青い炎と赤い炎<セラ視点>

炎の温度が上がると青くなるが、ルシアン様は青い炎のような方だと思う。

炎そのものの大きさは然程ではないけど、触れればただでは済まない、火傷を負う。

対して、ルシアン様に瓜二つの殿下は赤い炎のようだ。

熱く、その範囲はあっという間に広がる。周囲を巻き込む、大きな炎。


皇国の貴族によるミチルちゃんへの態度は、ルシアン様を苛立たせていた。

ツォード・オドレイは、ミチルちゃんを面と向かって罵倒した。しかも、男好きする容姿だと言ったものだから、許される筈はない。


フィンはルシアン様の気持ちを汲み、ツォードを軽く罠にかけた。

ツォードが賊に襲われたとの噂を流したのだ。

何故嫡男であるツォードが廃嫡になった上に領地に引っ込まねばならないのか、その理由が明確でなかった為、簡単に噂は広まった。

賊に襲われた際、ツォードは男として大切な部分に傷を負い、子を望めない身体になったのだと。

自然と噂は肥大化し、広まっていった。


それとなく新たに後継者となったビジュレイに尋ねる者もいたが、ビジュレイは噂を否定すれば本当の事を話す必要が出てくる為、言えなかった。

ツォードは火消しをする為には皇都に戻らねばならない。でもそれは父であるオドレイ侯爵の怒りを買う。

何度となく父に、自分にかかる事実と異なる噂を何とかして欲しいと手紙を送ったようだったが、侯爵はそれを全て無視した。

この後に及んで、事実が知られたなら、オドレイ家にどれだけの影響が及ぶかを考えられないとは、呆れるのを通り越して不憫ですらある。

父である侯爵の命を無視してアルト伯爵家に押し掛け、体調を崩して伏せていた伯爵の妻に何がしかの危害を加えようとした所を、知らせを聞いて駆けつけた侯爵に止められ、伯爵を襲おうとした、などという事が知れたなら、オドレイ家は皇室から叱責を受ける。

叱責で済めば良いが、皇室は何度も、アルト伯爵夫妻へ危害を加える事は許さないと言い続けていたのだ。それを守らなかったとなれば、次期皇帝の言を軽んじていると見られて、オドレイ家は遠ざけられる事は必至だ。

そもそも、皇室が特定の人物を指して手を出すな、などと言う事自体が異例なのだ。常日頃、貴族同士の小競り合いなどには我関せずを通す皇室が、敢えてこう言うのだ。

それは命令だ。

行った事の大小ではない。命に背いた、という事実が全てだ。

ただでさえ、娘が既に皇女の目の前で伯爵夫人に酒をかけるという愚行に走った後だ。

皇女は、はっきりと言った。

領地で心ゆくまで静養すると良いのでは、と。それはつまり、領地に閉じ込めて外に出すな、という意味だ。

女同士のこういった小さな揉め事など、夜会では付き物である。でも、皇女は許さなかった。

娘に続いて、嫡子がした愚行は、間違いなくオドレイ家に影響を及ぼす。他家はオドレイ家と距離を取るだろう。

貴族社会において孤立するという事は、死を意味する。

それが、ツォードは理解出来ていない。

侯爵は完全に長男を見限った。

結果として、ツォードは貴族社会から抹殺された。


ミチルちゃんは、貴族令嬢とは思えぬ程に強い精神力を持っている。それは前世の影響を受けており、ちょっとやそっとの事では痛痒を感じないのだと思われる。

前世の死亡原因もさる事ながら、なかなかに激しい人生を送っていたのではないだろうか?

そう尋ねた事があるが、首を傾げて、平坦なつまらない人生でしたよ?と答えるだけだった。平坦なつまらない人生の人は刺されて死んだりしない、と言いたかったが我慢する。

というか、単純に鈍いだけかも知れない。


皇都では、貴族特有の厭らしさが滲み出た対応を取られ続けていて、そこへ来てオドレイ兄妹の嫌がらせ、リリー・エルギンのようなルシアン様を狙う存在、夜会での集団による嫌がらせ。

果てはエルギン侯爵に性的な事を仄めかされて、さすがのミチルちゃんも限界に達したようだった。

またしても部屋に閉じこもった際には、ルシアン様に鍵束をそっと差し出した。

ご機嫌な様子で鍵束を返しにいらしたルシアン様にミチルちゃんの様子を尋ねると、それはもう、嬉しそうにおっしゃった。

可愛かった、と。

可愛がったの間違い?


そっと鍵束で扉を開け、中を覗き見ると、ミチルちゃんが寝台の上で体育座り(ミチルちゃんから教えてもらった)していた。

……何があった?




かつてミチルちゃんを誘拐させ、手篭めにしようとしたベンフラッドは、皇都にもういない。

アレクシア姫が世継ぎの御子となり、キース様が宰相に就任した際に、罪重き犯罪者は一斉にカーライル王国に輸送された。

来年には姫が女帝となる。そうなれば恩赦で罪が軽減される。ベンフラッドは素直に自白した事、操られていたと認定されたのもあり、即位の儀後、無罪放免になる可能性が高かった。

それは皇国としても大変よろしくない。また何処ぞの輩がベンフラッドを担ぎ上げては困るからだ。

結果として、その汚れを請け負う事をアルト家が引き受けた。皇室に対してまた一つ大きな貸しを作った事になる。


カーライル王国のアルト家が所有する物の一つに、レクンハイマーを幽閉していた、それ専用の屋敷が存在する。

そこに、犯罪者達は全員収容され、ロイエにより人体実験の被験者となる。

皇都に来れなかったロイエの機嫌を少しでも良くしたい、とルシアン様は笑顔でおっしゃっていた。怖かった。


ロイエはルシアン様の留守を任されているとはいえ、アルト公爵領は元々基盤がしっかりしている為、余程の事がなければ様子見で済むし、ルシアン様がミチルちゃんのアドバイスを受けて改革を進めているノウランドは、着実に安定してきていた。

稲作は人口の少ないノウランドでも対応可能なように子供や専用に用意した鳥(鴨?)によって保たれつつあり、大分慣れてきているとの事だった。

アレクサンドリア領から大量に、かつかなり安い値段で購入した野菜を保存食にした事により、領民の健康状況は改善されてきている。病にかかった者が激減したと聞いた。

豆もやし、と呼ばれるものを自分達で生産出来ている事も、領民に喜ばれている。

それから、ルシアン様が商人ギルドをノウランドの中で一番大きな街パウドに招聘した事により、これまで安く買い叩かれていた毛皮が本来取り扱われるべき値段で売り買いされるようになり、税収が格段に上がった。

これまで税収は全て領民の冬を超える為の食料購入費に充てていたが、今は領民の住居を建て替える為の資金に回す事が可能になった。


そんな訳で、ノウランドも安定してきている今、ロイエは持て余している暇を、実験に費やしていると聞いている。

特に酷い思いをしているのは、ベンフラッドだそうだ。

ロイエはミチルちゃんに害をなしたベンフラッドに対してかなり怒っていたし、助けにも参加出来ないでいたから、諸々の鬱憤を全力でぶつけているんだろう…。

切り捨てられた方がよっぽどマシなレベルで。

以前ロイエの全力の怒りを受けた奴を見た事があったが、号泣しながら殺してくれと叫び、最終的に発狂していた。

ロイエを敵に回すのは止めよう、とその時固く心に決めた。ロイエはヤバイ奴だわ。


エルギン侯爵、どう料理しましょうかねぇ、とフィンは楽しそうに言った。

娘はルシアン様に執着していたけど…レーフ殿下が現れた事で、皇都の未婚の令嬢達は殿下に夢中だと聞く。


「リリー嬢も殿下に夢中なのかしら?」


「それが、見上げた事に令嬢は殿下ではなく、ルシアン様に未だ執着なさっているようです。侯爵としては、殿下に目を向けて欲しいようですが。

顔と家柄を気に入っただけなのかと思っていましたから、そこは見直しました」


全然褒めていないけど…。


「という事は、彼女はミチルちゃんに害を成す可能性が高いって事よねぇ。気にせず殿下に行ってくれた方が助かったのに」


コーヒーを淹れたので、フィンにも出してあげると、ありがとうございます、と嬉しそうにフィンは微笑んだ。

こうしてればただの美男子なのに、あんなにひねくれちゃって、何処で育て間違えたのかしら?


「肝心のミチル様は、どうなんですか?殿下に対して」


「かなり嫌ってるわね」


予想外の答えだったようで、フィンはきょとんとしている。


「そうなんですか?」


「フィン、ミチルちゃんが見た目だけでルシアン様の側にいると思っているの?」


「というか、ルシアン様とミチル様の関係って一方的だったではありませんか。

ルシアン様がミチル様に恋に落ちて、王太子や騎士団長の息子に取られない為に、伯爵が愚かなのを良い事に婚約をとりつけて、ミチル様が自分しか頼る人間がいなくなるように、家族も全て排除して。いえ、排除した方が良い者達でしたけど。

どう見ても、ルシアン様だけがミチル様に恋焦がれていて。あの容姿に家柄ですから、それなりに想ってはくれそうですが、ルシアン様の想いとは釣り合わない気がして」


こう聞くと、うちの次期宗主、とんでもないわー…。

しかもその一方的な想いで魂まで結びつけられちゃったミチルちゃんって…。


「ですから、そんな時に嫌いではない容姿と、その上を行く家柄の人物が現れたら、心は揺れるのかなぁと。好意を抱かないは想定してましたけど、嫌っている、は想定外でした」


本当に、ミチル様は私の想定を外れて下さる、とフィンは嬉しそうに言う。


もし、ミチルちゃんが殿下に心が動かされるような事があれば、フィンはただでは済まさないだろう。

ロイエに匹敵する程の忠誠心をフィンも持っているし。


「…ミチルちゃんに何かしたら、許さないわよ」


「ミチル様が、アルト一門の次期宗主以外に想いを寄せても、そうおっしゃるのですか?」


「ワタシはミチルちゃんにこの身を捧げると決めたのだから、ルシアン様の敵に回っても、ミチルちゃんを守るわ」


フィンはにっこり微笑んだ。


「で、ミチル様は嫌ってらっしゃるのですか?殿下の事を」


「殿下がルシアン様に関心を抱いているからね」


「へぇ?」


不愉快さを隠さず、フィンはいびつな笑みを浮かべた。


「殿下の事で知っている事があるなら教えなさい」


フィンが教えてくれた事には、レーフ殿下の兄である皇帝は、懐刀であったレクンハイマーの失敗を許さず、領地を没収し、娘に手を出して死なせた事など、その冷酷な仕打ちが仇となり、求心力を落としているという。

レクンハイマーは盲目と言える程に皇帝を信じ、その為に全てを犠牲にする忠臣だった。

誰もが、リオン・アルトが相手では失敗もやむなしと思っていた。だが、皇帝は許さなかった。


行方不明とされていたレクンハイマーは諦めずに、皇国圏内を掻き回す事に成功した。教団によるダメージは各地に確実に与えられていた。最終的にアルト家により阻止されたとはいえ、全てが失敗であった訳ではなかった筈だ。

傷を抱えたレクンハイマーが帰国し、皇帝に謁見を願い出たが、それは叶わなかった。それにより、更に皇帝は求心力を失う。

これ程までに忠実に命令を全うした臣下へ、あまりの仕打ちであると言われるのは当然の事だった。


レクンハイマーが消えてからしばらくして、雷帝国領内のあちこちで、抵抗運動が起こるようになったという。どう考えても、レクンハイマーによるものだと誰もが思っている。

皇帝の新たな側近達は、躍起になってレクンハイマーの足取りを追っているが、いつも逃げられているという。

誰かがレクンハイマーを手助けしているのは明らかだった。皇弟が手助けしているのではないかとの噂もあった。


皇帝の迷走は更に続く。

正妃、側妃の数は20を超えるというのに、未だに誰も懐妊の兆しがなかった。

ほんの僅かでも興を引いた娘はすべからく召し上げられ、伽を命じられた。


かつての威光は陰り、暗愚となろうとする皇帝を退け、皇弟を玉座に座らせた方が良いのではないかという声は、至る所で聞こえるようになった。

皇帝は実の弟であるレーフの命を狙い始めた。

彼が帝位に就くまでは、仲の良い兄弟であったのに、権力とは人を狂わせるものだと思う。


その為、レーフはディンブーラ皇国に逃げて来た。


「迷惑以外の何物でもないわね。己の国で起きた事を他国にまで持ち込まないで欲しいわ」


同感です、とフィンも頷く。


「あぁ、でも、安心しました。ミチル様が殿下に心惹かれるような事がなくて」


「そうね。

殿下が現れた事とは関係ないかも知れないんだけど、ルシアン様に今までになくのめりこんでいってるように見えるのよね」


「のめりこむ?」


そう、と答える。


殿下が現れてから、ミチルちゃんは以前よりもルシアン様の側に近付くようになった。

ルシアン様の気持ちを和らげる為かと思っていたけど、どうも違う。

偶然なのかも知れないし、そこは分からない。


「それは、己の心が殿下とルシアン様の間で揺れているから、とかじゃないんですよね?」


「殿下が話に上がると、ミチルちゃんの顔から表情が消えるのを目にしているワタシからすると、あり得ないと断言出来るわね」


「表情が消えるって、凄いですね。ミチル様は確かに人形姫と呼ばれてはいますが…」


「アレ、多分無意識よ。前も同じような反応を見た事あったんだけど、何だったかしら…」


表情がない、と言うのは語弊がある。

確かに表情が消えて、あの緑色の美しい瞳に、軽蔑するような感情が浮かぶのだ。


「…あぁ、思い出したわ。家族よ」


「家族?」


「アレクサンドリア家の話になると、ミチルちゃんはあの表情になるの。

殿下、会って間もないのに、随分嫌われたものねぇ」


さすがのフィンも苦笑する。


「あれだけ何でも持っているお方が、ご自身にそっくりなルシアン様の妻にそこまで嫌われるというのも、なかなか面白い話ですね」


「ホントよねぇ」


「で、何がそこまでミチル様に嫌われているんです?」


「えっとね、"世の中が何でも自分の思い通りになると思ってる、傲慢さが滲み出た態度の男が、ルシアンと瓜二つなのが許せません"、だって」


ぶはっ、とフィンは吹き出した。


「いやぁ、もう、本当に、ルシアン様は良き伴侶をお迎えになりましたね」


「そうねぇ」

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