059.再会と医療問題
カーライル王国のロイエからクロエに届いた手紙によると、鹿蹄草は産地によって効能の効き目に差が出るらしい。
ト国産の鹿蹄草には見られなかった効果が、燕国産の鹿蹄草にはあるらしく、それは、私が思っていたように避妊効果だった。
ロイエはト国産の鹿蹄草には本当にその効果がないのか、実は微量ながら存在し、継続的に飲む事で体内に蓄積するのではないかを調べるとの事。
殿下は言っていた。
皇帝の正妃は、皇帝の為に燕国から鹿蹄草を取り寄せているのだと。
ここからが問題で、正妃は避妊効果を知っているのかどうか、という点だ。
そういえば、主治医が変わってからト国から取り寄せた薬で皇帝の体調が良くなったという。その薬が鹿蹄草であると仮定するなら、わざわざ、ト国産から燕国産に変えた理由は?
強心作用を求めていたのだろうと思うけど、その効果がト国産と燕国産で差があるのなら、燕国産にこだわったとしても理解は出来る。納得は出来ないけど。
燕国の人が、この薬には避妊効果がありますよ、と伝えてくれていて、しかもそれが書面とかで残ってるのがベストだけど、そんなの無さそうだし、あってもト国産と同じ効能だと思っていたとか言われちゃったら終わりだよねー。
証明って難しいよね。
しかも相手は正妃だし、実際皇帝の体調が良くなっているのだから、責める事が難しい。
仲良いって殿下も言ってたし。
そういえば殿下、リュドミラが生きている事に驚いていたし、安堵していたっけ。
リュドミラって、殿下が好きだったよね?すっかり忘れていたけど。
好きだったら、助けてもらったのなら、会いたくなるのでは?
あれだけコイバナが好きなのだから、殿下の事を知ったらきっと…!
そう思った私はアビスにリュドミラを呼び出してもらった。
「はい、皇都にいらっしゃる事は存じ上げております」
えーと…?
なんでリュドミラさんてば、こんなに冷静なの?
「…会いたいとは、思わないのかしら?」
基本的に私の予想は外れがちですが、さすがに今回はそんな事ないと思ったのに?!
「今の私は何の身分も持たない一介の侍女にございます。殿下の前に上がるなどとても」
首を横に振るリュドミラは、少し悲しそうに微笑んだ。
「そうであっても、お礼ぐらいはしたいのではないの?」
私の言葉に、リュドミラは目を伏せ、少し思案した後、「機会があればお礼申し上げたいとは思っておりますが…」と言葉を濁す。
「ではこうしましょう。私の供として皇城に上がり、殿下にお会いしてお礼を述べればいいわ」
そんな事許されるのだろうか、と顔に書いてありますね、リュドミラ!
良いのですよ!クロエだって連れて行ってるのですからね。
分からない事はまだあるし、そんな事してる間にルシアンが帝国に入ってしまうかも知れない。
リュドミラを殿下に会わせている場合じゃないのも分かってる。
時間がない。それは分かってる。
何か糸口が欲しい。
動いてないと落ち着かないと言うか。何かしているうちに新しい発見があるかも知れない。
リュドミラに会う事で殿下が何かを思い出すとか、そう言った事にも期待していたりする。ごめん、リュドミラ、私の打算的な思いに巻き込んで。
今日も今日とて、図書室を襲撃する。
果たして殿下はいた。
私を見て微笑む。
殿下の後ろに立つ従者は複雑な顔をしている。きみ君、そんなに露骨に顔に出しちゃ駄目なんじゃないの?
「お邪魔してよろしいですか?」
殿下はにやりと笑う。
「勿論だ。今日は昨日のような驚かせるような事は言わぬのか?」
アレは意図したものじゃないって言うか。テンパっただけって言うか。
「連続したら効果が薄れますので」
そうか、と言って殿下はまた笑った。
殿下の笑い方は、ルシアンの笑い方と違う。人が違うんだから当然なんだけどね。
私は振り向いてリュドミラに目配せする。
緊張して小さくなってるリュドミラが、殿下の視界に入るように私は身体の位置をずらした。
殿下はリュドミラをマジマジと見つめたかと思うと、驚いた表情になった。
「…もしや、スタンキナ伯爵のご令嬢か?」
諦めたのか、覚悟を決めたのか分からないけど、リュドミラは一歩前に出てカーテシーをした。
「帝国の若き獅子、皇弟殿下。再びお目にかかれた幸運を、女神マグダレナに感謝致します」
「先日、ミチル殿下からそなたが無事であると聞いてはいたが、己の目で息災な姿を見れて安堵した」
そう言って殿下は立ち上がると、リュドミラに頭を下げた。
従者とリュドミラが同時に慌てて止めに入る。
「兄のした事、とても許される事ではない。貴女の父は爵位を奪われ、貴女も婚約者を失い、兄に……沢山の物を奪われてしまった」
「父の事は残念な事ではありましたが、本来大公様に任命されたものを、父が自ら申し出た事は聞き及んでおります。分不相応な申し出をした挙句に失敗したのです。お叱りは当然の事にございます。そうでなければ臣下に対して示しがつきません。
それに殿下は、誤解なさってらっしゃいます」
「誤解?」
リュドミラの顔が真っ赤になる。
「わ、私は、陛下のお手はついておりません」
………ん?!
私も殿下も従者も、きっとポカン顔になっていたと思う。
「……それは、どういう事だ?確かにあの時、そなたはその…」
殿下の顔も少し赤い。
ルシアン顔の赤面、超貴重。せっかくなんでガン見しておこう。
「あれは、そうして待つようにと言われたので、何も身に付けていなかっただけで、陛下は私の元にお越しになっても、何もなさいませんでした」
「一体…どういう事だ…?」
「お越しになった際に、そなたの事、父の事、守りきれなかった。すまぬ、とおっしゃられました」
えー…と、かなり重要な発言ですよね、ソレ。
これでますます、陛下は悪い人じゃなかった確率が急上昇ですよ!
殿下は、ハッと何かを思い出したように顔を上げた。
「どうやって、帝国から逃げおおせたのだ?」
確かに?!
帝都は帝国の中央に存在する。帝国は大陸の1/3を保有する大きさだし、女性一人が帝国を脱するのは容易じゃない筈だ。
「殿下から侍女のお仕着せを頂戴し、城を抜け出した後、教会に逃げたのです」
「カテドラルにか?確かにカテドラルにはレペンス枢機卿がおられるものな」
リュドミラはちょっと言いづらそうな顔をして、いえ、あの…と歯切れの悪い言葉を発した。
「違うのか?」
不思議そうに殿下はリュドミラの顔窺う。
「レペンス枢機卿は、その…」
「?」
私達はリュドミラの次の言葉を待つ。
「……私…レペンス枢機卿が少し…苦手なのです」
「…苦手?清廉潔白な人物だと聞いているが?」
怪訝な顔をする殿下に、責められてると思ったのだろう。リュドミラは困ったように殿下を見て、それから私を見た。
「殿下は枢機卿の元に行かなかった事をお責めになっている訳ではありませんわ。どんなに素晴らしい方だとしても、相性というものがあります」
そう言うと、リュドミラは少しホッとしたようだった。
「…幼い頃にカテドラルにお母様と祈りに行った際に、まだ司祭でいらしたレペンス様が中庭にいらっしゃったのですが、沈丁花の花を、その…」
一度言葉を区切ると、「足で踏み潰されたのです」と言って、殿下の顔色を見た。
殿下は眉を顰める。
当然の反応だ。
沈丁花は、ライ皇家を表す花だ。
その花を踏み潰すのは不敬とされる。
「リュドミラのお父様は皇帝陛下に絶対の忠誠を誓うお方ですものね。リュドミラからすれば、レペンス枢機卿を苦手に思う気持ちも分からなくありませんね」
沈丁花じゃなくとも、花を踏み潰すような聖職者なんて、嫌だろう。清らかさの欠片も感じられないもんね。
キレイな花を踏むとか、心が病んでるよ!
「はい…それで、別の教会に行こうと思いまして…ちょうど隣の街に行く馬車があるとの事でしたから、身に付けていた宝飾品を売って換金し、馬車に乗って帝都を出ました」
侍女姿なのに貴族令嬢が身に付けるようなアクセサリーは色々目立ちそうだもんね。
換金してしまうのはありだと思う。
「隣街に着いてすぐ、教会の門を叩きましたところ、保護していただけまして…家名は伏せて、シスターのお手伝いをさせていただきながら過ごしておりました。」
マグダレナ教会が、きちんと神の家として機能していた事が、不幸中の幸いですよ、本当に。
「それから間もなくして、よくして下さっていたシスターが、ディンブーラ皇国のカーライル王国にお勤めに行かれると伺って、無理を承知で私も連れて行って頂けるようにお願いしましたら、シスターがお許し下さり、シスター見習いとしてカーライル王国に入ったのです」
うーん?
カーライル王国ってそんな簡単に入国出来る国だっけ?
帝国とギウス国との境目にあるから、そちら側からの入国に関してはかなり厳しいと聞いてるんだけどなー。
「当然ではありますが、私は関所に留め置かれまして」
うん、そうだよね?
普通に入れないよね?
「何日か関所におりましたところ、アルト侯爵様がお越しになって…」
あー…。
殿下もあー…という顔になってる。
多分、私と同じ事を思ったんだと思う。
「いくつか質問を受けた後、アルト侯爵様が、私を預かるとおっしゃられて…そこでシスターとは別れる事になってしまったのですが、いつかお会いしたらお礼を申し上げたいです。私の命の恩人です」
思い出して祈るリュドミラを見て、複雑なキモチになる。
…お礼はいらないと思うナ。
多分だけど、そのシスター、本物のシスターじゃないと思うし…。何処ぞのアサシンファミリーの手の者だと思うし…。
いくらなんでもおかしいよ…。関所に宰相自ら来るとか。
絶対リュドミラが何者か分かった上で迎えに来たんだと思う、オトーサマが…。
「それでアルト家で保護されていたのですね」
はい、とリュドミラは頷いた。
リュドミラは殿下の方へ向き直ると、深々と頭を下げた。
「殿下、お助けいただき、ありがとうございます」
「いや、私は侍女の服をそなたに渡したぐらいしかしておらぬ。礼を言われるほどの事はしていない」
「そんな事はございません。殿下が塔から私が身を投げたのを見たとおっしゃって下さったからこそ、逃げられたのです」
そう言って微笑むリュドミラに、殿下はそうか、と答えると、微笑んだ。
ルシアンの事は気になるものの、宰相代行をしているラトリア様の補佐もしなくてはならないので、執務室に入る。
さてと、熱中症対策は経過を見ながら対応するとして、孤児院がそろそろ完成するので、孤児を保護しなくては。
その事をおやつミーティングで尋ねる。
私の問いに、ラトリア様が答えてくれた。
「各ギルドを通して孤児を見たら保護するように通達しております。孤児院が出来るまでは城の牢にて保護し、孤児院完成後に大衆浴場を貸し切り、清潔にしてから孤児院に入れる予定でおります」
ラトリア様の口調がかしこまってるのは痒いけど、皇城での私は皇族という立場があるから、痒さを我慢するしかない。
「牢で保護しているのは窃盗団に連れて行かれない為ですか?」
「左様にございます。
孤児の保護が完了しましたら、窃盗団のアジトを壊滅させる予定です」
いくら孤児を保護しても、窃盗団を壊滅させないと意味ないもんね。
「孤児の衣服につきましては、アルト家で用意させていただく予定でおります。
あまり華美にならないように、実用重視でお願いしてありますが…」
ラトリア様はハハ、と乾いた笑いをした。
…あぁ、うん。
そうだった。二人はそういう人達でした。
「孤児達を医者に見せるのは決まっておりますか?」
私がそう言うと、皆がギョッとした顔になる。
孤児を、平民をわざわざ医者に診せると言っているからだろう。ここにいるのは全員貴族だからね。
「アレクサンドリアと同様の事をなさりたいという事でしょうか?」
頷く。
「もし、感染するような病気を持っていたら、孤児院で共同生活はさせられませんもの、当然です」
何人かが納得したように頷く。
誰かがぽつりと「引き受けてくれる医者がいるかどうか…」と呟いた。
アレクサンドリアの時は、アビスが医者を手配してくれたけど、そもそもとして、この世界での医療というものを私はよく分かっていない。
アビスもそんなような事を言ってたしな。
そもそも、医者は貴族がなるものだからなぁ…。
平民が医者にかかろうとすると、物凄い高額のお金を積まないと診てもらえないって言うし。
「医者が見つからないのであれば、私が診ます」
医療改革もしないと駄目そうだなー。
明らかに頭が良い平民の子を医者に育てあげるのが早道だろうか?
「殿下、それはなりません」
駄目って言われたって、病気持ってるかの確認は必要ですよ?
「医者は貴族しか診ないのでしょう?
命令して診ていただいたとしても、適当に診られては困るのです」
それじゃ意味がない。
医者は直ぐに育たないし。
平民向けの学校も、裕福な家の子供しか行ってないっていうし。 そんな裕福な家の子が貧しい人を助ける筈ないしなぁ…。
平民はちゃんと税を納めている民なのだ。
税だけ奪って庇護しないなんて、最低だ。
結果として、答えは出なかった。
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