041.己への嫌悪感
純白のロングトレーンのドレスが届いた。
細かなつる草の刺繍が施され、随所にダイヤモンドが散りばめられた意匠の凝ったドレスだ。
こんなものが直ぐに出来る筈はない。
一体いつからこれは作られていたのだろうか…。
もとい、私はいつから皇族になる事が決まっていたのだろうか…。
じっとドレスを見つめていた私に、セラが言った。
「皇族の養子にならないかとバフェット公爵夫人とゼファス様からお声がかかった後から、作らせていたようよ」
…なるほど。
明後日、私は立ち並ぶ貴族達の目の前で、皇族の仲間入りをする。
領地はいただかないみたいなので、ホッとした。
って言うか、皇族になっても、カーライルに帰れるよね?
なんだか無性に、カーライルが恋しい。
「カーライル王国から王太子夫妻がお越しになるわよ」
「えっ?モニカが来るのですか?」
セラが頷いた。
「アレクシア姫が立太子された事のお祝いがメインらしいけどね」
嬉しい。
モニカに会いたい。
あの、何でもズバズバ言ってくるモニカに会いたい。
「大奥様もお越しになるわ」
たった数ヶ月しか離れてなかったのに、状況が目まぐるしく変わっていった所為で、もっと長い事会えていなかったような気がしてならない。
気持ち半年以上は会ってない感じだ。
「…早く、お会いしたいわ…」
ルシアンに膝枕をしてもらっている。
私の髪を、ルシアンは優しく撫でる。
逆じゃないのか、といつも思うけど、結局こうなる。
多分コレ、ペットを撫でてるみたいな感じ…。
「このまま、聞いて下さい」
ルシアンに背を向けたままの状態で、話を聞けと言う事は、あまり良い話ではないのだろう。
「キャスリーンの事は誰かから聞いているかも知れませんが…一連の事で一番の被害を受けたミチルに説明しないのは良くないと思うので」
私は以前、お義父様に駒として使っていいから、説明してくれとお願いした事がある。
それを覚えていたのだろう。
「女帝が即位してから、彼女が気分本位で行動する為に、その行いに耐えかねて自ら去った者、追われた者が多くおりました。他国に出て行った貴族も少なくなかったそうです。
バフェット家との諍いもあり、皇室の求心力は低下の一途を辿り、その間に貴族の腐敗が進んだ事は想像に難くありません」
皇室が機能していなかったなら、不正はし放題だったろう。
「アレクシア姫は厳しく立ち回るべきでしたが、生来の心根の優しさから、重い処罰を嫌がった。
叔父もまた、皇国貴族に唆されたキャスリーンから重い処罰を止めてくれと頼まれ、本来課されるべき罰は半減され、それにより皇国貴族達は姫と宰相を操れると判断したようです」
結果として、舐められたと。
キース先生の下にいるとルシアンも判断されて、取り込む為に令嬢達が群がり、私に嫌がらせをし、カーライル王国に追い返そうとした。あわよくば離縁させようとした。
殿下が来てからは、キース先生もいるから、無理にルシアンを取り込むよりも、帝国の皇弟の元に娘を嫁がせた方がメリットがあると判断したのか…?
「リュドミラの小説が流行った事で、エルギンは腹を立て、私に目に物見せようと思ったのでしょう。
あの小説は良くも悪くも起爆剤になりました。己の家の不正を暴露される事を恐れた者達と、煮え湯を飲まされたオドレイ家は手を組み、エルギンの企みが上手く行くように手助けをしたのです。これはエルギンも知らぬ事です。
露見した場合にも、全ての罪をエルギン家のみになすり付けるつもりだったのでしょう」
殿下が気付いて助けてくれた為、私は多少の怪我はしたものの、事無きを得た。
結果としてエルギン一門が表立って罪に問われたが、それも軽い罪だった。
貴族を罰する事は難しい。
一度平民に身を落とさせてからでなければ、犯罪者として罪に問う事もままならない。
それこそが、貴族の持つ権利であり、だからこそのノブレス・オブリージュなのだ。
「加担した貴族の中には、キャスリーンの実家もありました。キャスリーンに依頼したのはオドレイだそうです」
何故キャスリーン様が死ぬ必要があったのかと思っていたら、そういう事だったのだ。
「父は、アルト家に仇を成す者を許しません。私も、そうするようにと教育されております。
ですが、ミチルに危害を加えた者を罰してくれるように何度申し出ても、姫と叔父がそれを軽減してしまう。
これでは埒があきませんから、私はカーライルに戻りたいと申請したのですが、それすら却下される始末。
その件について父に報告しつつ、私は私で該当の貴族達に処罰を与える事にしました。
そしてあの件が起きたのです」
あぁ、それでキース先生は罰せられたのだ。
「キャスリーンの実家は、全員処分されました」
背筋を冷たいものが走った。
処分--殺されたのだ、全員…。
「ミチルが皇族籍に入る事は、オットー家を除く6家全てから承認を受けました。
これにより、皇国の貴族は、皇室そのものがアルト家を支持したと見做します」
「…脅したりはしてないですよね?」
上からくすっ、と笑うのが聞こえた。
私の頰を、ルシアンの手が撫でる。
「大丈夫ですよ。
皇国貴族の腐敗に頭を悩ませていた公爵達は、これを機に皇国の腐敗を一掃するというアルト家の案に賛同したのです」
なるほど。
「今回の事で、姫は己の甘さを痛感させられたようです。自分のやってきた事が、何を引き起こす切欠になったのか、フィオニアが話したようです」
「フィオニアが?」
何故フィオニアなんだろう?
「あぁ、ミチルは知りませんでしたね。
姫はフィオニアに想いを寄せているんですよ」
「えっ?!」
思わず振り返ってルシアンの顔を見る。
「私の命を受けて姫を修道院から出し、クレッシェン公爵家に戻し、皇太子として相応しいかを定期的に確認していたのはフィオニアです。
そのやりとりの中で、姫はフィオニアを想うようになったみたいですね」
こんな時なのに、コイバナにちょっと浮き足立ってしまった。
…で、その好きなフィオニアに、姫は叱られたのかぁ。
「完全に甘い考えを捨て切る事は不可能でしょうが、私が宰相代行になりますから、これまでのようにはいかないでしょう。罪にはそれに見合った罰を与えます。
先日のエルギン一門に関しては、平民に身を落としましたから、これで明確に罪に問えます。
関与した者達は須らく牢獄に入ります。犯した罪の中では、殺人に関するものもありましたから、そういった者達は極刑は免れません」
「それは、女性や子供も含まれるのですか?」
「貴族の妻は夫の為に情報関連を担います。それもまた、罪に問われるでしょう。
子供に関して言えば、物心のついてない幼子であればまだ生かしておく事も出来るでしょうが、5歳を過ぎれば教育が始まっている筈です。生かしておくのは難しいでしょう。一人二人なら大丈夫でも、集団になれば、その子供達が成長した後に手を取り復讐する事も考えられますから」
あぁ…そうだよね、貴族の女は、美しいだけじゃ駄目で、頭の良さをひけらかしても駄目なんだよね。
夫をたて、子を産み、夫の為に情報収集を行い、夫に有利になるように裏から立ち回るのだ。
子供も、5歳から貴族として教育が始まるのが通例だ。
8歳ともなれば一人の人間として、貴族として正しい振る舞いをする事が求められる。
前世とは、違うのだという事を思い出した。
自分の家を潰されたと思い、恨みを募らせた子供達が将来、復讐の鬼になるのを防がねばならない。
「今回の件はオドレイ侯爵家を筆頭に、罪に問われる家が5つ程あります。
ミチルが皇族籍に入ってからの処罰になりますから、不敬罪が二重に適用されます。そもそも、皇室は再三に渡り私とミチルに干渉するなと通達しておりましたから、それを破った時点で不敬に当たります」
こうなってくると、異例に見えた、皇室からの再三に渡る警告は、暗に、私が皇族になる事を仄めかしているかのようにも見える。
将来的に皇族籍に入るから、だからちょっかいを出すなと言い続けていたと。
「粛清により、皇国の貴族は激減するでしょうが、不遇にも耐えて皇室の維持に寄与した者達には、その功績に相応しい褒賞があります」
それは、フローレスやステュアートのような者達に日の目が当たるという事だろうか?
「…それから、ミチル、源之丞殿は燕国に帰ります。
今回、私を足止めする為に源之丞殿の乳兄弟が拉致されたのです。計画の全容も知らず、私を呼び出して直ぐに、誰に何を頼まれたのかを全部話してくれました」
私はルシアンの頰を撫でた。
ルシアンは泣いたりはしないだろうし、表情もあまり変化はないだろう。
でも、ルシアンと源之丞様は友人だ。きっと、自分の事に巻き込んでしまった事をいくらかなりと気に病むだろうし、こんな別れ方は本意ではないと思う。
「…大丈夫ですよ、ミチル。源之丞殿の事は確かに思う所はありますが、貴女に勝る存在はいません」
媚薬を飲まされ、よく分からない男に襲われそうになった私を助けてくれたのは殿下で、殿下は私に手出しをせず、部屋を出て行った。
それから間もなくして、ルシアンが私を迎えに来てくれて、屋敷に連れ帰ってくれた。
ルシアンはずっと、私への謝罪を口にしていた。
泣いてしまうのではないかと思う程に、悲痛な顔をして、ずっと、ずっと謝っていた。
その日の夜、屋敷にお義母様が到着した。
お義母様はルシアンとセラを呼び、横に並ばせると、いきなり二人の顔をひっぱたいた。
物凄い快音が部屋に響く。
「何か反論する事は?」
お義母様とは思えないような低い声とその剣幕に、言われた訳ではない私の方が怖くて怯えてしまった。
意外な行動に戸惑ってしまう。
私の中の嫋やか美人のイメージが…。
「いえ」
「ございません」
二人とも頰が真っ赤だ。
あれはきっと腫れると思う。
それから全員を部屋から追い出すと、お義母様は私を強く抱きしめた。
「怖かったでしょう。本当に、無事で良かった」
お義母様の柔らかさと、良い香りに包まれて、緊張が少しほぐれたのが分かる。
「私、以前、媚薬を飲まされた事があるのよ」
さらりとお義母様が言った。
あまりの軽い声音に聞き間違いかと思った。
「リオンと婚約して間もなかった頃にね、私に想いを寄せていた人が、婚約を駄目にしようとして、強硬手段に出たの」
両思いの二人を媚薬で引き裂いて、自分と婚約させようとしたって事?!
なんて奴!許せない!!
「あの時のリオンったら、怒って凄かったのよ。
後にも先にも、あんなに怒ったリオンを見たのは初めてだったわ。
今回ミチルが媚薬を盛られて、あの時の事を思い出したんじゃないかしら。あまりに怒り過ぎて、お気に入りのグラスを握って割ってたし」
ひぃ…っ。
大魔王が降臨する…!
「媚薬を盛られた時の感覚や衝動は、本来の己のものではないわ、ミチル。隠された欲望とかでもないの。
だから、自分を許してあげて」
お義母様のその言葉に、涙が溢れた。
セラと話した時に泣いたものの、あの件の後、私は泣いていない。
無事に済んだからとかではなく、頭の奥の方にもやがかかったみたいで、これ以上考えちゃ駄目だと、止めている自分がいる気がする。
キャロルの時の恐怖は、ある意味一瞬だった。気絶してしまったから。思い出せば背中がひやりとする。
ベンフレッドに拘束されていた時も恐怖と嫌悪でいっぱいだった。吐きそうだった。
それと、あの令嬢の事が思い出されて、気持ちがぐちゃぐちゃになって、なんとも形容しがたい。
でも今回の媚薬は、自分の中が壊されていくような感覚がした。絶対に嫌なのに、身体が求めるように、頭がそれを受け入れようとする。
媚薬の所為なのか、そういった事を望む自分がいるからこんなに効果が出たのではないかとか、いや、ほんの僅かでも効果が出る強い媚薬だとリリーが言っていたとか、そんな事をぐるぐる考えてしまって、自分の中で何一つ片付いていない。
見てはいけない自分を見てしまったような気がして。
かと言ってそんな事誰にも言えなくて、自己嫌悪だけが募っていた。
「だから、大丈夫よ、ミチル」
お義母様に抱きついて、それからも私はしばらく泣いた。
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