006.天国と地獄の往復バンジージャンプ

「どっ、どうなさったのですか?」


モニカは私を見るなりドン引きしていた。

無理もない。

今の私はもう、口からエクトプラズムが半分ぐらい出てしまってる気がする。


「な…なんでも…ありません…わ…。」


「何でもない方がこんな状態になってる筈ありませんわ。本当に、どうなすったのです?」


手招きをしたところ、モニカはそっと耳を私の口元に近付けた。


「実家から手紙が来まして…婚約者が決まったと…。」


息も絶え絶えにそこまで言ったら、モニカにしては珍しく大きい声で「えぇっ?!」と驚かれた。


教室中の視線が一斉にこちらに向く。

無理もない。いつも冷静沈着なモニカがあんな声を出せば当然みんな驚く。


「ミチル様が体調が優れないようですから、私、医務室にお連れします!」


モニカにぐいぐい引っ張られて連れて来られたのは図書室。


話を聞きたくて私が体調不良ということにしたようだ。

そんなに聞きたいかね、私の婚約話が…。


「ミチル様、婚約って、本当ですの?」


「私は家族とあまり仲が良くありませんから、そんなことを冗談でも言うような関係ではないのです。手紙自体来ることが珍しいのです…。」


珍しく届いた手紙に書かれた爆弾発言。


ーー婚約者が決まったから楽しみにしてなさい。


楽しみに出来る要素一つもないですけど?!

あの親が私のことを考えた婚約者を選んでくれたとはとても思えない!

絶対どうしようもない相手に違いない!

バツイチ子持ちの20歳年上とか!ハゲとかデブとか!成人病フルコースのやばい人とか!


ああああああああ、14歳にして私の人生終わったああああああああ!!!!


「そんなに悲観するお相手なのですか?」


「どなたかは存じ上げませんけれど、私の為に何かをしてくれるような両親ではないのです。」


記憶の中の両親は、私に何度も役立たずと言ったし、兄も姉も汚物を見るような目で私を見た。


そんな人たちが、私の幸せを思ってくれる筈がない!


冬休みなんて永遠に来なくていい。


これはもう、本格的に独身で生きていけるだけの力をつけて結婚から逃げるか、修道院に自発的に入るかしかない!


そう言えば、皇国は女性の立場が昔より向上してるって王子が言ってた!

多分今の皇帝が女帝だからだろう。


だとしたら、女が一人で生きていけるかも知れない!


そうよ!時代は皇国よ!


早速本屋さんで、月間皇都を買って帰ろう!そうしよう!

皇都で生きていけるだけの能力を身に付けるべく、昨今の皇都事情を雑誌や新聞などで勉強するのだ!


…いや、待てよ?今の状況が分かった所で、私が成人するのは4年後だ。

世の中が今と違っていても何ら不思議はない。

となると、今は何かをやっても無駄?


いやいや、未成年だからって、何も出来ない訳もないだろうし…。

かと言って運良く商才を発揮出来たとして、逆に利用価値が高いと思われて、金ヅル的な扱いを受けても困る…。


何も知らないで4年後に必死に勉強するのでは出遅れてる感があるな。

やはり事前の情報収集は大事だよね。


とは言え…何かいい方法はないものか…。

とりあえずてっとり早いのは、婚約者に嫌われることだけど…まず婚約者が誰だか分からないことには、嫌われようがない。


変に悪目立ちして、速攻で修道院に放り込まれても困る。本当困る。


あぁでもない、こうでもない、と考えあぐね、だらだらと月日を過ごした結果、冬休みに突入した。

(ちゃんと月間皇都は読んだ!)


実家に帰らなくてはいけない…。

あぁ…めっちゃ胃が重い。ストレスで胃に穴が空きそう…。




ドナドナの子牛のような気持ちで実家に帰ると、見たこともないような明るい笑顔の両親に出迎えられた。

うっわ、きっも。

私の婚約者はきっと、ハゲデブのDTで処女厨で、でも爵位だけはあるとか、金だけはあるとか、きっとそういう奴に違いない。


親からすれば、精々当家の役に立てとかそんな感じなんだ、きっと!


荷物を置いたらサロンに来なさいと言われたものの、行きたくない私は、ダラダラと無駄に時間をかけて荷物を片付けていた。


痺れをきらした両親に、荷物の整理はいいからとっとと来い、と言われてサロンに呼ばれてしまった…。


サロンでは、あいもかわらずニコニコしている両親。

あーもーいや。これ、本当に実の親なの?!

実は私、養子だったりしないかな?!いや、養子だったら余計に逃げられないな?!


長椅子に腰掛けた私に、両親は私が痩せたことを褒めた。子供の頃の可愛さが戻ったようだとか、なんとか。

それから、成績が優秀であることについても褒められた。

王子や公爵家、侯爵令嬢とも仲良くしてることについても褒められた。

あまりに褒められ過ぎて痒くなってきた。うぉぅ、蕁麻疹出そう!

やーーめーーてーーー!!


「じゃあ、本題の、ミチルの婚約者についてだ。」


き…きた…。

思わずごくりと唾を飲み込む。


恐怖で思わず身体がぶるりと震えた。

胃がぎゅっと締め付けられるようで、指先がだんだん冷たくなっていくのが分かる。


「今回の婚約は、お相手から是非にと言われていてね。」


頭の中でもはや妄想出来ないレベルの、モザイクかけたくなるような男がゲヘゲヘ言ってる。

いやあああああああああ!!!死にたい死にたい!!!


「本当はもっと経ってからこの話をなさりたかったようなんだが、最近のミチルは王家や公爵家とも懇意にしているから、早めにミチルを婚約者に迎えたいと仰せでね。」


まかり間違ってもあの人たちとどうこうなる気はなかったし、ありえないけど、それが原因で私の婚約早まったの?!

そんなの酷過ぎる!


「それにしてもミチル、いつの間にアルト侯爵様の御次男とそんな仲になっていたんだい?」


「………え?」


「おまえの婚約者の、ルシアン・アルト様のことだよ。あのような大変優秀な方に見初められるなど、本当に信じられないことだ!」


私の婚約者、ルシアンなの?


「お、お父様、ルシアン様が、私の婚約者になる方なのですか?本当に…?」


そうだ、と父は言った。

途端に身体の力が抜けて、長椅子の肘掛に伏してしまった。


「どうしたんだ?ミチル。」


「いえ、あの、力が抜けてしまって…ごめんなさい、お父様。」


私の、婚約者は、ルシアン。

黒い髪がボサボサの、自信なさげで、優しい口調の可愛い人。


良かった。本当、良かった。

訳の分からない人と婚約させられなくって。

相手があのルシアンで本当良かった…!


伯爵家の私が、侯爵家に嫁入りだなんて、玉の輿だわ。そりゃ、お父様もお母様も大喜びするわよね。


王家の覚え目出度い侯爵家と縁続きになるなんて、僥倖だもの。

そのへんは、私にはどうでもいいけれども!


ああ、ほっとした。

私のこの先の人生、なんとかなりそう!




ここ一ヶ月の私の不安は何だったのだと言わんばかりに精神状態はみるみる回復し、食べる量も戻ったし、散歩をする元気も出て来た。

ランニングもしてる!


ルシアンが婚約者なら、ランニングしてることも知ってるし、してても反対されないと思うし!


シアンを見ていると、ルシアンを思い出す。

ついこの前まで、もう会えないんだと思って、思い出すのも辛かったと言うのに、現金だと自分でも思う。


そう言えば、どうしてルシアンは私と婚約しようと思ったのだろうか?


父は、ルシアン側からの強い要望だったと言った。

うちの父が私の為に侯爵家に行って、婚約を取り付けるなんて思えないし、そんな、要求出来る立場ではない。だからやっぱり、向こうからの要望なのだ。


あれかな、ルシアンってば、自信ない子だから、比較的普通に話せる私を婚約者に選んだとかそういうことかな?

あぁ、それ一番濃厚な線っぽいー。


貴族の結婚は、会ったことのない人と、というのも普通だ。

恋愛結婚で、なんてあまり聞かない。だからこそ、女子側は恋愛結婚に強く憧れるのだ。


ステキな人に見初められ、思いを通わせ、結婚する。


そうでなければ、貴族の結婚って義務ばかりで相当しんどいと思う。


そう言う意味で、相手の人となりを知った上で結婚出来る私は、かなり恵まれていると思う。

玉の輿だし!


急遽降って湧いた幸運に感謝しつつ、実家生活を満喫していた。


私が侯爵子息と婚約したことで、兄は私への評価を改めたようだったが、自分より格下だと思っていた妹が、自分の婚約者より爵位が上の人と婚約したことが許せなかったのだろう、姉は私に強く当たるようになった。

露骨…!そして心せっま!!


そんな姉を、両親も兄も、みっともないと窘めてくれるのは幸いだ。


って言うか、姉は恋愛の末の婚約と聞いてる。

そっちの方が幸せじゃないの?

そんなことも忘れてしまう程に、私のことを下に見ていて、自分より上の立場に行くことが許せないってことですか?


…そういうのは、本来得られる筈の幸せをとりこぼすから、早く正気を取り戻すといいな。


単純に見下されてる方がマシだったとか、どういう環境なんだよ、コレ。

さすがに、ミチルが可哀想になってきた。


愛してくれとは言わないけど、こんな、物扱いは本当、中身が大人の私でも辛さを感じる。

ミチル自身には本当同情する。


貴族の全てがこうではないけれど、結婚そのものに愛がなければ、その婚姻関係の結果生まれた子供に愛を注がないのも理解は出来る。


破綻してるなぁ…。




冬休みも終わりに迫った頃、夜会に招待された。


アルト侯爵家主催の夜会で、ルシアンの婚約者としてお誘いを受けた。

未成年なので、両親も一緒だ。


うちの屋敷の倍はあろうかという大きな屋敷に、豪華な装飾がこれでもか!というぐらいに施されているが、嫌味もなく、品良く作られているあたり、この屋敷を作った当時の侯爵家当主の趣味の良さが伺える。


こちらの世界でも、ロココ調みたいな、そういうのがあるのだろうか?


エントランスを抜け、大広間に入るなり、私たちはアルト侯爵にご挨拶に向かった。


初めてお会いするアルト侯爵は、スラリとした長身に、黒く長い髪を首の後ろでキレイにひとまとめに結んでいる、30代のイケメン男性だった。


か、カッコいい⋯⋯!


好みど真ん中ではないけれど、ついつい見惚れてしまう。

この人がルシアンの父なのか!


両親のお辞儀に合わせて私も丁寧にお辞儀をする。


アルト侯爵はにっこりと微笑んだ。


「初めまして、姫君。この度は、うちの愚息との婚約を受け入れて下さったこと、心より感謝申し上げます。」


とんでもございません、と父。


まぁ、選択権は私にないからね。他の家はあるのかも知れないけど⋯⋯ふふ。


「今日はせっかくミチル姫に会えるのだから、皇都から戻って来るように伝えたのだけれど、忙しいなどと言って、いないのです。申し訳ありません。」


⋯⋯あれ?


私の頭に疑問がもたげてくる。

でもそれはまだ、ぼんやりとしていて、形を成さない。


「ルシアンに良い影響を与えて下さったミチル姫のような方が、婚約者になってくれたらと、我が子可愛さに、強引に話を進めてしまいましたが、これから、末長いお付き合いをよろしくお願いします、アレクサンドリア伯爵。」


興奮したように、勿論でございます!と力強く答える父を見ていて、ふっ、とさっきのもやもやの答えが降ってきた。


この婚約は、ルシアンの希望ではなく、アルト侯爵の希望なのだ。


何がどう影響したのかは分からないけど、私のしたことがルシアンに何らかの作用を及ぼし、それを見ていたアルト侯爵が、うちの息子コミュ障だし、ミチルなんかいいんじゃない?うんうん、名案だそうしよう!…ていうことですか…?


と、言うことは、ルシアンが今後他の誰かを好きになった場合なんかは、私の立場って紙っぺら一枚ぐらいの薄さなんじゃない?


皇都にも影響を及ぼす名門一家の御曹司と、大したことのない、何の取り柄もない伯爵令嬢とか、釣り合わないにも程がある!!


皇都の学院でステキな人とかに出会ったら、そっちに気持ちいくんじゃない?


ルシアンの記憶の中の私って、ただのデブだし!


あぁ、そうだよ、きっともうそういう人がいるんだよ、だから今日、ここにルシアンはいないんだよ…。


そうしてまた、私は地を這うような心持ちになり、上の空で夜会を過ごした。


これはやはり、当初の予定通り、立身出世を目指した方がいいのでは…?


ルシアンは次男だから、このまま皇都で過ごすこともあるかも知れない。


そうなると、ルシアンに婚約破棄されたのに皇都に私が行ったら、捨てられたのに皇都まで追っかけて来たしつこい女って思われたりしない?!


皇都でなら、女一人でもやっていけるかもという私の希望さえ、砕け散りそうだ…!


神さま、へるぷ!

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