第60話 きっかけ
ユイルはゆっくりと呼吸をすると、ぽつりぽつりと話始めた。
「全ての始まりは父との言い合いからでした。僕は将来、音楽に関わっていく仕事に就きたいと思っていましたが、父がそれを真っ向から否定したんです。
『音楽で食べて行けると思っているのか?』『そんなことよりも、公務職に就け』と言われました。父がサラリーマンで苦労をしていたから、僕に同じような思いをさせたくないと思ったのかもしれません。
父の気持ちは分かりますが、夢を思い描いている者に否定する言葉を投げかけたら、反発するに決まっています。お陰で僕の気持ちは
「ユイルが音楽関係の仕事に? 初めて聞いたよ」
クレリックは驚いた様子だった。
それもそのはずでこの夢は父に語った後、誰にも言わずに心の内に秘めていた。母・カンナは知っていただろうが、父にきつく「他言するな」と言われていたので、ナミの母親にも話していないだろう。
ユイルは力なく笑った。
「音楽関係の仕事に就きたいと思ったのは、高校生になってからなんです。ある人のピアノの演奏を聴いて、それに関わっていくことが出来たらいいなと思いました。僕は楽器を弾いたりすることが出来なければ、歌も下手ですが、それでも音楽をシュキラやルピアの人たちに届けるようなことを、やっていけたらいいなと考えていたんです」
それがスバル・ライトとの出会いだった。
ユイルがスバルと出会ったのは、喫茶店「シャロン」だ。スバルはルピアでピアニストを目指していたが、道半ばで挫折。
人々に認められ大舞台に立つには、いくつものコンクールに参加し賞を取らなくてはならない。しかし、それが出来るのは僅か一握りの人たちだけ。スバルは何度も色々なコンクールに挑戦したが、賞を取ることはできず、身も心もぼろぼろになってシュキラに来たのだった。
ユイルがスバルと会ったときは、既に彼が女装して演奏をし始めたときだったが、通ううちに仲良くなると自分の過去を打ち明けてくれた。そして女装をして弾いている理由も。
スバルが女装をするのは、万が一ルピアの知り合いが「シャロン」に来ても、「スバル・ライト」であると分からないようにするためだった。ピアニストを諦めても人前で弾くことを諦められず、喫茶店で弾くような奏者に成り下がったと言われたくなかったからだという。
そしてスバルは言った。
『ピアノは好きだ。だけど時々虚しくなる時がある。ピアノを上手く弾けるようになるたびに、誰かに聞いて欲しいと言う気持ちが生まれるけれど、そうするには人々が聞いてくれる場がなければならない。だから聞いてくれる人が傍にいないとき、僕の努力は無駄なんだなと思うんだ』
それを聞いたユイルは、音楽関係の仕事をしたいと思った。彼のように才能を持った人たちの演奏を気軽に聞けるような場を作りたいと考えたのである。
「そうだったのか」
「でも、それは父には理解できないことだったようです。『好きなことをしてご飯を食べて行けるのは、一握りの人間だけだ』って言ってましたから。どうやっても僕を公務職に就かせたかったみたいです。
あまりにもしつこく『公務職に就け』と言うので、『じゃあ、それはどういう仕事をするのか教えてくれ』と聞き返したことがあるのですが、父は具体的な仕事の内容を答えてはくれませんでした。『そんなこと自分で調べろ』って言うんです。
可笑しいでしょう?
僕は公務職員になりたいわけじゃなくて、音楽に関わる仕事をしていきたいと言っているのだから、公務職の仕事の内容を調べるわけがないじゃないですか。人に勧めるくらいなら、そこまで調べて教えて欲しかったですね」
「公務職が安定の仕事だから、ユイルの父……タモツさんは勧めたのか?」
「そうでしょうね。それなのに『役所のやつらは特にいつも楽しているんだ。だから、そこに入れば楽に生活できる』って言うんですよ。この話し方、すごく嫌になりませんか。その仕事を否定しているのに、僕にそこに入れって言うんですよ? 勿論、公務職の人が皆そんな訳がないと思うのですが、父の中では『仕事が楽』という括りにいられているんですね。とにかくそんな話ばかりしていたので、家に帰るのが嫌になりました」
「……」
「家に帰りたくないので、夜出歩いていると、訳も分からず因縁を付けてくる人たちがいて喧嘩になる。僕はそこでストレス発散をして、相手に怪我をさせる。帰宅すると母が泣いて、父が激怒する。その繰り返しでした」
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