滅びへの道<皇帝の影 チエーニ視点>
ヴィタリー様の元へルシアン・アルトを連れて行った。
夜遅く、陛下がいつも一人でお過ごしになる部屋へ。
陛下はルシアン・アルトを見て一瞬驚かれた後、苦笑いを浮かべた。
その表情は何処か疲れていた。
「余を滅ぼしに来たか」
私は一歩前に出ると、その場に平伏した。
「ヴィタリー様、どうか私を影からお外し下さい」
「……遂にそなたにまで見限られるとは。いや……当然か」
嘲笑うような声音に、慌てて訂正を入れる。
「そうではありません。ですが私は勝手な事をしました。陛下の影は本来考えてはなりません。ただ忠実に陛下の命だけを完遂する事が正しいのです」
沈黙が降って来た。
私はヴィタリー様の言葉を待った。
「……では問おう。何故、余が命を狙っている者を、ここに連れて来たのかを」
「……陛下を助けられるのは、彼等であると思ったからにございます」
余を助ける? と言うと、ヴィタリー様はハッ、と鼻で笑った。
「私は、ヴィタリー様に生きていて欲しいのです。レーフ殿下の分も」
目の前に盃が投げられた。まだ中に入っていた液体が飛び散り、私にもかかった。
「何処へでも行け。二度と余の前に現れるな」
「…………は」
拳を握り、頭を上げた時だった。
ルシアン・アルトが私の横に立った。
「初めてお目にかかる、雷帝国皇帝、ヴィタリー・ダヴィード・リヴァノフ・ライ陛下」
ヴィタリー様は顔を背けたまま、何も答えない。
答えないのは無礼に感じるからではなく、この場から去れと言う意思表示だろう。
それを無視してルシアン・アルトは話を続ける。
「私はカーライル王国宰相が嫡子、ルシアン・アルト。
皇弟殿下の身代わりになるよう、陛下から命を狙われていた者です。ご希望に添えず、生きたまま対面する事になり、申し訳ありません」
何故ヴィタリー様を刺激するような事を?!
見上げると、ルシアン・アルトは驚いた事に陛下を睥睨していた。無礼にも程がある。
陛下はあまりの無礼さに驚かれたのか、ルシアン・アルトを見た。
「かつて賢帝と呼ばれ、弟の為に手段を選ばずにあのような卑劣な真似をした方が、弟の死を耳にして打ちひしがれているのですか?」
「……無礼は許さんぞ」
地を這うような低い声がヴィタリー様の口から漏れた。
ふっ、とルシアン・アルトは笑った。
「宮の奥底で命令を下すしか能のない貴方が怒った所で、何という事もありませんよ」
「……なんだと……?」
ヴィタリー様の表情が変わる。これまで数度しか見た事のない、本気で怒った顔だ。
対するルシアン・アルトは陛下がお怒りでも痛痒を感じていないようだった。
「事実を言われた程度でお怒りになるとは、狭量な皇帝だ。本当に、こんな男に私は何度となく命を狙われたのかと思うと、ため息しか出ない」
怒りで目元がぴくりと動いたが、返す言葉がないのか、強く睨み付けるだけで、お言葉を発する事はない。
緊張する。
この男をこの場に連れて来たのは間違いだったのではないかという思いが繰り返し頭の中を回り続ける。
「傷付くのも打ちひしがれるのも結構ですが、そんなのは後からやれば良い」
陛下の瞳が揺れる。
「貴方がた兄弟を引き裂こうと画策し、果ては殿下の命を狙った者達を殲滅してからでも良いでしょう。
それとも何もせず、殿下と再会した際にこう言いますか?
おまえを害した者に何も返さずにすまぬ、とでも?」
このルシアン・アルトという男は、わざとヴィタリー様にこのような口をきいているのか、それとも元からそうなのか?!
「私にも兄がおりますが、兄ならば絶対に私の仇を討ちます」
その言葉に、ヴィタリー様の眉間に寄った皺が消え、悲しそうに目を伏せた。
「……レーフは同じようには思ってくれまいな」
「本人に会った時に尋ねれば良いのでは?」
ハハ、と力なく陛下は笑った。
「そうだな、あの世で会った時にでも、そう尋ねるとしよう」
先程迄の険悪な雰囲気が嘘のように消えた。
「……ヴィタリー様、いつ、殿下の事をお耳に?」
「あぁ、国境に配していた影から、レーフの遺体が届いたとの知らせが夕刻に届いたからだ」
そう言って、殿下の事が書かれた報告書を私の方に向けて放り投げた。私は慌ててそれを拾い上げ、読んだ。
そこには、殿下のご遺体が国境に届いたが、何処に運べば良いのかと伺う内容だった。
「……この宮へと運ぶよう、命じた」
離宮はヴィタリー様とレーフ様が幼い頃に過ごされた思い出の宮だ。皇城よりも、殿下が戻って来るのに相応しいと感じた。
「レーフを弔う前に、兄として、皇帝として、やらねばならぬな」
その前に、と言葉を区切ると、陛下はルシアン・アルトを見つめる。
「ここまで乗り込んで来るのだ、余が掴めなかった黒幕を、そなたらは掴んでおるのだろう?」
「ほぼ全て知っていると申し上げて差し支えないかと」
苦い笑みを浮かべたヴィタリー様は、さすがだな、と素直にお褒めになる。
「愚帝に教えてくれぬか。余が何を取りこぼしたのかを」
「そうですね。ですがその前に、やっていただきたい事があります」
「やる事?」
ルシアン・アルトはにっこり微笑んだ。
美しい笑みなのに、恐ろしさを感じる。
「これまで辛酸を舐めさせられたのですから、今度はあちらが舐めるべきです」
「……何をすれば良い」
「大公を公の場で断罪していただきたい。
その場には私も立ちます。僭越ながら殿下の振りをさせていただきます」
「それは、ならぬ」
強い言葉で陛下は拒絶する。
ルシアン・アルトは陛下の次の言葉を待つ。
「命を狙い続けた余がこのような事を言うのはおかしい事は分かっている。分かっているが、これ程までにレーフに似たそなたを、危険な目にはあわせられぬ」
殿下亡き後、同じ姿のルシアン・アルトに危害を加えられるのを見たくないのだろう。
勝手だとは思うが、二度、殿下を失うようで、ヴィタリー様は耐えられないのだろう。
「大公を断罪出来るのであれば、私はどちらでも構いません」
「余の我を通して済まぬ。
成すべき事はする。見守っていてくれ。そして、余が果たせぬ時は、そなたの手で余を始末してくれぬか」
ルシアン・アルトは無表情のまま陛下を見つめる。
考えが一切読めない。
本当に心を持っているのかと思う程に、人形のように、瞳さえ揺れる事がない。
「分かりました」
後日、陛下は皇城に全貴族の参集を命じた。
来ない者は貴族位を剥奪するとまで、前代未聞な文言と共に。皇帝からの呼び出しに参集出来ぬ程の病なら尚更、爵位を返上せよ、とまで。
誰が見ても、大公に向けた文言である事は明らかだった。
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