面影<レーゲンハイム家の前当主視点>
湖畔の
アッシュブロンドの髪は風にたなびいて揺れ、侍女の挿す日傘の影が、
森のような深緑色の瞳が私を見つめる。
「……イルレアナ様……?」
風が湖面を撫でる音に、我に返る。
違う、この方は。
よく似ているがあの方とは違う。
己の手を見、皺の増えた手に、現実を取り戻す。
謝罪を口にし、その場を去った。
かつてラルナダルト家の物だった宮殿に、カーライル王国の公爵家の嫡子とその妻が滞在している事は知っている。
先程見かけた女性がその妻であり、その功績から異例な厚遇を受けて皇族となったミチル殿下だろう。
かつての主人の妹君、イルレアナ・ラルナダルト様に似ていた。髪と瞳が同じ色だからだろう。
優しげに微笑まれている事の多かったイルレアナ様とは違い、殿下は無表情だった。
もっとも、あの愚かな王太子が分を弁えずに皇族である殿下に接近したのだ。無表情にもなろうというものだ。
イルレアナ様。
何処におられるのか。
カーライル王国の属国になり下がってしまったアドルガッサーになど、戻りたいとも思われないだろうが。
あの時の父の判断は、致し方ない面もあったが、悪手だったのだ。
だからこそイルレアナ様はアドルガッサーから姿をお隠しになられたのだろう。
たとえアドルガッサーが滅ぼされたとしても、ラルナダルト家が残るのであれば、皇帝に直訴すべきだったのだ。王家の横暴を。
そしてイルレアナ様に婿を取っていただき、ラルナダルト家を建て直す。それが、正しい道だった。
……私の婚約者であられた、イルレアナ様。兄君があんな事にならなければ、私は貴女の側にいられただろうに。
何もかも、夢のように消えてしまった。
私の初恋も。私の主君も。
だがそんな事はもう遥か昔の事。言っても詮無い。分かっているのに最近思い出されて仕方が無いのは、己が年老いたからだろう。
王家主催の夜会にて、あの馬鹿共は皇族である殿下に擦り寄り、アドルガッサー王家の窮状を訴えるつもりだろう。
今日も先走って殿下に接触しようとしていた。
殿下は皇都において孤児を助けたり、皇都の民の為に奔走なされた優しいお方だと聞く。
予め伝え、殿下の優しさに訴えようと言うのだろうが、あの鳥頭では、王妃が殿下の伴侶のアルト伯に何をしようとしたのかすら、都合良く消え去っていると見える。
何処の世界に、己の夫に媚薬を盛って関係を持とうとした女が未だに王妃に収まっている王家を、助けたいと思う人間がいる。
救い難い愚かさだ。カーライル王国の属国ではなく、このまま併呑され、あのような王家など潰されてしまった方が民の為だ。真の王家であるラルナダルト家を潰したような逆賊など、あの時潰すのが正しかったのだ。今からでも遅くない。
アルト伯の怒りを買って滅ぼされてしまえば良いのにと、もはやまともに働かなくなってきている頭は思ってしまう。
「お祖父様?」
孫のアウローラの呼び掛けに、思考の海を抜ける。
「大丈夫ですか? 眉間に皺が寄っておいででしたが」
「問題ない。それに眉間に皺も寄ろうというものだ」
アウローラは苦笑いを浮かべた。
「確かに。王太子殿下は、良くも悪くも真っ直ぐなお方ですからね」
愚かな王太子は、孫娘のアウローラを嫁にと望んでいるようだが、絶対にあのような男になどくれてやる気はない。
本人も望んでおらぬ。
「それにしても、初めてミチル殿下のお姿を拝見致しましたが、お噂通りでした」
噂?
「殿下はそのお美しさから、妖精姫ですとか、人形姫と呼ばれてらっしゃるのですよ、お祖父様」
「……なるほどな」
その呼称に相応しいお姿ではあった。
……イルレアナ様も、花姫と呼ばれていたのを思い出す。
「ご存知ですか、お祖父様。殿下の側にいた女騎士は、皇国七公家のエヴァンズ家のご令嬢なのです。そのような方が、養子で皇家に入られた殿下の護衛になるなど、不自然な事と思われませんか?」
アウローラの言う事は
現エヴァンズ公は曽祖父に皇室の血が入る為、皇族として認定される。エヴァンズ公の令嬢は間違いなく、皇家の血を引く方なのだ。そのような方が護衛だなどと。
「確かに異な事ではあるが、令嬢のたっての希望という噂も聞く」
左様ですか、とアウローラは頷いた。
アウローラは利発だ。嫡子の兄よりも、頭の回転も早い。
男であったならと思う。
「盆暗がまたおまえを嫁にと言っていたぞ。はっきり断ったらどうなのだ」
またにございますか?とアウローラは苦笑する。
「毎回お断り申し上げているのですが、伝わらないようなのです」
アウローラが恥ずかしがっているなどと思っている程だからな。本当に度し難い。
「おまえが身の振り方を決めぬから諦めきれぬのかも知れんぞ?」
ついこの春に学園を卒業して成人した。
貴族の令嬢として、何処かの家に嫁ぐか、騎士として仕えるか、どちらかを決めなくてはならない。
「考えておりますよ? 準備もしております」
「……そうなのか?」
はい、と微笑むアウローラは、笑うと年齢よりも若く見える。
「私も時間がありませんから、近いうちにお祖父様にご相談に上がります」
「分かった」
差し当たっては、殿下を歓迎する為に行われる夜会を無事に終わらせる事だ。
殿下に馬鹿共が近付かぬようにしなくてはならない。
これ以上、アドルガッサーの恥の上塗りは防がねば。
それが、ラルナダルト家を守り続けた我が家の役目だ。
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