第59話 協力者
「何で俺の所に来た?」
クレリックは低い声で、テーブル越しに座るユイルに尋ねる。
ユイルは夜中に家出したあと三時間歩き続け、クレリックの自宅兼仕事場を訪ねていた。戸を叩いたのが早朝だったせいもあり、当然ながら良い顔はされなかったが、眠っていたユイカを抱きかかえていたお陰でとりあえず中に入れてもらうことが出来た。
「話がしたい」というと、誰もいない部屋に通された。
「息子は、俺の妻に見ていてもらおうか」と聞かれたが、今までの生活のせいで人間不信に陥っている。ユイルはそれを断り、ユイカと一緒に部屋に向かった。
案内された場所は休憩室のようだったが、作業場と近いせいか革製品の独特な匂いがほんのりと香った。
(あの日、おじさんは怒っていた……)
ナミとは家族ぐるみの付き合いである。そのため、ユイルもクレリックもお互いのことを知ってはいた。
どうやら彼はナミの母親から話を聞いていて、ユイルが高校生の頃に喧嘩ばかりしていたことや、家出をしルピアに行ったあと、家族に連絡もなく結婚をして子供を作っていたことを知っていた。もちろん、それ以来音沙汰がないということも。
ユイルの過去がクレリックにとって理解できないものであるとは予想が出来たし、急に訪ねて来たため何事かと思ったのだろう。そのため、クレリックと向き合ってひしひしと感じる苛立ちのようなものは、自分に向けられて当然だと思っていたのである。
(話を聞くのも嫌だったろうな)
しかし、それでも頼れるところがここしかなかったユイルは、協力してもらうために何としてでも彼を説得する必要があった。
「……妻から逃げるために、力を貸してほしいからです」
クレリックの問いにユイルは素直に答えた。しかしその告白に、ナミの叔父は目を丸くし身を乗り出すように聞き返した。
「妻から逃げるだぁ⁉」
ユイルは頷き、静かな声で答えた。
「数年間、僕は軟禁生活をさせられていました。近頃は監禁と言っても過言ではないほどで、外にも出られない状態でした。その中から今日、ようやく逃げ出してきたんです」
クレリックは何度か瞬きをしたのち、ゆっくりと身体を引いた。
「……そういうものは、普通警察に行くもんだろ」
彼が言っていることは正しい。
家の中で軟禁や監禁をされた場合、たとえ家族の間で起こったものであるとしても違法であると定められている。そのため現状を警察に言ってその身を保護してもらうことが、本来やるべきなのは分かっていた。
しかし、ユイルは首を横に振る。
「妻の父はルピアの議員なので、言ったところでもみ消されるでしょう。私の悪い過去を消し去ったのも、彼女の父なので」
「……」
クレリックは呆れたようにため息を吐いた。
「だからって、なんで俺なんだ」
「ルピアで頼れる人が、おじさんしかいなかったからです」
「迷惑になるって考えなかったのか?」
「考えましたが、どうしてもシュキラに戻りたかったんです」
「若者は普通、シュキラからルピアに行きたがるんだがな」
「僕は……戻りたいです」
「そうは言うが……、俺に何しろって言うんだ。帰るだけなら金さえあればできるだろう。それとも、そのお金がないのか? だったら貸してやる」
「それは、とても助かりますが……それだけではなくて。あの……ナミに会いたいんです。彼女が今どこにいるのか、教えて欲しいんです」
クレリックは目を見張った。
「嬢ちゃんにだって? 既婚者のお前が、何故妻から逃げて俺の姪に会う? それよりも先に自分の実家を訪ねるべきだろう」
ユイルは首を横に振る。
「……実家は無理です。父が受け入れてくれるとは思えません」
「だったら、連れてきた息子を連れて、誰も知らないところに行くしかないだろう」
「いいえ、それではダメなんです。今ナミに会えなかったら、きっともう会えない……。だから、どうしても会いたいんです」
クレリックは腕組みをし、首を傾げた。
「訳が分からねえ。妻から逃げるために、俺の姪のところに行こうなんて、変な話じゃねえか?」
「そのように言われるのは、重々承知の上です」
ユイルは顔を伏せながらも、言い訳する様子もなく素直に言った。
「それならどうしてそんな女性と結婚したんだ」
「それは――……」
ユイルは口を噤む。暫くの沈黙ののち、クレリックが先に口を開いた。
「言えねえのか」
「……言えば軽蔑されると思います」
「既に軽蔑してらあ。ソフィア姉さんやカンナさんから聞いた話から今のお前を見ると、妻が嫌になったんで優しい幼馴染の所に転がり込もうとしているようにしか聞こえねえからな」
ユイルはそれに対し瞬時に否定した。
「それは違います! そういうつもりではありません」
「だから、お前の今までの行動がそう言う風に見せているってことなんだよ。……せめてユイルの口からこうなった理由を聞いて、俺が納得できるなら理解でいないでもないがな」
ユイルは膝の上でぎゅっと拳を握る。
(おじさんが言っていることは正しい)
結婚をしていて、子供もいて。それなのに妻に監禁されているからと、その子供と逃げる先が、自分の姪なんておかしいにもほどがある。
(それでも、僕はナミに会いたい。どうしても、会いたいんだ)
ユイルはゆっくりと深呼吸をした。
そしてあることを決断し、口を開いた。
「――それならどうしてナミに会いたいのかを、今まで起こったことと、どうして家族やナミと連絡しなかったのかも含めて全てお話します。その代わり、ナミに会えるよう取り計らって頂けませんか?」
自身の汚い過去。愚かな行い。
本当は、言いたくはない。
ナミと関わっている人たちに知られたくない。しかしナミに会うための対価になるのなら、差し出すほかない。
「過去を?」
ユイルはクレリックの瞳を見つめ、懇願した。
「お願いします。どうしてもナミに会いたいんです。彼女に会って話したいんです。お願いします」
「……そこまで言うなら、協力してやってもいい。ただし、嬢ちゃんが傷つくようなことになるようなことなら、協力はできない。それでもいいなら話してくれ」
「分かりました」
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