057.兄と弟の本当のトコロ 其の二
「兄上は好戦的な性格ではない。お身体が丈夫でないのもあって、いつも花を愛でてらっしゃるような方だった」
何がきっかけで人が絶望するかは分からない。それはその人にしか分からない。
…それだけ優しい人だったって事? でも、賢帝って言われたりもしてたんでしょ?
うーん…なんかしっくり来ないんだよね。
「殿下、皇帝陛下の幼少時代の事を教えていただけませんか?」
三つ子の魂百までという言葉があるように、人間の本質は変わらない。
変わる時には人格を根底から覆すような事があった場合だろうと思う。
「兄上はお身体こそ弱かったが、とても頭が良く、私など到底叶わぬ程で、いつも先を見通してらっしゃった。
私はいつも兄上のお好きな花を摘んで、兄上に届けに行った。そうすると、兄上はいつも優しく微笑んでありがとうとおっしゃって下さるような方だった。
ただ、長くは生きられないと言われていた。
私が12になって間もなく、私と父上と母上が乗っていた馬車が事故に遭い、父上と母上が崩御なさってから、兄上は少しお変わりになられた。
父に代わり皇帝に即位する事が決まったから、当然と言えば当然の事だったのだが」
両親を一度に失ったの?!
「殿下はその事故でお怪我はなさらなかったのですか?」
「母上が守って下さったからな、私は傷一つ負ってなかったよ」
それは複雑な気持ちだったかも知れないな。
「…もしかしてそれで、皇帝は殿下を逆恨みして?」
私の酷い質問に、殿下は首を横に振った。
「奇跡的に助かった私を、兄上は労りこそすれ、そのような扱いをなさった事はない。
私だけでも助かって良かったと、泣いて喜んで下さって、自分だけ生き残った罪悪感に打ちのめされていた私を、抱き締めて下さった」
両親が亡くなると言うのは、絶望させるのに十分な出来事だとは思うものの、皇帝はそうは思わなかったのか、気にしないフリをしたのか…?
「兄上が皇帝になり、主治医が変わり、心の臓に効くという薬がト国から入手出来るようになってから、見る間に回復されていった。
剣術などは無理だったが、それまでの寝台に伏せっているような生活からは脱された。あれは、本当に嬉しかった」
その時の気持ちを思い出したのか、殿下がふわりと微笑んだ。
本当にお兄ちゃんの事が大好きなのだと分かる。
分かるけど、ルシアンそっくりな顔でこんな事言ってるのを見ると、なんだかラトリア様が不憫になってきた。
「兄上は政務に真剣に取り組まれて、その甲斐あって帝国内は少しずつ安定し始めた。
私は兄上のお役に立とうと切磋琢磨していた」
良い人じゃん、陛下。
「お優しく、賢い方なのですね、皇帝陛下は」
殿下が笑顔で頷く。
「自慢の兄だ。あのような素晴らしい方を、私は他に知らない。本当に毎日が充実していた。兄上の為に働ける事が嬉しくてたまらなかった。
……その頃だったか、兄上はおっしゃった」
目を伏せて殿下は言った。
「私に諸外国を見て来る気はないかと」
んん?
かなり良い感じだったのに、どうしてイキナリ??
「無論私は拒絶した。兄上のお役に立ちたいと答えて。
今思えば、あの頃から私の事は目障りだったのかも知れないな」
悲しげに微笑む殿下。
何だろう、この咽喉の奥に魚の骨がひっかかっちゃったみたいな不快感。
誰だって心に闇はあるものだろうけど、なんかしっくり来ないんだよね、皇帝がおかしくなるのが理解出来ない。
「この流れで、何故ハウミーニアにスタンキナ伯爵を派遣する事になったのかが分からないのですが?」
「あれは突然だった。それまでそんな事を口にされた事など無かったのに、大陸を制覇するとおっしゃって。
その為の調査を大公、叔父上に命じたのだ」
…ん? スタンキナ伯爵じゃないの?
「スタンキナ伯爵は、殿下の叔父上なのですか?」
「いや、そうではない。
叔父上に命じたのだが、スタンキナが自分が行くと言い出したのだ」
ふむふむ?
「結果、失敗したスタンキナを罰するべきだと叔父が言い出した。私が行けばこうはならなかったと言ってな。
口ばかりの、どうしようもない方なのだ、叔父は。
それならば叔父上が行ってくれと話を振れば、失敗したばかりだから向こうも警戒しているだろうから、今は行けないなどと言って、それからものらりくらりと逃げ続けた」
いるいる、口だけ男! 何処にでもいるよね!
後からなら何とでも言えるよ!
「スタンキナは戻って来ず、そうこうしてる間に兄上はスタンキナの娘を強引に召し上げた」
「リュドミラを助けて下さったのは殿下だと、聞いております」
殿下は驚いた顔をする。
「……彼女は生きているのか?」
「アルト伯爵家で保護しております」
「アルト家が保護を?」
途端に殿下の顔が怪訝になる。
殿下が助けて、アルト家に送り込んでくれた訳ではないって事ですね?
「そうなのか、それは良かった」
ほっと息を吐く殿下。
…お義父様が助けたって事?
それでカーライルで保護を?
「ある時から、兄上は貴族の娘を召し上げ、気に入らぬと塔から突き落として殺すという暴挙に出始めた。
子供が出来ず、その焦りから乱心したと言われ始めた」
えええええ?!
悪魔のような所業じゃない?!
「今年に入ってから、私は兄上に命を狙われるようになった」
「何故、皇帝から命を狙われていると分かったのですか?」
「斬り伏せた暗殺者が、皇帝直属の影しか持てぬ証を持っていたからだ」
なるほど、それで皇帝が自分を暗殺しようとしていると思ったと…。
「殿下は皇国に来てから命を狙われた事は?」
「…ないな」
「皇帝直属の、その影というのは、皇城に忍び込めない程無能なのですか?それとも皇国の守りが強すぎるのでしょうか?」
「いや、潜り易いとは言わないが、一人も潜り込めないのは考えにくい」
「殿下はお強いのですね。
以前、破落戸にお助けいただきましたものね?」
「私如きが影に勝てる筈は…」
言いかけて殿下は言葉を飲み込む。
「でも、お倒しになられたのですよね?」
「確かに、あの者は影しか持てぬ証を…だが…」
私はため息を吐いた。
ずっと引っかかっていたものが、これで分かったような気がした。
「皇帝陛下は殿下のお命を狙っているフリをなさってるのですね」
殿下の目に動揺が走る。
これまで信じていた事と真逆だもんね。
「まさか…そんな…何の為に?」
「何の為? 殿下を守る為に決まっております。
思うに、帝国を出る気があるかのご質問もそうだったのだと思いますよ。殿下の身に危険が迫っていたから、殿下を逃がそうとした。でも殿下はお断りになりましたから、別の方法をお考えになられたのでしょう。
殿下を襲ったというその影も、本物ではなさそうですし。普通なら、身元が判明するような物を保持したまま襲うのも理解出来ませんし、それ程の手練れを殿下があっさりと倒せたのもおかしいと思います」
殿下は口元に手をあて、何かを必死に考えているようだ。
「リュドミラを助けた事で、殿下はお叱りを受けましたか?」
「いや、受けてはいない、何もおっしゃらなかった」
「それから次々と召し上げられていった令嬢の家から、皇帝陛下に苦情はありましたか?」
「…何もない」
「それは、忠臣ではありませんね」
「忠臣…」
忠臣であれば、皇帝を止めようとする筈だ。
次々と、と言ってるのに、誰も苦言を呈する事なく、娘を差し出していたと言う事だ。
「叔父上は無害な方なのですか?」
「…毒にも薬にもならぬ愚物だ。前皇帝の弟ではあるが、母が庶子だからな、皇帝にはなれぬ」
野心を持っても、無理なのか。
「それは絶対に覆せないものですか?」
「いや、他に後継者がいない場合は例外的に認められるが…」
となると、その口だけ男が皇帝になる為には、前皇帝も、現皇帝も、殿下も邪魔だって事だよね。
前皇帝と殿下が事故ったのもその叔父の所為だったりしてね?
「皇帝陛下は、長く生きられないと言われていたのですよね?」
「そうだ。二十歳まで生きられないだろうと言われていた」
だとするなら、次の皇帝は殿下が最有力だった筈だ。
殿下と前皇帝を仕留めれば、現皇帝は勝手に死ぬと、叔父が思ったとしたら?
「お辛い記憶だとは思いますが、敢えてお尋ねしますけれど、両陛下とご一緒された際に起きた事故は、人為的なものではないのですよね?」
「人為的ではない。さすがに皇帝の命を狙ったものかどうかは徹底的に調べるからな」
「その、調べた方は叔父上と懇意の方だったりしますか?」
私の質問の意図が分かったのだろう。
殿下は眉を顰めた。
「叔父上を疑っているのか?」
「一番利を得る方ですから」
一番旨味を享受する人を疑うのは当然だよね。
「叔父上には男子がいない。いくらご自身が皇帝になったとしても一代限りだ。それよりも娘を皇帝の妃にし、国母にした方が利がある。
事実、叔父上の娘は兄上の正妃として上がっており、お二人は仲が良い」
「ですがお子が生まれないのですよね? 皇孫が欲しければ、皇帝陛下より殿下にと近付く可能性はありませんか?」
「私と叔父上は仲が悪い。私の代わりに権力を得るのは難しい。兄上は叔父上をたてるからな、傀儡にするなら兄上の方がやりやすかろう」
むむむ。
って事は、叔父は殿下を鬱陶しいと思ってるって事は?
「それに、叔父上は正妃である姉上に何としても子を産んでもらいたいと思っていて、世界中から薬草やら呪いの類まで取り寄せているぐらいだ」
なんだろう、野心はあるけど、その為に無茶をしそうな人にも思えなさそうな人だな、叔父さん…。
うーん、結構核心に近付いてる気がするのに、何かまだ足りない気がする!
パズルのピースが足りない感じ!
「他に皇位を継承出来る方はおられますか?」
「いや、私が知る限りではいない。
父上は母上だけを妻とした。それで帝国の貴族とは一時期険悪な関係になったぐらいなのだ」
「珍しいですね、正妃しか持たない皇帝は」
うむ、と殿下が頷く。
「祖父の代で色々あってな。
男子の出来なかった正妃と離縁し、新しく迎えた正妃にも子が出来なかった為、別の公爵家から新しい妃を娶り、父上が生まれた。それから平民の娘との間に叔父上が生まれたようだ。
そう言った事があって、父上は余程の事がなければ妻を増やす気はないと決めていたようで、兄上と私が生まれた事もあり、妻は一人だけなのだ」
なんか昔のイギリスのようだ。
当時キリスト教会では離婚が認められていなかったから、離婚する為にイギリス正教会を作って、そのトップに国王が着いたんだったかな。
それで生まれたのが、ブラッディメアリーこと、メアリ女王と、エリザベス1世。母親は異なる。女しか生まなかったと全員離婚してたような…。
その後に男子が生まれたけど早逝して、メアリ王女が女王になり、カトリックに改宗して血の弾圧を行い、子供に恵まれないまま死んじゃって、エリザベスが女王になったけど、どの国とも婚姻関係を結ばず、スペインの無敵艦隊なんかも倒しちゃったりして、結局プロイセンだかにいた血縁者を養子に迎えて続いてるのが今のハノーヴァー朝だったような…うろ覚えだけど。
現代での知識があるから分かるけど、男子が生まれないのは、はっきり言って奥さんの所為じゃないし。全部男側の問題だからね。
その辺の知識をこっちの世界に広めたい!女子は悪くないんだぞ!!
それはさておいても王家は大変だよね、お世継ぎ問題。
いないと困るし、多くても困るし。
能力でも困った事になるし。
………という事は、皇位継承権を持つのは、現皇帝と、殿下と、叔父上だけ。
怪しそうなのに怪しさが足りない叔父さん。
全ての謎が解けないのは、私がアホだからという可能性が大ではあるものの、このままではいかん。
とりあえず現状起きている、ルシアンが狙われている状況を何とかしなければ…。
何があれば止まる?
…ってなると、やっぱり殿下が皇国の皇族と婚約とかが良いと思うんだけど…。
いや、待てよ?
ルシアンの行動を止められれば良いのか?
その場合、私関連だろうか?
でも、私の身に何かあった、ってなったらお義父様も許さないだろうしなぁ…。
嘘だとバレてからが怖いし…。
「何を考えている?」
「ルシアンが命を狙われるのを止めたいのですが、その場しのぎは思い付いても、根本的解決を思い付かないのです。
陛下が殿下を救いたいのは、誰かを恐れているからです、多分。最初は大公かと思ったのですが、どうもそうではないみたいですし。
もし本当に大公が陛下の命を狙っているなら、娘に命令するでしょうし」
「ありえん。義姉上は、兄上の心臓に良く効く薬を燕国から取り寄せている程なのだ」
「そんな薬があるのですね」
クロエとかロイエが食い付きそうな話題だわー。
「薬草なのですか?」
「そうだ。小さな白い花を付ける草で、楕円の濃い緑の葉の薬草だ。ト国や燕国だけで取れる珍しい薬草なのだ」
殿下は立ち上がると、薬草図鑑を持って来た。
ペラペラとページをめくり、これだ、と言って見せてくれた。
色付きで図解されたその絵を見た瞬間、全身の毛が逆立った。
薬草図鑑の効能を見て、自分の記憶が間違えてない事を確信した。
「どうした?! 顔が真っ青だぞ?!」
「殿下…この薬草にはもう一つ、効果があります」
効果?と、怪訝な顔をして殿下は聞き返した。
「避妊です」
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