離宮に住む新しい主人<リジー視点>

人というのは贅沢なもので、一度良い思いをすると、それを失いたくないと、思うものだ。

一年半、私はとても穏やかな生活を過ごしていた。


無表情だけど、言葉や態度の端々に、優しさが滲む奥様の側にお仕えする日々には、心が満たされた。

仕事として当たり前の事をしていただけなのに、奥様は髪を整えると、必ずありがとう、とお言葉を下さる。

お土産にといただいた貴重なお菓子を、惜しみなく下さったり、ご自身がお作りになったお菓子を、試食とおっしゃって下さったり。

朝の挨拶、お休み前の挨拶。少し体調が悪い時にもすぐに気付いて下さる。

こんな方は初めてだった。

時折現れる表情は、目を離せない程可愛らしくて。

烏滸がましいけど、旦那様が溺愛するのも分かる。


以前からセラフィナ様の事は存じ上げていたけれど、いつも何処か諦めたような顔をなさっていた。

サーシス家当主になる事を、ご自身の意思で辞めても、あの方は辛そうだった。

旦那様の命で奥様付きの執事になられてからのセラ様は、信じられない程に表情が明るくなられた。

私がそうだったように、セラフィナ様も奥様の側にいるうちにお心が癒されたのだと思う。


私は話でしか聞いた事がないけど、旦那様は幼少時よりお心を閉ざして、どなたにもお心を開かなかったらしく。

それが中学入学後に奥様と出会い、奥様を手中に収める為にアルト家が色々暗躍したらしい。

そんな馬鹿なと思っていたけど、実際奥様の側に来て、実感した。


旦那様は異常な程に奥様を愛してらっしゃるし、大旦那様やラトリア様も、大奥様もセラフィナ様も、あの超堅物のロイエ様まで、奥様の事を大切に思ってらっしゃるのが伝わってくる。


何が、という事でもない。

奥様は確かに貴族らしからぬ事をなさるけれども、激しく逸脱する訳ではない。

むしろ、貴族らしくあろうとなさる。

それなのに、あの方と一緒にいると心が休まる。


自分を一人の人間として見てくれているのが分かる。

貴族であろうと王族であろうと、社会の歯車として生きる事が義務づけられた世界で、一人の人間として受け入れてもらう事の難しさ。

特別扱いをされる訳ではない。

でも、自分がここにいる事を受け入れてもらっている、自分のする事を認めてもらえる事がこんなにも自分の心を満たしてくれるものだとは、思いもよらなかった。


本当に、穏やかな日々だった。

でもそれももう終わり。

新たな生活が始まる。


今日から私が仕える主人は大変気位が高く、そしてとてもお美しい方だ。

真紅の大輪の薔薇を彷彿とさせる。


私は膝を付いて最上の礼をした。


目の前には、皇国の皇女シンシアが、不機嫌そうに私を睥睨していた。


「本日よりお仕えさせていただきます、リジーと申します。」

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