089.卒業式

部屋から私が出ることが出来たのは、ルシアンが帰ってきた2日後だった。


「思ったより早く出て来たわね。もっと閉じ込められるかと思ってたわ。」


閉じ込めって…やっぱりそれ前提の準備だったんだ、アレ。


「熱烈ねぇ。」


セラの視線が私の首元にまとわりつく。

顔がかっと熱くなる。


ルシアンは私の首にキスマークを付けた。


「…それ以上言わないで下さいませ…恥ずかしいです…。」


絆創膏下さい…。


いくらセラには色々知られているとは言え、ですよ。

恥ずかしいものは恥ずかしいのです。

夫婦だろうとなんだろうと恥ずかしいものは恥ずかしい!

声を大にして言いたい!

恥ずかしい!!

程々で!程々でお願いします!!


来週の卒業式までには、キスマークが消えていますように…。


ルシアンは書斎でロイエと話をしている。

皇都に戻ってからしばらく、ロイエに任せることになるからだ。


単純な成績だけで言えばルシアンが首位なんだけど、さすがに王子がいるから、王子が卒業式でスピーチをする。

ルシアンもそういったことにこだわりがないし。


ノックする音の後、ドアが開き、ルシアンが入って来た。


セラはルシアン用のお茶を用意すると、部屋を出て行ってしまった。

…本当にこの屋敷の使用人は、ルシアンだけに忠実だと思う。


一人用ソファに座っていた私を抱き上げると、カウチに移動する。

別々に座るという選択肢が毎回無いのは何故なんだ。


自分の膝の上に私を座らせる。

私の首にあるキスマークを撫でると、満足げに微笑む。


「痕が残っていますね。」


残した、の間違いだと思う。

そして勘弁して欲しい。本当に。


「場所が悪いです…。」


私の抗議に、ルシアンはふふ、と笑うと、私の頰にキスを落とした。


「ホワイトデーでしたか、期待していて下さいね?」


ぎくっ。


「あちらでは倍返しなんですよね?」


あれ?!私、言ってないよね?!


「ロイエから聞きました。」


あー、なるほど。

私→セラ→ロイエ→ルシアン、と…。


セラめ!!ルシアンには言わないでって言ったけど、ロイエに言ったら絶対伝わるでしょ!あの確信犯め!


高笑いしているセラの姿が目に浮かんだ。


「ですが倍くらいでは私の気持ちを表しきれないので、3倍で返しますね。」


「?!」


教えてないのに、まさかの3倍返し?!


動揺する私の髪を、ルシアンが優しく撫でながら、楽しみですね、と言う。ハハ…。


「セラから聞いてるとは思いますが、改めて皇都にしばらく滞在する事になった経緯を説明します。」


「はい。」


「立太子された姫の事は?」


「伺いました。」


ルシアンは頷く。


「女帝は近々退位します。時期としては来年の春頃を予定しています。

それまでには、現在の崩壊した皇室を立て直す必要があります。」


え、女帝、退位するの?!

それは知らなかったし、予想外!


「アレクシア姫の後見として、祖父のクレッシェン公爵、ゼファス様のご出身であるオットー公爵、バフェット公爵の3つの家が立ちます。

ウィルニア教団の解体と、その事後処理をマグダレナ教会が主導で行います。これにはオットー公爵家とアルト家が関与します。

財政の建て直しにはクレッシェン公爵家が。その他はバフェット公爵家が主に担う事が決定しています。」


そこまで決まっているのに、何故ルシアンが…?


「女帝が皇位を継承した後、まともに政を行って来ていない事と、皇室の弱体化をバフェット公爵家が行ったこともあって、まともな人員がいないのです。

人員の確保、体制の見直し、皇都内の治安など、問題が山積みとなっています。

父上はカーライル王国宰相として、王と共にハウミーニア王国の建て直しをする事になりました。」


他国の建て直し?何故カーライル王国が?


「ハウミーニア王国は解体され、カーライル王国に併呑される事が決定しました。ウィルニア教団を止められなかった咎だそうです。

ですから、国土は増えますが、問題も多い為、その任に父上があたります。

あぁ、あとアドルガッサー王国がカーライル王国の属国になります。あの国もウィルニア教団に与していたとして解体されそうになったのですが、王太子は清廉なお方でしたので、解体は免れ、属国に。国内が落ち着いたら独立という手順を踏む事が決まっております。」


なるほど…そうなってくると、お義父様は適任な気がするよ…。

お義父様無双ですね、分かります。


「叔父のキースはクレッシェン公爵の養子に入り、アレクシア姫の宰相の任に就きます。

今回私が皇室関連の建て直しに参加する事になったのは、父上とキースに命令されたからです。」


「……ルシアンも、大変ですね…。」


このイケメン、優秀すぎるから、こんなことになるのね、と同情していたら、イケメンはこともなげに言った。


「私は別にどの国に仕えるのでも構いません。ミチルさえいれば。

アルト家を継ごうと思ったのも、ミチルが転生者だったからですし。」


そうでした、ルシアンはこういう人でした…。


それにしても、やっとまともに領地経営に着手出来ると思ったらこれですよ…。


「父上が、ハウミーニア王国にアレクサンドリア領の余剰な野菜を輸出したいと言っていたのですが、許可していいですか?」


「サルタニア以外にも輸出先が増えるということですか?

それは大変ありがたいですが、アレクサンドリア領以外の領地からも輸出した方が良いと思います。」


アルト家に所縁のある領地ばかり潤うのでは、国内の他の貴族が不満を抱きそうだからね。


ルシアンはにっこり微笑んで、「そのように伝えておきます」と言って私の頭を撫でる。

何故撫でる。


「…何故、撫でるのですか?」


「ミチルは本当に優しいなと思いまして。」


そんなつもりじゃないから、褒められるとこそばゆいよ。


「優しくないです。面倒なことになるのが嫌だからですよ?」


「それでも、自領地の利益だけを追う人間の方が圧倒的に多いのもまた、事実です。」


そうだろうけど。

貴族というのはそういうものだけどさ。


「ミチルにそのような思惑があったとしても、それが誰かの為になるのであれば、良いではありませんか。」


なんか、腹黒いルシアンとは思えないようなことを言ってますけど…何?何か企んでる?


「ルシアン?」


ふふ、とルシアンは笑う。


「優しいミチルは、夫を独りにしたりしませんよね?

三週間離れただけでおかしくなりそうな私を、放っておいたり、しないでしょう?」


それが言いたかったんだな?

連れて行く、ではなく、私が自発的について行く、と言わしめたいんだろうな…。


「ルシアン、その言い方、意地悪です。」


「お気に召しませんでしたか?私から言うより、ミチルから言っていただいた方が、ミチルにとって良かったんですが…ミチルがそうおっしゃるなら…。」


?!

しまった!

これ、ルシアンの罠だ!


慌ててルシアンの口を手で塞ごうとしたら、手を掴まれてしまい、言われてしまった。


「ミチル、アレクシア姫が貴女に会いたがっています。

それから転生者としての知識も、必要とされています。」


あああああ、自発的だったら、こちらの好意でやれたことが、ルシアンからこう言われてしまったら、それは皇室からの正式な依頼というか、つまり命令になってしまう。


ルシアンはにっこり微笑んだ。


「夫婦で皇都に行きましょうね。」




*****




「ご機嫌よう、ミチル。」


モニカの声だ、と思って振り返ると、王子とモニカがこっちに向かって歩いて来た。


「ご機嫌よう、殿下、モニカ。」


「やぁ、ミチル嬢。」


なんだかすっかり、二人でいる姿を見慣れてしまった。

本当に、よくお似合い。

来月には二人の結婚式もあるし。


「ルシアン様はどちらに?ミチルを一人にするなんて、良くありませんわ。」


モニカがそう言ってるうちに、ルシアンが購買から帰って来て、私にカフェオレの入ったカップを渡した。


「熱いですから、気を付けて下さいね。」


「ありがとう、ルシアン。」


「ご機嫌よう、ルシアン様。

ミチルが一人でいるからどういう事かと思いましたら、そう言う事だったのですね。失礼しましたわ。」


ルシアンは軽く目を伏せるだけで何も答えなかった。


これまで使わせてもらっていた研究室は返したので、こうして購買からカフェオレを買っているのだった。

結局の所、皇女のこともあって、ただの溜まり場としてしか研究室を使っていなかったことは、本当に申し訳ない。

最終的にルシアンの執務室みたいになってたし。


「ここにいたのか。」


聞き慣れた声がして、声の主の方に視線を向けると、ジェラルドとフィオニア様と、見慣れぬ令嬢がいた。

モニカの笑顔がぴきり、と固まる。


このスミレ色のツインテールはもしかして…。


「初めてお目にかかりますわ。

私、モニカ・フレアージュと申します。」


モニカがツインテール嬢に声をかける。

令嬢はキレイなカーテシーをする。


「お目にかかれて光栄です。

ロザリー・ロクスタンと申します。」


ジェラルドの婚約者のロザリー嬢。こうして正面からお顔を拝見するのは初めてです。


ジェラルドは目尻のたれ切った顔で、私達を紹介する。


「ジークは会った事あるからいいな。

こっちがルシアン・アルト。それから、その妻のミチル・レイ・アレクサンドリア・アルト女伯だ。」


ロザリー嬢はルシアンを見て、顔を真っ赤にして、微動だにしない。


…えーと…。

モニカの笑顔から黒いものが出てるような気がするのは気の所為だよね…。


「ロザリー?」


不安そうな顔でジェラルドがロザリー嬢の顔を覗き込む。


自分の愛する婚約者が、異性を赤い顔して見つめてれば、不安になるよね…。


はっと我に返ったロザリー嬢は慌ててカーテシーをし、私を見て、再び顔を赤らめた後、ジェラルドを見て言った。

小声で。そして聞こえるけど。


「ジェラルド様、嬉しいですが、心臓にとても悪いです。」


「でも、いつも二人に会いたいって言っていただろう?」


「それはそうですが、遠巻きに見つめられるだけで十分ですのにっ。」


遠巻きて。


苦笑してジェラルドが私達に言った。


「ロザリーは剣術大会以来、ルシアンとミチル嬢に憧れてるらしくて。会いたいと言ってたから連れて来た。」


ロザリー嬢の顔は真っ赤だ。


…なるほど。

どうやら、ロザリー嬢は私と同じで、遠巻きに見ていたいタイプっぽい。

それにしても、ちょっと小動物っぽくて、庇護欲を掻き立てる見た目の令嬢だ。

騎士のジェラルドはやっぱり、こういうヒロインタイプが好みなのかな?


モニカから視線を感じる。見ると、何か言いたげな目をしているような?

何だろう?

私と目が合うと、モニカは何でもありませんわ、と首を横に振った。


「そろそろ会場に向かいませんか?」


フィオニア様の声に、時計を見ると卒業式会場が開く時間だった。


「先に向かって下さいませ。私、カフェオレを飲んでから参ります。」


「じゃあ、私達は先に行って場所を取っているよ。

行こう、モニカ。」


そう言って王子はモニカの手を引いて会場に向かった。

ジェラルドも付いて行き、ロザリーはお辞儀して去って行った。

その場に残ったフィオニア様が、ロザリー嬢の後ろ姿を見ながら、言った。


「心なしか、ミチル様に似た令嬢ですね。」


ルシアンが笑顔のフィオニア様を目を細めて見る。


「そうですね。遠巻きに見ていたいなどとおっしゃってましたし、そういう点、気が合いそうです。」


イケメンは遠巻きに限りますよ。


そう思いながらカフェオレを口にすると、フィオニア様がなんとも言えない顔で私を見る。ルシアンは目を閉じた。


「?」


ルシアンや王子、ジェラルドにフィオニア様、セラ、ロイエ、モニカ、リュドミラと、顔面偏差値高めの人たちと過ごしているから大分耐性が付いたとは言え、長年培ったモブ気質はそんな簡単には抜けないものです。


ふふ、とルシアンは笑うと、「私にも少しいただけますか?」と手を出して来たので、カフェオレを渡した。


フィオニア様はやれやれ、と言った顔で肩を竦める。


やっぱり、遠巻きに眺めたいは駄目だったか。




卒業式そのものは、粛々と進んで終わった。

前世のような、卒業証書授与みたいなものもなく、卒業生代表として王子がスピーチをして終わり。


「中学の時同様に、あっさり終わりましたね。」


私、ルシアン、王子、モニカ、ジェラルド、フィオニア様の6人はお疲れ様会ということでカフェの個室に集まった。


「あちらの卒業式というのは、違うの?」


優雅に紅茶を飲みながら王子が聞いてきた。


「そうですね。

在校生代表が卒業生に向けて送辞が述べられて、その返しとして卒業生代表が答辞をしますし。

卒業生全員が卒業証書を校長から授与されます。」


「それだと時間がかかるだろう。」


ジェラルドらしい反応だ。


「それも含めて、学び舎を去ることへの感慨が深まるのだと思いますわ。」


「そう言うものか」と言ってジェラルドはサンドイッチを口にする。


スイーツはいらない、軽食がいいと言って、ジェラルドはハムとチーズ、胡瓜と人参のラペサラダ、BLTの3種類のサンドイッチがのったプレートを選んだ。

ちなみに王子達男性陣はサンドイッチを選んだ。


私はアップルパイ、モニカはティラミスを選んだ。


「それにしても驚いたぞ。ルシアンとミチル嬢が皇都に行くことになって。」


「本当ですわ。しかも一年ぐらいはお戻りにならないと伺いました。」


モニカが不満気に唇を尖らせる。


「私は別に皇国がどうなろうと構わないのですが、命令ですので仕方なく。」


そう言ってルシアンは胡瓜と人参のラペサラダが挟まったサンドイッチを食べる。

食べてからラペサラダをじっと見る。気に入ったのかな?これ、新メニューなんだよね。


「フィオニア様も皇都に行かれるのでしょう?新しい事を学ばれるのですか?」


モニカの質問に王子が苦笑し、「違うよ、モニカ。二人ともいずれ知る事だから言うけれど、サーシス家の主人はアルト家なんだよ。王家ではないんだ」と説明した。


二人が驚いた顔でフィオニア様を見る。にっこりとフィオニア様が微笑み返した。


「…なるほどな…。」


ジェラルドは納得する所があったようで、一度頷いた。

なにがあった?


「ミチルもお手伝いなさるの?」


「ルシアンの付き添いです。」


私の答えにルシアンが苦笑する。


「アレクシア姫がミチルに会いたいと仰せなのです。」


「シンシア皇女のような方ではないんですよね?」


モニカが念を押す。


「違いますよ」と答えたのはフィオニア様。


フィオニア様もアレクシア姫のことをご存知なんだ?


私がフィオニア様を見ていると、フィオニア様は私の視線に気が付いて、にこっと微笑んだ。


「ミチル様も、お会いすればどんな方か分かりますよ。」


いや、皇女様にお会いするとか、畏れ多いんだけど…。

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