005.犬も食わぬ夫婦喧嘩

翌朝、ルシアンがカウントダウンをしてきた。


「あと、9日ですね」


それはそれは、恐ろしく美しい笑顔で。


恐怖しかない……!

毎日死刑宣告されてる気分Death。

……もしかしてコレ、毎日されるの?


翌朝、思った通りにルシアンがあと8日、と口にした。

その翌日も、そのまた翌日も。


ヒィィィッ!

下手なホラーより怖い!


「ルシアン……あの……」


「駄目ですよ?」


マダ何モ言ッテナイヨ。


うぅ……っ、まおーさま、お許しをー!


ルシアンの服を掴み、何とか許してもらおうと試みる。


「ルシアン、謝罪致します。寂しかったからと言って、意地悪を言いました。ですから……ですから……」


お代官様、お許しをーーっ!!


ふふ、とルシアンは笑うと、私の顎を撫でた。


「どうしましょうか……」


「ど、どうすれば、ルシアンのお怒りはとけますか?」


私の予想では、6日後、例の言葉をルシアンは口にするに違いない…!!

それだけは……! それだけは阻止せねば……!!


「ミチルが私を食べてくれるなら」


まてーーいっ!!

いきなりソレ言っちゃ駄目だろう!!

どう考えてもそれ、真打ですよね?!

……はっ! まさか、その先が……?!

ルシアン…恐ろしい子…!!


「ルシアン…ッ! 許して下さいませっ!」


「ミチルの気持ちはその程度なのですね。私はミチルを愛せない辛さに耐えていると言うのに」


嘘を吐けえええええええええっ!!

絶対違う!! これを思い付いた時点で辛さなんかなくなってるでしょ、ユー!!

良い笑顔だし!


……!

…………!!

………………!!!(プチッ。)


頭キタ。


「……よく、分かりましたわ。ルシアンは、私の気持ちより、ご自身の目的が全てにおいて最優先されると言う事なのですね」


ルシアンの表情から笑顔が消える。


「私がどれだけ嫌がっても、ご自身の意志は曲げませんものね」


「……ミチル?」


「もう許して下さらなくて結構です。6日後でしたか、そんなに私を好きになさりたいなら、なされば良いですわ。

これからは貴族の妻としてルシアンのなさる事を受け入れます。お好きにどうぞ」


掴んでいたルシアンの服を手から放す。

ルシアンの手が私の手を掴む。


「ミチル、待って」


「待つも何も、ルシアンが求めた事ではありませんか。

何もかもご自身の思うようになさってます。

私が嫌がっても皇都に行き、拗ねていた私を10日後に好きなようにすると宣言なさって。私の気持ちなんてどうでも良いのがよく分かります。これでよく、私の気持ちが欲しいなんておっしゃいますわ。不要でしょうに。

今後もそうなされば良いわ。ルシアンは私の心など求めてらっしゃらないのですもの」


呆然とした顔で私を見るルシアン。

こんな風に強く言い返したのは初めてだ。

多分だけど、色々と溜まっていたんだと思う。


危ないから、貴女の為だから、ずっとそう言われて、我慢し続けてきた。

そりゃ、私は皆のように優秀じゃありません。出来ない事の方が多いです。出来ない事だらけだし、危険な目にも何度も遭って来ました。

そんなの分かってます。

役立たずなのは分かってます!


ルシアンの手を剥がすと、私はサロンを後にした。


確かにルシアンは私の為にありとあらゆる事をしてくれていると思う。

思うけど、いつも、私の気持ちは置いてけぼりだ。

分かってる。我儘だって。それが正しい選択だって分かってる。


適当な部屋に入り、一人まったりとしていたらルシアンがやって来た。

追いかけて来てくれたのは嬉しいし、良かった、とホッとする部分もある。でも、嫌だとも思う。我儘だって分かってるけど。

とにかくもやもやする。

自分が正しいなんてこれっぽっちも思ってない。貴族の妻としては、大人しく言う事を聞くのが正しい。それは分かってる。

全部分かってるのに。心が付いていかない。


ソファに腰掛ける私の前にルシアンは跪いた。


「ミチル……」


私の手を掴むと、額を押し付けた。


「許して下さい。決して、貴女を蔑ろにした訳ではないんです。貴女をこれ以上危険な目に遭わせたくないだけなんです」


「……分かっております……」


泣きそう。

ダメ駄目!泣けば済むと思ってると思われたくない。

唇を閉じて力を入れる。

目ってどうやって力入れるの?


「……私ばかり、寂しいみたいですわ……」


言っちゃ駄目だ。そう思うのに、我慢し切れずに言ってしまった。


「寂しくて、会いたくて、いつもいつも、ルシアンの事ばかり考えて、危ない目に遭ってないか心配で。役に立ちたいのに、大した才能もなくて、出来る事と言ったら、迷惑をかけないように閉じこもって待っている事だけです」


……あぁ、そうか。

私はルシアンに怒ってるんじゃないんだ。自分に怒ってて、その八つ当たりをルシアンにしてるんだ。

ルシアンが優しいのをいい事に、ルシアンが私を想ってくれてるのに甘えて、こんな理不尽な事を言ってる。

……最低だ。最悪だ。本当にどうしようもない。


ルシアンの手が頰に触れた。

泣かないように耐えていたつもりだったのに、いつの間にか涙が溢れていたみたいで、ルシアンの指が涙を拭ってくれていた。


私を包んでくれる温かい手。

優しく撫でてくれる指。


うっ、涙が止まらない。

この勢いで泣いたら鼻水出る。枯れる。いや、もういっそ枯れたい。

もうやだ。


身体を引っ張られて、ソファから離れた。ルシアンの胸の中にすっぽり顔を埋める状態になってしまった。


「汚れてしまいます」


離れようとするのに、ルシアンがそれを許さない。


「貴女は、自分の価値を分かってなさ過ぎる」


価値?


「貴女は、恐ろしい程の価値を持っているんです」


転生者だから?

なんちゃって皇族だから?

そんな訳ない。


「もう少し経ってから話すつもりでいましたが、これ以上貴女を拗らせる訳にもいきませんから、話します。

本当は、貴女自身の目で見て考えていただかなくてはならないのですが、貴女が次に皇都に行くのは当分先になるでしょう。

致し方ありません」


何を言おうとしてるんだろう?

もしかして、祖母はやっぱりラルナダルト家の人だった?


「ミチル、貴女の祖母は、アドルガッサー王国で公爵位にあるラルナダルト家の出身です。そして、貴女の曽祖母は、ディンブーラ皇国皇女です」


……は?




ルシアンが説明してくれた事には、ラルナダルト家の祖はディンブーラ皇国皇女アスペルラ姫(まさかここで昔話の姫が出て来るとは!)で、皇国が分裂した時に姉姫と別れて暮らす事にし、アドルガッサーに残ったと。

だからこの離宮は、本当にアスペルラ姫が作ったものだったのだ。

そして祖母の一族、ラルナダルト家は元は皇国八公家の一つで、血縁を保つ為に定期的に皇国の皇室や七公家の血を入れていたとの事。だからアドルガッサー王家よりも格上になる。そりゃ、アドルガッサーに王家二つありと言われる筈ですよ。

それなのに祖母の代のアドルガッサー王が暴挙に出て、ラルナダルト家を潰してしまい、行き場を失った祖母を祖父が誘拐とまではいかないまでも自国カーライルに連れて帰り、結婚したと。

皇族です、とは言えない祖母は、家が潰された事もあり、平民と偽り、名をイルレアナからイリーナに変え、カーライルで暮らしていたのだ。

自分の事を秘密にしたまま。

私にだけ、少しの秘密を共有して。


「貴女は、本当に皇族なんですよ、ミチル」


悲鳴を上げなかった私を褒めていただきたい!


「皇都に戻られていたのは、それを調べる為ですか?」


「いえ、別の件で皇都に戻ったのですが、図らずもその事実を教えられました」


いや、あの、うん。

えっと……あー……。

駄目だ、頭が付いて行かない。


「その過程の中でアドルガッサー王家の行った事は皇国に知られましたので、近いうちに何かしらのお咎めがあるでしょうね」


ラルナダルト家の右腕の人達の頑張り、一瞬で無駄になったわー。


「それからもう一つ、私自身の事でミチルに報告があります」


ルシアン自身の事? なんだろう??


「この度、名を頂戴しまして、ルシアン・アルト・ディル・ラルナダルトになりました」


そう言ってルシアンはにっこり微笑んだ。


……は?


「ミチルの伴侶である私がラルナダルト家を継ぐのが適当だろうと言う事になりまして」


……いやいや。

いやいやいや。

いやいやいやいや?!

待たれよ!!


「そ、それって」


「アルト家は皇国八公家に加わりました」


そんなあっさりと……!!


「お、お義父様はご存知なのですか?」


当主のお義父様は怒ったりしないだろうか?


ルシアンは苦笑した。


「安心して下さい。全てお見通しでした」


……アァ、ウン。

魔王だもんね。多分千里眼とか邪眼とか魔眼とか、何だかよく分からない力があって、全部お見通しって事ですか、そうですか。


駄目だ。

無理。もー無理。

頭がついていかない。

知恵熱出そう。


「ミチル?」


ルシアンの声が遠くなっていくのを感じながら、私は意識を手放した。




「ミチル、今日は歌を教えてあげましょう」


「お歌?」


温かくて優しい手が私の頭を撫でる。


「アスペルラ姫は歌がとてもお上手だったの。沢山の歌を作られたのよ。その内の一つを教えてあげましょうね」


そう言って歌う祖母は、年齢を感じさせない歌声で、私は何度となく祖母に歌をねだり、一緒になって歌った。


"緑深き森の奥に 光射す

優しい風が吹けば 鳥たちも集いさえずり

けもの達も足を止め 喜び踊る


雨よ降れ降れ 地を潤し

新たな命を芽ぶかす力を与えたまえ

風よ吹け 種を 花を運べ

新たな命を生み出す力を与えたまえ


乾いた風も 冷たい雪も

全ては新しい命を生み出す為に

穢れを払い 命の水となり

美しき年がまた 始まる為に"


歌詞は覚えたものの、意味が分かっていない私に、祖母は言った。


「これは、祈りであり、感謝の歌」


「いのり? かんしゃ?」


「そうよ。世界は厳しさもあるけれど、その先には優しさも美しさもあるという歌なのよ」


「ふぅん?」


幼くて理解しきれていない私を叱るでもなく、祖母は笑顔で言った。


「いつか……」




目を開けると、金色の瞳と目があった。


「……ルシアン……」


「ミチル、大丈夫ですか?」


「祖母の夢を見ました……」


「どんな夢ですか?」


ルシアンに支えられて起き上がる。ベッドに寝かせてくれたようだ。夜着を着せられている。

窓の外も暗かった。

眠っている間に夜になったのかな。


「歌を……アスペルラ姫の歌を……教えてもらいました」


この宮殿にいると……この宮殿にいるからなのか……祖母の夢をよく見る。

これまでも、いくつもの歌を教えてもらった時の事を夢で見た。

女神の事。アスペルラ姫の事。


「歌?」


「そうです」


幼い頃、何度も祖母と歌った。大好きな歌。


「"光あれかし あなたの行く道に

私は力なく 祈る事しか出来ぬ 弱き身なれど

あなたを思う気持ちだけは 誰にも負けはせぬ

光あれ 光あれかし あなたを守る力となれかし"」


思い出しながら、小さい声で歌うと、ルシアンは私のおでこに口付けた。


「ミチルが歌うのを初めて聴きました」


「……私も……久しぶりに歌いました……子供の頃は……よく祖母と歌っていたのに……」


「とても上手です」


「祖母は歌に関しては厳しくて……沢山練習させられたのですよ」


歌う事は好きだったから、一生懸命に練習した。何度も、何度も繰り返し。誰もいない庭で練習をして。


ふふ、と笑うと、ルシアンは私の頰を撫でた。


「良かったら、もう少し聴かせて下さい」


身体を起こすと、ルシアンがすかさず支えてくれた。

ルシアンに背中から抱きしめられるように支えてもらい、祖母に教えてもらった歌を歌った。


何曲か歌い、ルシアンに抱きしめられて眠りに着く時、祖母が繰り返し言っていた言葉を思い出した。




──ミチル、覚えていてね。"名"を持つ私達の歌は、女神に届くのよ。

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