提案<皇帝の影 チエーニ視点>

あのベネフィスという男の主人は、長きに渡ってヴィタリー様とレーフ様の命を狙う黒幕を突き止めたという。

大公や、大公派の不正ならば嫌と言う程に見つけていると言うのに。不甲斐ない事に我等は見つけ出せていない。

それを、見つけ出せたと言う。

俄かには信じ難かった。


あの男の要求は、自分達の邪魔をするなと言う事だった。

しかも、ヴィタリー様に報告しても良いなどと。


悩んだ。

報告した方が良いに決まっている。

それなのに、迷う。


そんな中、スタンキナ率いるレジスタンスが、大公派の貴族の屋敷を襲った。そこは、我等も目を付けていた、貨幣偽造をしている場所だった。

貨幣偽造をしている場所を見つけるのは造作もない事だった。その場所を制圧しようとすると、何故かいつも情報が漏れており、逃げられた後だった。

逃げられる事二回、ヴィタリー様はそれが正妃から大公に漏れていると思い、その情報を正妃に伝えるのを止めた。だが、その後も情報は漏れた。


大公の屋敷にあのベネフィスとか言う男ともう一人が潜り込んだのは分かっていた。それからあちら側の影が三人程大公の城に入った事も。


ルシアン・アルトはカテドラルに入ったと見られる。

護衛の為の影が何人も付いてる点からして、間違いないだろう。


邪魔はしない。だからと言って、監視をしない選択肢はない。私は引き続きアルト家の者達に影を配置した。


ヴィタリー様と正妃は毎朝、正妃が淹れた薬茶を飲むのが習慣だった。

心臓の弱いヴィタリー様に合う、強心効果のある薬茶で、正妃が燕国から取り寄せていると言う、高級な薬だ。

事実、ヴィタリー様のお身体の調子は格段に良くなっていた。


ヴィタリー様の血を分けた肉親と言えば、大公と正妃、レーフ殿下の三人しかいない。

大公に対しては色々と思うところがお有りのようだったが、従妹でもある正妃を大切にされていた。

側妃も、正妃が過ごしやすくいれるようにと大公派でまとめていた程だ。

正妃様はいと高きお血筋でありながら大変お優しく、下々の者にまで感謝の言葉を口にするような方だ。

月に一度、カテドラルに行き、ヴィタリー様の御代が続くようにと祈念される。

お二人の仲は疑いようがなかった。

問題は大公だった。


ヴィタリー様が何かをなさろうとすると、必ず何処からか漏れた。

城内の使用人を調べても、変えても、漏れた。

何処から漏れるか分からない為、少しずつヴィタリー様の口数が少なくなっていく。

誰を信じて良いのか分からない状況だった。


そんな孤独な状況の中、唯一の心の支えは、弟君であるレーフ殿下が無事にディンブーラ皇国で平穏な生活を送っている事だったろうと思う。

時間はかかっても黒幕を突き止めた後、帝位をレーフ殿下に譲るおつもりで動かれていた。


その為に、下劣であると分かっていながら、カーライル王国宰相の嫡子、ルシアン・アルトの命を狙った。レーフ殿下にそっくりな彼の者の死体を出せば、レーフ殿下はこの世にいないと思わせる事が出来、ひいては敵の標的を自分だけに向かせられると考えて。

帝国を治める者でありながら、弟可愛さに他国の何の関係もない、罪もない者の命を狙う私は、女神の怒りを買うだろう、いくら祈っても私に子が出来ぬのは、女神の怒りに違いない、そうおっしゃっていた。


皇国に行かせた陛下の影は、ルシアン・アルトを狙い続けた結果、大分数を減らしていた。流石諜報と謀略を得意とする家だけある。家臣の殆どが何かしらの武術を会得しており、屋敷内に忍び込む事すら出来なかった。何度も襲撃した。何度も失敗した。屋敷の守りは通常の貴族が用意する水準を超えていた。その上近衛騎士もいた。


その為、ルシアン・アルトが皇都を離れ、カーライルに帰国した際に、影を全員カーライルに向かわせた。本来ならそうすべきではないが、皇国に向かわせた影の数が減り過ぎていたのだ。

幸いな事に殿下を狙う追っ手はなかった。だからこそ、ルシアン・アルトに注力した。しかもそのルシアン・アルトはわざわざ帝国にやって来た。狙わない手はなかった。


ディンブーラ皇国は、同盟国の皇子であるレーフ殿下を守る為に影を数人付け、保護してくれた。

そう、彼らは守ってくれていた。だが、襲われたのだ。

ルシアン・アルトの父、リオン・アルトが持つ暗殺部隊に。その時の状況は殿下の従者であるレーリエから文書で報告を受けている。レーリエは気の抜けた部分こそあるものの、護衛としての腕は確かだ。そのレーリエが付いていながら襲われたと。


帝国としてはカーライル王国に厳重に抗議したいが、元々こちらが先にルシアン・アルトを襲ってしまっているし、その証拠も掴まれてしまった。繰り返し襲っていた際に影も何人か捕まった。

スタンキナがかつてカーライル王国に仕出かした事もある。かつ、ルシアン・アルトの妻はディンブーラ皇国の皇族。皇族の伴侶を襲う事はそれだけで重罪だ。

抗議すればこちらも叩かれる。

表向き、ヴィタリー様はレーフ殿下を疎ましく思っているように見せている。安易な反応は出来ない。

抗議すればこちらの非も当然突かれ、和平条約が破棄され、同盟国である関係を解消する事になる。


確かにヴィタリー様はレーフ殿下を皇国に逃がし、その後で大公をカーライル王国に向かわせ、カーライルとの関係悪化を理由に人の行き来を封じようとしていた。

女帝が辺境の意味も分からぬ愚か者であるから可能な案だった。カーライル王国との関係性だけを一時的に悪くしたかったのだ。辺境が脅かされても、物の分からぬ女帝ならば上手く行く筈だった。

だが、状況は変わった。であるならば、そんな事は出来ない。本当に戦争などしたいとも思っていない。


その上で絶対に命を聞かないと分かっていながら、ヴィタリー様は大公に二度目のカーライル攻略を命じた。

これは、大公を封じる為のものであり、実際に大公が動く事はない前提だ。

大公に関する情報だけは労せずとも入手出来ていた。と言うよりも、以前より遠慮なく不正を働いていた。我々を嘲笑うかのように。

案の定、大公は病気を理由に城に閉じこもってカーライル攻略から逃げた。

それでも情報は漏れる。

ヴィタリー様は大公そのものの動きを封じても意味がないと判断なさり、正妃に見舞いに行くように提案すると、ご自身だけ離宮に移った。

最低限の身の回りの世話をする者しかいない。もしここで情報が漏れた場合は直ぐに調べもつく。

予想通り、情報は漏れにくくなり、貨幣偽造の場所を2箇所、取り押さえる事が出来た。


正妃からは毎日のように手紙が届く。目は通すものの、お返事を書かれる事はない。

毎朝の日課である薬茶を、こちらに来てからは一日も飲んでいないにも関わらず、ヴィタリー様の体調に変化はなかった。侍医も無理をしなければ日常生活に問題はないと判断した。


ヴィタリー様は、正妃を信じる事を止めたようだった。

陛下の関心は、皇都のレーフ殿下にあった。

襲撃はされたものの、その後順調に回復していると、レーリエからの報告にあった。護衛も倍増され、殿下の身辺確保は厳重になったとも。

とは言え、殿下の身柄を皇国に確保されている状況は良いとは言い難い。人質状態と言っていい。剣術に優れている殿下と言えど、怪我をした身体であるし、護衛が増えるという事は監視も増えると言う事でもある。

殿下の護衛をレーリエだけではなく、こちらからも何人か見繕う事にした。




ヴィタリー様の命を受けて諜報活動をしている時だった。

強い視線を感じ、そちらに気を配ると、そこにはルシアン・アルトが立っていた。


どうする。

始末するか?

だが、向こうは既にこちらを認識している。

…認識している?


しまった…!


一瞬の隙を突かれ、両腕を拘束された。


私の前まで歩いて来たルシアン・アルトが言った。


「ベネフィスの頼みを聞いてくれた事、感謝している」


ルシアン・アルトに対峙するのは初めてだった。

確かに、レーフ殿下によく似ている。

だが、瞳の色も違うし、何より発せられる雰囲気がまるで違う。

殿下はヴィタリー様に慈しまれて成長なされたからか、成人してからも少年のような面をお持ちの方だが、目の前の男は、まだ少年と表現しても差し支えない年齢にも関わらず、それが無い。

私に向けられる目には何の感情も見られない。己が命をずっと狙うように命じて来た私を前にしていながら、一切の感情が見えないのだ。


「離宮にいる皇帝に会わせて欲しい」


そんな事は出来ない。

そう答えようとした時だった。


「殿下は落命された」


レーリエからの知らせでは順調に回復しているとの事だった。そんな筈はない。

こちらの感情は隠し切る。


「信じられぬ」


答えるべきではない。

反応すべきでもない。

そんな事は分かっている。

早くこの場を切り抜けて影を殿下の元に向かわせねば。

何が起きているのかを、正しい状況を把握しなければならない。


「皇帝が離宮に籠城した結果、大公の立場が危うくなったと案じられたのか、殿下の命が狙われた」


「馬鹿な」


「大公はもう後がない。不正の証拠は揃っているし、皇帝の正妃への寵愛も潰えたと聞く。強引な手法を用いられたとしても何ら不思議はない」


大公には影を付けているし、もしそのような依頼を裏に回せば私に必ず報告が来る。

ありえない事だ。


私の心を読んだように、ルシアン・アルトが言った。


「貴公の情報網は皇国まで及ばないだろうし、命じたのは大公では無い」


皇国の護衛が付いている殿下を狙う? そんな事が可能なのか?


「大公の為に動く存在がいるだろう」


それはいるだろう。己の立場を確固たるものにする為に。

だが、そんな筈はない。

大公派には諜報を行う者を付けている。


「殿下に面会を求めた貴族がいた」


そう言って見せられた指輪は、大きな宝石が付いた指輪だ。

ルシアン・アルトが指輪の宝石部分を回すと、隠されていた針が出て来て、液体がポトリと落ちた。毒を仕込める型のようだ。


「…ありえない」


「資金難に目を付けられ、少し前に大公に新しく与した貴族。それは殿下が皇国に来られてからの事。

殿下がそこまで警戒しなかったとしても不思議ではない」


その宝石には見覚えがあった。

皇帝派とされる、とある伯爵家の当主だけが身に付ける事を許された指輪に酷似している。

しかも今年、その伯爵の領地は近年稀に見る不作だった。


「調べれば直ぐに分かるだろう」


あり得る筈がない、という思いと、指輪の持ち主が脳裏にチラつく。

あの方が大公派に、付いた?


「時間がない。このままでは、皇帝の命が狙われる」


ゾクリとした。


「…貴殿を陛下と会わせたとして、何がある」


「皇弟として側に立つ。

そろそろ関係者に殿下が倒れたとの情報が知れ渡る。

そんな中、私が陛下の側に立てば焦るだろう」


「…皇帝に命を狙われていた貴殿が皇帝を救おうとするなど、理解出来ん」


「心から助けたい訳ではない。正直にどうでも良い。だが、私の妻がそれでは悲しむ」


先日、ベネフィスが言っていた。

姫が悲しむと。

ルシアン・アルトの妻は皇族であるとの事。であるならば姫と呼ばれてもなんら不思議ではない。


「彼女を悲しませない為に助けるだけだ。

ただ、全て片付いた時には、相応の借りを返していただく事になると思うが。まぁ、命よりは安く済むだろう」


そう言って微笑んだ笑みは、恐ろしく美しかった。

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