅子には腰掛けず、机の上に腰掛けた。


「……本日は午前まででしたので」


「優等生のおまえが、ミチル様にそこまで入れ上げるとは思わなかったな」


ワタシは自分の意思でサーシス家の嫡子を辞めた。それは、後ろ足で砂をかけるような、無礼極まりない事だった。

その事に父は激怒し、その怒りは凄まじかった。それを和らげてくれたのはフィンだった。


「そこにあるだけでは、全容は分からんだろうが……おまえはどう考えた?」


腕を組み、鋭い視線を投げてくる父。かつてならこの目で見られるのも嫌だった。


「大旦那様が、古代ディンブーラの祈りを復古させる為に、ミチル様や皇国公家を駒となさろうとしている事。

その祈りの為に"アンク"、"天秤"、"杖"が必要である事。内、"杖"以外は入手しているか入手の見込みが立っている事……。これぐらいしか分かりません」


「その情報から次はどんな情報を知りたい?」


「祈りがどんなものなのか。通り一遍の効果しかないのか、その結果、駒がどうなるのかが気になりますが、全く別の事も気になっております」


言ってみろ、と続ける事を促される。


「ギウスが帝国に戦争をしかけようとしている事も気にはなりますが、近年のギウスは資源も枯渇し、兵力の維持も難しいと聞いております。騎馬隊は強敵ですが、長期戦に持ち込む、もしくは数で圧倒する事が可能かと思いますので、気にはしておりません。

イリダとは、神話のイリダですか?」


「……そのような記述があったか?」


「帝国で使用されていたあの高度な貨幣偽造機については、不思議に思っていました。

変成術も未発達で、転生者も帝国には生まれていないと聞きます。それなのに、あれだけのものを、いくら大公と言えど用意出来るものなのかと。

それにこの、ユーゲとは、イリダの事でしょう?」


調書に書かれた内容には、ワタシとは別で動いていたフィン達が摘発した貨幣偽造機の事が詳細に書かれていた。

うち、数名が言語不明瞭であると。

繰り返し彼らが口にする単語が、ユーゲで、ユーゲとは、イリダの民が自分達の創造神を指して言う呼び名だと、昔何かで読んだ事がある。


はっ、と笑うと、父は額に手を当てた。


「おまえは、本当に無駄に優秀だな」


苦笑を浮かべながらワタシを見る父の視線は、先程と違って柔らかい。


「同じものを読んでも、目の前でイリダの民を目にしても、アレはイリダまでは辿り着かないと言うのに。

どうだ、サーシス家を継ぐ気にはならんか?」


「ミチル様にお仕えするのにその立場が必要なのであれば、是非にも」


予想外のワタシの答えに、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた父だったが、じわりと笑みを浮かべた。


「ルシアン様に忠実であったからアレを嫡子としたが……陛下への想いと忠節を切り分けられないアレにサーシスを継がせるのは、些か問題があると言うのが、我らの所感だ」


父が我ら、と言った場合、ルフト家、クリームヒルト家それぞれの当主と、己を含めている。

つまり、フィンはサーシス家の次期当主として不適格の烙印を押されようとしている。


「セラフィナ、サーシスはアルト家を主人と仰ぐ一族だ。皇家ではない。おまえがサーシスを継ぐのだ」


「仰せのままに」


頭を垂れて恭順の意思を示すと、父からため息が溢れた。


「あの方が何をもって決められたかは分からないが、ギウスとの戦争には、陛下が出御なさる」


わざわざ皇都から陛下を担ぎ出す? そこまでする必要がギウス戦にあるとは到底思えない。


「限られた戦力しかない中で最大限の効果を生み出そうとするなら、短期決戦を狙う。

苦境に立たされたギウスの前に、年若い女皇がいるのだ。女皇もしくは皇帝を捕らえて交渉材料とする事は想像に難くない。

そうなれば、フィンは冷静に対処出来ない可能性がある」


眉間に自然としわが寄ってしまう。


大旦那様は、何の為に?

陛下の命を奪う為?


「……お命を?」


首を横に振る。


「いや、計画に陛下は組み込まれている」


そうなると余計に意味が分からない……。


「何をもってそうなさっているのかは分からない。

もしかしたら陛下の素質を見極めようとなさっているのかも知れないと思ったが……」


そんなものは、ミチルちゃんへの処罰の件で嫌と言う程に分かっている事だ。

だからきっとそうではない。父もそれは分かっているだろうと思う。


殺す気はない。

彼女の存在は計画に必要である。

陛下が、女皇としての資質が足りない事は分かっている。

ギウスを滅ぼした後に帝国に全てを奪われない為だとしても、女皇自ら出陣する必要性はないにも関わらず。


「……父上、祈りとは何ですか?」


その計画が分かれば、少しは答えに近付けるかも知れない。


「祈りとは、天から降り注ぐ魔素を体内に取り込み、魔力へと錬成したものを大地に注ぎ、女神に感謝する事を言う」


「それを復活させる事にどんな意味が?」


「魔素はマグダレナの民以外には毒だ。長い間祈りが捧げられていない為に、この大陸の魔素は危険域に達しようとしている。オーリーやイリダの民は魔素を吸い込む事で内部から侵食され、長生き出来ないのだ。

魔素の量を正しく制御する事で、大地は潤い、マグダレナの民以外も苦しむ事なく生きられる」


その為に大旦那様が動くとは思えない。

情が無い訳ではないが、慈悲深さとは対極にいるような方だ。あの方が慈悲を見せた時は、理由あっての事。


「女神はいずれオーリーやイリダの民がこの大陸に攻めて来る事を予想していた。

その時の為に、従来とは別の祈りがあるのだ」


嫌な予感がする。


「その祈りが発動すれば、マグダレナの民以外が排除される。はっきり言えば、絶滅する」


「その祈りの内容は……公家は知っているんですか?」


「公家の人間がその程度の事で躊躇う訳はない」


あぁ、そう言う事か。


「このままだと陛下は頷かないかも知れません」


「皇国皇帝が、マグダレナの民以外の為に己が民ごと滅びる選択をすると?」


ワタシは首を横に振った。


彼女は、誰よりもその決断を拒絶する筈だ。


「ミチル様を害した罰を陛下は受けておられません。罰を与えない事が罰なのかと思っていましたが、それはそれで間違いないのでしょうが、いざと言う時の為に取って置いたのではないでしょうか。

フィンは絶対に陛下を助けに行くでしょう。その結果、陛下は自分が皇帝に相応しくないと考える可能性が高いです。フィンの側にいたいと考えるあまりに、皇帝の座を手放したがるかも知れません。

目の前で民が死ぬのを見る事、フィンの事、どちらでも良いのでしょう。要するに、陛下の判断の根底を覆そうとなさっているのだと思います。

これ以上命が失われるのを見たくない陛下は、祈る事を受け入れるでしょう。少しでも助けられる命があるならと」


ふむ、と呟くと、父は考え込んだ。


陛下は貴族として生きてきていない。

誰にでも公平で優しくあるようにと修道院では育てられている。

それが突然、皇国の頂点に立ち、孤独な決断を迫られる。

失敗が許されない立場。

叔母の影響もあって、他の公家は陛下を援助しない。


「どうあっても祈らせる為に、罰も与えず、目の前で失う命を目にさせ、それでも駄目な時の為にフィンを使うと言う事か」


ここまで強行な手段に出られる方ではない。

でも、フィンがルシアン様より陛下を優先なさるなら、サーシス家は継がせられない。

実の弟であるキース様にすら、アルト家を裏切ればこうなると内外に向けて示したのだ。

フィンが裏切ったのなら、ただで済む筈はない。


「セラ、父として頼みがある」


「何でしょうか」


「出来る範囲でいい。アレを、フィンを助けてやってくれ」


「勿論です、父上」

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