世継ぎの御子<アレクシア視点>

何が起きているのか、さっぱり分からない。

分かるのは、本日立太子され、皇太子様になる筈だったバフェット公爵家の長男のバートルミー殿下が皇太子になれないと言う事だけ。


お父様の腕にしがみ付いていると、お父様は優しく微笑んで、私の頭を撫でて下さった。


「大丈夫だ、私が付いているよ、アレクシア。」


その言葉にホッとする。


広場での騒ぎはまだ収まりそうにない。


「暫定として、我が子アダールを」


「陛下。」


オットー公爵様は、陛下の話を遮って止めた。このような事は、許されない筈。少なくとも、私はマナーの先生からそう教わっている。


「バフェット公爵家のご子息よりも、世継ぎの御子として相応しき方がおられます。」


広場が騒めく。


バフェット公爵家のバートルミー殿下達より、お世継ぎとして相応しい方?


ぼんやりとしている私に、お父様が話しかけてきた。


「アレクシア、行こうか。」


「え…?」


行く?何処へ…?


「本来あるべき場所へ。」


お父様に手を引かれて立ち上がった瞬間、アルト公爵様、フィオニア様、アルト伯爵様がその場に跪いた。


なに…?


動揺する私を無視して、お父様は私の手を引き、広場へと向かう。


何故?何故私が広場に行くの?


広場に近付いて行くと、私達の存在に気が付いた人達が、道を開けてくれ、一斉に広場の中央に通じる道が現れた。


お父様は何もおっしゃらない。

何か言って欲しいのに。

何故、こんな事になっているのか、教えていただきたいのに。


…怖い。

私の知らない所で、何かが起きていて、私は渦中に放り込まれようとしてる。

それだけは分かる。


広場に足を踏み入れた瞬間、オットー公爵様が跪いた。

オットー公爵様は顔を上げ、私をはっきりと見て、微笑んだ。


「この日が訪れる事を、臣は心よりお待ち申し上げておりました。

亡きデリア殿下の忘れ形見、アレクシア姫。」


オットー公爵様がそう言った瞬間、周囲の人達が一斉に跪いた。


最近教わったばかりだった。

本来であれば、女帝陛下ではなく、皇太子だったデリア殿下が皇位を継ぎ、皇帝となるべきだったのだと。


私が、そのデリア皇太子の、娘?


血液が逆流する。

足がガクガクする。

倒れてしまいたいのに、お父様が私の腰と手をしっかりと支え、倒れる事を許さない。



「式典が終わったら、全てを話そう。

だから今は、オットー公爵の望む通りに動きなさい。」


私にしか聞こえない大きさの声で、お父様は言った。


「馬鹿な…!」


陛下が信じられないものを見るように、目を大きく見開いて私をご覧になる。


「お兄様の…子…?」


陛下とは対照的な反応を見せたのは、バフェット公爵夫人だった。


ふらふらとした足取りで、支えられながら私の前まで来ると、両手で私の顔を掴む。


「!」


「まさか…お兄様と…ルシェンダ姉様の…?」


夫人がちらりとお父様に視線を向けると、お父様が頷いた。

途端に公爵夫人の目からボロボロと涙がこぼれる。


「あぁ…!あぁぁ…!

良かった…!良かった…!!」


そうおっしゃると、公爵夫人は私を抱き締めた。

不快感はなかった。

心から喜んでくれているのが分かるからだと思う。


この方が、私の、叔母…?


バフェット公爵夫人は私から身体を離すと、私の手を握ったまま、お父様の方を向く。


「クレッシェン公、教えておくれ。

姫は何処に匿われていたのかを。」


お父様が一言、マグダレナ教会にて、と答える。


夫人はゼファス様の方を向き、頭を下げた。

皇族が頭を下げるなんて、ありえない事。


「私は認めぬ!この娘がデリアの子である証拠など、ないではないか!」


陛下が壇上で叫んだ。


そう言われてしまうと、私自身も親の記憶がない為、落ち着かない気持ちになる。


お父様が私にそっと言った。


「アレを、お見せしなさい。」


これまで、誰にも見せてはいけないと言われていた、生まれた時から私が持っていたペンダントを、ドレスの中から鎖を引っ張り出して見せる。

アンクの形をしたペンダントトップの付いたもの。


公爵夫人が頷く。


「それは、お兄様がルシェンダ姉様にプレゼントなさった、婚約時の贈り物。

そこの、取っ手を回してご覧なさい。」


言われるままに回すと、少しの抵抗の後、くるりと回り、2つに分かれた。

中に何か紙のようなものが入っている。

それを取り出し、丸まった紙を広げる。


"愛するルシェンダへ

貴女との婚姻までまだ一年と半年もある。

その頃には、貴女の中に宿る私達の愛の結晶は、この世に生を受けている事だろうと思う。

順番が狂ってしまった事、貴女には大変申し訳なく思う。

けれど、私が貴女を愛する気持ちを分かって欲しい。

貴女も、貴女に宿る私達の子も、愛し慈しむ事をここに誓う。

先日貴女に問われた質問の答えだけれど、男ならステュワート、女ならばアレクシアと名付けたいと思う。

どちらに生まれても、貴女に似てくれたらと思う。

愛しているよ、私のルシェンダ。

貴女を永遠に愛するデリアより"


バフェット公爵夫人は私の手から手紙を優しく取ると、デリア皇太子から婚約者のルシェンダ様への手紙を読み、再び目を潤ませた。


「間違いなく、お兄様の、癖のある筆蹟。

陛下がお疑いなら、この手紙とお兄様の直筆の文書の筆跡鑑定をなさるが良い。」


陛下は唇をワナワナと震わせたものの、何もおっしゃらなかった。


オットー公爵が陛下に恭しく首を垂れた。


「陛下。皇太子の証である勲章を、アレクシア姫にお授け下さい。」


私が、皇太子?!


戸惑っている私に、バフェット公爵夫人が微笑んだ。


「お兄様の子であるそなたがいるのであれば、私は己が子を帝位に就けたいとは思わぬ。

そなたこそ、世継ぎの御子に最も相応しい。」


促されるままに、陛下の前に立ち、カーテシーをし、その場に跪いた。


「…面をあげよ、アレクシア。」


陛下のお言葉通りに顔を上げる。

美しい陛下の表情は、複雑そうだった。

嬉しいような、悲しいような、それでいて憎らしいような、一言では言い表せない、そんな表情だった。


「憎らしい程に、デリアによく似ておる…。」


侍従の持つ盆から皇太子である事を示す勲章を手に取ると、私のドレスに陛下自ら挿して下さった。


「我が弟、デリア・ディンブーラの一粒種の娘、アレクシア・ディンブーラを、ここに世継ぎの御子とする事を、ディンブーラ皇国皇帝として、宣言する!」


その日一番の歓声があちこちから起こった。


私はただ、戸惑うばかりだった。




クレッシェン家の屋敷に戻ると、玄関は訪問客が詰め寄せて大変な事になっていたので、私達は本来とは別の入り口から屋敷に入った。


皇太子にはなったものの、皇城はバートルミー殿下が入城するように準備されていた為、私は入れない。

私に合わせて整えてから、入城するまでは、引き続きクレッシェン家の屋敷にいる事になった。


ドレスを脱ぎ、楽な服装に着替えた私は、サロンに向かった。お父様がサロンでお待ちであると言われたからだ。


サロンに入ると、お父様、アルト公爵、アルト伯爵、フィオニア様が既にいらして、私が部屋に入るなり、立ち上がって礼をした。


「お、お止め下さい!」


慌ててそれを止める。


お父様はくすくす笑うと、「そうはいきません。殿下は本日より名実共に世継ぎの御子となられたのですから」とおっしゃって私を戸惑わせる。


「クレッシェン公爵、姫には順を追って説明して差し上げねば、ご自身の状況を受け入れられないでしょう。」


アルト公爵がニコニコと笑う。


うむ、とお父様は頷くと、私の手を引き、ソファに座らせた。


「まず、アレクシアの母の事から話そうか。」


そう言って、お父様はゆっくりと過去に起きた事を話し始めた。

お父様--クレッシェン公爵は、私の母、ルシェンダ・クレッシェンの実の父である事。つまり、実のお祖父様だったのだ。

母はデリア皇太子の婚約者で、後は結婚式を待つ身であったそうなのだけれど、二人は愛を語らい、結婚式を前に身籠ってしまったのだそうだ。

その事は父と母しか知らず、ギリギリまで隠しておく事にしたようだ。母を溺愛していたお祖父様が知れば、激怒する事が分かっていた為、二人は言えなかったのだろう、と。


父は流行病により、帰らぬ人になった。

姉であり、現女帝がワガママを言い、弟であるデリア皇太子を城下町にお忍びで行かせた結果、その時流行っていた病に罹患してしまったのだ。

女帝はそんな病が流行ってる事など知らなかったらしい。良くも悪くも、彼女はずっと、民に関心を払わず、おのれのその時の欲求に忠実だった。

さすがに弟である皇太子が己の我儘で病を患った際には、妹であるバフェット公爵夫人に罵られ続けても、反論一つしなかったそうだ。

そして、父は帰らぬ人になった。

それが決定打になり、バフェット公爵夫人は姉である女帝に冷たく振るうようになり、彼女が世継ぎの御子になってからは、姉を憎悪するようになった。

絶対に、姉の子を次の皇帝になどしないと、憚る事なく豪語した。


「私が素直に娘と皇太子殿下との事を認めていれば、ルシェンダは身重の身体で屋敷を出る事など、しなかっただろうと思う。」


お祖父様は、沈痛な表情で言った。


「皇太子殿下が崩御なされて直ぐの事だった。ルシェンダは喪に服すと置き手紙を残して消えてしまった。

いくら探しても見つからず…皇位を継承した女帝の愚かさに辟易し、全てが嫌になって、隠遁生活を送っていた。」


その頃、母であるルシェンダは、一人、僻地にあるマグダレナ修道院に辿り着き、匿ってもらっていたという。

私を産んだ後、産後の肥立ちが悪く、帰らぬ人となったそうで、修道院も母が何者かも分からなかった為、私をそのまま匿い続けたのだそうだ。


そこに、アルト伯爵の命を受けたフィオニア様が訪れ、私は修道院を出て、お祖父様の元にやって来た。

私を見たお祖父様は、一も二もなく、アルト伯爵様の提案を受け、私を養女とし、令嬢としての教育を始めた。

私を世継ぎの御子とすべく。


「やっと、誰に憚る事なく、祖父であると名乗れるようになった…。」


お祖父様の目から涙が溢れた。


「私は、貴族としての愚かな矜持から、娘に余計な苦労をさせ、命を奪ってしまった…。

アレクシア、そなただけは絶対に守ると、そなたが私の元に戻ってくれた日、ルシェンダの墓に私は誓ったのだ。

世継ぎの御子として生きる事は、決して容易い事ではない。だが、何があっても、私の命をかけてでも、そなたを支え、守り続けると。」


私の目からも、涙がこぼれた。


色んな情報が頭の中に入って来て、混乱している。

でも、一つだけ分かってる事があって。


私は、愛されているのだと。




アルト公爵様、アルト伯爵様、フィオニア様がお帰りになられた後、全てを話して気持ちが楽になったのか、お祖父様が苦笑しながら言った。


「もし、アレクシアがあのままずっとフィオニア殿を想い続けたら、どうしようかと思っていたよ。

皇族に戻る事を諦めて、フィオニア殿の嫁としてもらっていただいた方がいいのかとか、それともフィオニア殿をもらうのがいいのか。」


「まぁ…!」


私は何も知らなかったから、フィオニア様に憧れていたけれど、お祖父様としては、私をいずれ世継ぎの御子にしようと思っていた訳だから、気が気じゃなかったようだ。


お祖父様曰く、アルト家に仕えるフィオニア様の生家、サーシス家は絶対にフィオニア様を婿には許さないし、己が望んで家名を継いだフィオニア様は、絶対にサーシス家を出ないだろうとの事だった。


「最後は、フィオニア殿がアレクシアにわざと好かれないように振舞ってくれていたのが、何と言うのか、功を奏したと思う。

アレクシアが今の彼をどう思っているのかは分からないが、彼は真実に良い男だよ。表面上こそ軽く見えるような振る舞いをするけれどね。

いつもいつも、アレクシアの事を気にかけていた。

皇都で流行りのお菓子があると聞けば必ず買って届けてくれたし、ルシェンダがいなくなって流行りに色々疎くなっていた私の代わりに最新のドレスを用意してくれたり、恋人なのかと思う程にあらゆる手を尽くしてくれた。

決して、自分が用意したとは言わないでくれと言われていたから秘密にしていたけれどね。」


…知らなかった。


「多分、誰よりも、アレクシアの事を知っているのはフィオニア殿だろう。好きな花も、好きな色も、好みのドレスの形も、フィオニア殿はご存知なのだよ。

そなたが今日式典に着ていったドレスも髪飾りも、全てフィオニア殿が用意した。

…まるで花嫁のような純白のドレスに、驚いた。

私はまた、何か間違えてしまったのではないかと、フィオニア殿の胸の内を見誤っていたのではないかと不安に思ったのだよ、アレクシア。」


胸がぎゅっと締め付けられるようだった。


「そんな…まさか…。」


「愛の形は色々ある。これが、フィオニア殿の愛の形なのかも知れない。

確かな事は分からない。彼は何も語らないからね。」


無くなった筈だった。

私の中のフィオニア様への想いは。


それなのに、今はあの人への想いで胸がいっぱいで、涙が止まらなかった。


「でも…叶わない事です、お祖父様…。

私は…世継ぎの御子になってしまいました…。」


お祖父様は私を抱き締めると、そのまま私を泣かせてくれた。


私の恋は、散るべくして、咲いたのだと、思う。

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