麻の如く乱れる<ノウン大司教視点>

皇帝からのかつてない呼び出しに、帝国貴族達は何が起きているのか、急ぎ情報収集を始めたようだった。

常に情報を収集している筈の彼等がこれ程までに慌てると言う事は、予想もつかない、まさしく異例の事だったのだろう。


帝国において爵位を持つ者はすべからく、来たる日に皇城に参内せよ。

この呼び出しに応じぬ者は、帝国貴族に相応しからずと見做し、爵位を剥奪するものとする。病にて参内が叶わぬ者は、直ぐに爵位を返上の上療養せよ。


誰がどう見ても、最後の一文は大公に向けたものであるのが明らかだった。

大公も陛下もお互いに城に籠り、どう出るかを伺っていただろう。


「これは、大変な事になりましたね」


レペンス枢機卿は眉尻を下げながらも、笑顔のままだった。


「枢機卿、このような時に、そのような笑顔はあまり……」


私がそう嗜めると、レペンス枢機卿は頷いた。


「申し訳ありません。前代未聞の事で、困惑しております。ノウン大司教は随分と落ち着いてらっしゃる」


「落ち着いている訳ではありませんが……まつりごとと信仰は別のものでございます。私はただ、何も起きぬようにと女神に祈るのみです」


この言葉に嘘偽りはない。

私は心から諍いが起きないで欲しいと願っている。

国が乱れた際に、一番最初に犠牲になるのは力を持たぬ民だ。それは避けたい。

だが、政と信仰が切り離されていると言う事は、こちらは何の力も持たないと言う事でもある。私には力が無い。


争いが起きた時の為に、少しでも多くの蓄えを用意すべきか、その相談をすべく枢機卿の元に訪れたのだ。


レペンス枢機卿の表情から笑顔が消えた。


「……長く混乱はしないのではないでしょうか」


「それは、何故そう思われるのですか?」


うーん、と唸ると、レペンス枢機卿は無表情のまま答える。


「……なんとなく、そう思ったからです。

まぁ、貴族達はしばらく慌ただしく過ごすでしょうが、平民は大丈夫ではないかと」


そうだろうか。私は不安が募るというのに。

……あぁ、そうか。彼はカテドラルにいて、貴族達との接触が多い。私が知り得ぬような情報を仕入れているのだ。

ただ、内容が内容だけに、口外出来ぬのだろう。


「備えはあっても困らぬもの。ノウン大司教のなさりたいようになさってはいかがですか?

それが一番、ノウン大司教の御心を安らかにして下さいますよ」


その言葉に私は納得して頷いた。


「そうですね。ありがとうございます、枢機卿」




供としてリュリュを連れて来ていた。久しぶりに同郷のレイと会いたいのではないかと思ったのだ。


中庭で、レイとリュリュが話をしていた。

明らかに力なく肩を落とすレイを、リュリュが困ったような顔をして慰めている。


「気を落とさないで。私達に出来るのは、目の前の事を片付ける、それだけだよ」


「……分かっている。分かっているが、己の無能さが恨めしい。何一つ上手くいかない」


人付き合い以外は完璧であると噂のレイが、リュリュに泣き言を言っている姿を見て、なんとまぁ、志の高い事かと感心した。

カテドラルの司教が、レイの事を"不器用だけれど一生懸命で人の嫌がる仕事を率先してやる健気な青年"だと評していたが、本当にそのようだ。

その志の高さ故に己を潰さなければ良いが。


「リュリュ」


声をかけると、二人はハッと顔を上げ、こちらを見た。

レイは頭を下げた。リュリュも頭を下げた後、私の元に歩み寄った。


「大司教様、枢機卿様とのお話は終わったのですか?」


「あぁ。帰ったらせねばならぬ事がありますから、リュリュ、手伝って下さい」


リュリュは笑顔になった。


「はい、大司教様」


私はポン、とレイの肩を叩いた。


「無理はしてはいけませんよ」


レイは顔を上げて私を見た。ただ、分厚い眼鏡が邪魔をして、表情は読めなかった。


帰りの馬車の中、リュリュに尋ねる。


「……レイは、大丈夫ですか?」


リュリュは困ったような顔になり、「ご覧になっていたのですね」と答えた。


「少しだけ話を聞いてしまったのですよ。盗み聞きするつもりはなかったのだけれど、申し訳ない」


首を横に振ったリュリュは、いつものように静かに微笑んだ。


「……レイは完璧主義者なので、思うように出来ない自分にがっかりしているだけです。いつもの事です」


「君達は付き合いが長いのですか?」


リュリュは頷いた。


「付き合いは長いですね」


「せっかくの縁です。これからも続くと良いですね」


リュリュは一度目を伏せた。

聞いてはいけない事だったのだろうか?

余計な一言だったかと思った時、リュリュが笑顔になった。


「これからも、続いていくと思います」


彼の笑顔にホッとした。


「大司教様は、皇帝陛下による貴族参集をどう見てらっしゃいますか?」


「うむ……異例な呼び出しであるし、一波乱あるのではないかと思っています」


「それは、猊下も?」


私は首を横に振った。

レペンス枢機卿はまったく落ち着き払っていた。


「いや、レペンス枢機卿は多少の乱れはあっても、大規模にはなるまいと読んでおられましたね」


「異例の参集を受けても問題ないと思える程の材料を枢機卿はお持ちという事ですね」


おや、と思った。

その言いようはまるで、貴族のそれだ。


「そうかも知れないし、そうでないかも知れない。

私達に出来る事は、戸惑った民に寄り添う事です」


リュリュは「はい」と答えて微笑む。


「そう言えば、頼んでおいたものはどうなりましたか?」


「大司教様のお名前で代筆をしておいたものを、全て執務室の机の上にまとめております。

お時間のある時にご確認いただけますでしょうか」


「あぁ、ありがとう。助かりました。

あれだけの数を書くのは時間がかかるし、なによりリュリュの字は美しいから、受け取った方も喜んでくれるでしょう」


「ありがとうございます」とリュリュはにっこり微笑んだ。


「それにしても、リュリュは書くのが早いですね。私がやったら一週間はかかるだろうに」


ふふふ、とリュリュは微笑む。


「慣れておりますから」


リュリュの字は美しい。早く書いても文字が乱れる事なく、美しい。これまでも代筆をしていたのだろう。

しかもリュリュの持っているマンネンヒツと言う物がまた、大変便利なのだ。

聞けばディンブーラ皇国の皇都で売られているらしい。私も欲しいが、それは無理だろう。


「枢機卿は大丈夫だとおっしゃったが、私は不安が拭えないのです。何かあれば民が苦しむ。そうなった時の為にいくらかなりと蓄えを用意します」


「はい、ノウン大司教様。御心のままに」


リュリュは微笑んだ。

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