恋に恋した<アレクシア視点>
明日、バフェット公爵家のご長男が、新たに立太子される式典が行われる。
現女帝陛下のご長男は、ご病気との事で、皇都からかなり遠い北の離宮でご静養なさるらしい。
この式典で皇太子の証をバフェット公爵のご長男にお渡しになり、準備が整い次第ご出立になるそう。
遺伝の病気らしく、皇女様もご一緒にご静養されるとの事。なんと痛ましい事でしょう。
明日の式典は、私も見学を許された。
国を挙げての行事。
立太子の式典後には、皇都の中央を通る大通りをパレードする。
日頃目にする事のない皇族の方々のお姿を垣間見る数少ないチャンスに、屋敷の者達も楽しみにしている。
かくいう、私も。
修道院では、清貧が求められていたから、こんな風にお祭りなんて参加した事がない。
どんな物なのかとお父様にお尋ねしたら、皆が花や紙吹雪を思い思いに舞い散らせて、それはそれはステキな催しなのだそう。
出店は今日から出ているとの事で、後で連れて行っていただけるお約束。
「アレクシア様、準備が整いました。」
「今、参りますわ。」
逸る気持ちを抑えながら、自室を出て玄関ホールにつながる階段の踊り場に立った時、ホールに佇む二人のお姿に、心臓が跳ねた。
濡れ羽色の髪に金色の瞳を持つ、ルシアン・アルト様と、いつまでも私の心から出て行っては下さらない、フィオニア様が、そこにいた。
私の視線に気が付いたのか、お二人は私を見上げた。
慌てて私は階段を降りる。
階段を降りてお二人にカーテシーをすると、お二人も丁寧に頭を下げて礼を返して下さった。
「フィオニア様、アルト伯爵様、お久しぶりにございます。本日は父にご用事ですか?」
お二人も明日の式典にご参加になるのかしら?
「いえ、今日はクレッシェン様に頼まれて、姫をお祭りにエスコートしに参りました。」
「まぁ…!」
まさか、お二人が私をエスコートして下さるの?
このようにお美しいお二人が?
お話のヒロインのようです。
「私如きのエスコートを、フィオニア様とアルト伯爵様がして下さるのですか?」
「ルシアン様は鬼のようにお強いですから、姫の護衛に持って来いですよ。」
そう言って微笑むフィオニア様を、アルト伯爵様は無表情に見る。無表情ですが、何となく不愉快感が伝わって来ます。
「さぁ、参りましょう、姫。これまで修道院での慎ましい生活しかご存知ないのだから、思い出を沢山作らなければ。」
「はい。」
思わぬ幸運に、気持ちが弾む。
沢山の出店が立ち並ぶ通りを、アルト伯爵様とフィオニア様に挟まれて進む。
すれ違う人達の視線がお二人に集まる。
お美しい二人ですから、当然です。その間に挟まれてる私はあんまりで、なんだか申し訳ないけど。
「姫、焼きリンゴがありますよ。リンゴはお好きですか?」
私が頷くと、フィオニア様は走って行って焼きリンゴを買って来て下さった。手には二つの焼きリンゴ。
「はい、姫。」
差し出される焼きリンゴ。でも、二つしかないのに、いただいていいのかしら?
「私とルシアン様で半分こしますから、気にしないで下さいね。」
「要らない。」
アルト伯爵様は甘いものはお嫌いなのかしら?
「ミチル様がお作りになる物ならどんなに甘くても召し上がる癖に、焼きリンゴなんて甘いうちに入りませんよ。」
ミチル様?
アルト伯爵様の奥方様の事かしら?
「姫が楽しんでいただければ良い。私の事は気にするな。」
つれない方ですよねぇ、本当に、と言ってフィオニア様は焼きリンゴに齧り付く。
「あ、あの、ミチル様とおっしゃるのは、アルト伯爵様の奥方様のお名前ですか?」
そうです、とアルト伯爵様は頷く。
「頭がおかしいぐらいに溺愛なさって、屋敷に閉じ込めようとしてるんですよ。姫からも何とかおっしゃって下さい。」
まぁ、お父様のおっしゃってた事は、本当なのだわ。
「愛してらっしゃるのですね。」
「姫、そこは感心する所ではありませんよ。」
呆れるようにフィオニア様がおっしゃる。
でも、私は少し羨ましい。それ程までに愛される事が。
焼きリンゴを食べながら歩いていたら、何かを見つけたらしく、アルト伯爵様が近付いて行く。
髪飾り?
「ミチル様も春には髪を結い上げられますからね、贈り物によろしいのでは?」
ミチル様の髪の色と瞳の色を伺って、三人で髪飾りを選ぶ事にした。
「どんな飾りでもお似合いになりそうですが…ルシアン様の瞳の色と同じ金色の物はいかがです?」
ほら、これなど、と言ってフィオニア様が選んだのは、丸いヘリオドールの玉がついた棒でした。
店員さんが、「それはヘリオドールの玉簪だね。愛する彼女に買っていっておくれよ」とアルト伯爵様に言うと、その他にもいくつか見繕うと、これも、とおっしゃった。
簪、というのね、この棒のような髪飾りは。
まぁ…凄い。一度に5本も購入なさるのね。
驚いている私に、フィオニア様が苦笑する。
「ミチル様は無欲なお方で、ルシアン様にも全くおねだりをなさらないのですよ。それがルシアン様はご不満で。
先日ようやく簪を一本受け取っていただけたぐらいなのです。」
まぁ…愛する方からの贈り物を望まれないなんて…どうしてなのかしら?
「ミチル様ご自身も領地を持つ伯爵でらっしゃいますから、ご自身の元に入るものは領民が働いて得た税であるとのご認識があるのでしょうね。」
なんて…なんて立派な方なのかしら。
「素晴らしいお方なのですね。」
私がそう言うと、アルト伯爵様が優しく微笑んだ。
どきりとする。
「そうなんです。」
アルト伯爵様にこんな顔をさせるなんて、どんな方なのかしら。
「アルト伯爵様の奥方様は大変お美しい方だとお伺いしております。」
そうですね、とフィオニア様が頷いた。アルト伯爵様ではなく、フィオニア様が頷いた事に少なからずショックを受ける。
自分で話題を振っておいて…。
「ご本人に自覚はございませんが。」
それは、飾らないお人柄、という事でしょうか?
「お美しくて、内面も素晴らしいなんて…お目にかかりたいですわ。」
フィオニア様がぎょっとした顔をする。こんな表情のフィオニア様は初めて見ます。変な事を言ってしまったかしら?
「ミチル様の事はまぁ、良いではありませんか。
さ、次のお店に参りましょう。」
何だか、あからさまにはぐらかされた気がしたけれど、触れてはいけないことだったのかしら。
出店のある店を回っているうちに、私はフィオニア様の事をそんなによく知らないのだと実感した。
私の前では穏やかな紳士のフィオニア様も、アルト伯爵様の前では悪戯っ子のような表情をなさったり、伯爵様をお揶揄いになったり。
「ちょっと、買って来ます。」
そう言って伯爵様が向かわれたのは、揚げ芋のお店で、3つ買って戻ってらっしゃると、私とフィオニア様に下さった。
「珍しいですね、貴方が食べ歩きなんて。」
「以前ミチルが買って食べていた際に、一つもらって食べたら美味しかった。」
「あぁ、ジュビリーですね?あそこの揚げ芋は美味しいでしょう。」
揚げたての芋をいただく。
ほくほくして美味しい。味付けの塩もちょうど良い加減。
こうして見ていて、アルト伯爵様の頭にあるのは、奥方様ばかりなのだと言うのが分かる。
美しい布を見ては、これはミチルの好きな色。
美しい花を見ては、これはミチルの好きな花。
といった具合に、全てがミチル様につながるのです。
本当に、溺愛と表現するのがぴったりです。
「呆れる程にミチル様以外に関心がないのですよ、ルシアン様は。」
やれやれ、と肩を竦ませるフィオニア様に、私は思わず笑ってしまった。
「本当ですね。あそこまでとは思いもよりませんでした。」
「ミチル様はルシアン様の全てですからね。
そう言えば、姫は何の花がお好きですか?いつもその日一番美しい花を見繕ってお渡ししておりましたが。」
以前、定期的に訪れて下さっていた際、フィオニア様はいつもお花を持ってきて下さった。
「そうですね。小振りな花の方が好きです。特に好きな花というのはありません。」
フィオニア様はにっこり微笑んで、お花の出店に向かい、小さなブーケを持って戻ってらした。私の好きな黄色い花で作られたブーケだ。
そのブーケを、私に差し出し、フィオニア様は微笑む。
「はい、どうぞ、姫。」
「ありがとうございます、フィオニア様。」
不思議な事に、あれ程恋い焦がれていたフィオニア様の笑顔を見ても、胸が苦しくなる事はなかった。
「恋に、恋していただけだったでしょう?」
ブーケをじっと見つめていた私に、上から声が降ってきた。
見上げると、フィオニア様が困ったように微笑んでらっしゃる。
あぁ、そう言う事なのね。
フィオニア様は分かっていたのだわ。
私は、私の理想の王子様像を、フィオニア様に押し付けていた事を。
「フィオニア様って、ちょっと意地悪ですね。」
「心外です、姫。ちょっとではなく、かなり意地悪なのですよ。」
そう言って意地悪そうな笑みを浮かべるフィオニア様に、私の胸は少しだけ痛んだ。
出店をたっぷり見て回った私は、お二人に屋敷まで送り届けていただいた。
「明日、お迎えに上がります。一緒に式典に行きましょう。クレッシェン様はお勤めでお忙しくていらっしゃるでしょうから。」
「はい、ありがとうございます。」
フィオニア様とアルト伯爵様はお父様にお辞儀をすると、お帰りになられた。
「楽しかったかい?アレクシア。」
「えぇ、とても。焼きリンゴをいただいたり、アルト伯爵様の奥方様への贈り物を選んだり、大道芸を見たり。
本当に楽しかったです。」
それは良かった、とお父様は優しく微笑まれた。
「フィオニア殿の事は、諦められそうかい?」
顔がかっと熱くなる。
「もう、お父様。」
お父様ははは、と笑う。
「私は、恋に恋していただけなのです。
今日、フィオニア様と伯爵様とご一緒させていただいてよく分かりました。
私、フィオニア様の事を全然知らない事に気が付きました。本当にお慕いしていれば、もっと知りたいですとか、自分の事を知っていただきたいといった欲求がある筈ですのに。」
「…そうか。」
そう言って、お父様は私の頭に触れた。
珍しいです、このような事をなさるなんて。
「お父様?」
「いや、アレクシアの成長が嬉しくてね。
さ、出店で食べ歩きをした姫、お茶などいかがかな?」
私は微笑み返して、お父様とサロンに向かった。
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