第47話 不明

「ナミちゃん、どうしたの急に」

 とぼとぼと喫茶店に帰って来たナミを迎えてくれたのは、レノと喫茶店のマスターだった。彼らは店の外にいて、走って行ったナミを待っていたのである。

「私……」

 ナミはゆっくりと顔を上げて、二人のことを見た。彼らは心配そうな顔をしていているが、彼女は無理した笑顔しか浮かべられなかった。

「ちょっと、知っている人がいて……」

 レノは彼女の表情を見て、思わず眉を寄せた。

(知り合い? 彼女をこんな風な顔にさせる知り合いって、誰なんだ……)

 彼女の顔はとても暗かった。希望がついえたような、悲しみのどん底にいるような表情だったのである。その時である。マスターがこう尋ねた。

「ユイル君がいたのですか?」

 彼女は彼の一言にはっとした。

(この人はユイルを知っている)

 そう思うと自分の気持ちを抑えられず、彼に問い詰めるように聞いた。

「マスターさん、ユイルを知っているんですか⁉ さっきここを通ったのはユイルですか⁉ 彼は今どこにいるんですか⁉」

「ナミちゃん、落ち着いて」

 レノが慌ててナミを制止に入ったのと重なるように、マスターは言った。

「すみません、知らないんです。ごめんなさい」

「え……」

「あなたが叫んだ名前……懐かしかったものだから、つい。私も彼に会いたいなあと思っていましたから。だけど、いないんですね。ごめんなさい」

 するとナミの瞳から、みるみると涙が浮かび上がり零れ落ちた。

「……私の方こそ、ごめんなさい」

 そして彼女はその場にうずくまった。マスターはナミと視線を合わせるためか、しゃがみ込む。

「ナミ・クララシカちゃんですよね? 今は大人の女性だから、ナミさんのほうがいいですね。高校生の時によく来ていた子でしょう?」

 ナミはマスターの問いに、こくりと頷いた。

「そうだと思いました。暫くぶりに見たものだから気が付かなかったけれど、さっきユイル君の名前を叫んでいるのを見て確信しました。やっぱりナミさんだった」

 彼女はそっと顔を上げる。涙のせいで、目元も顔も赤くなっていた。マスターはそんな彼女に、ハンカチを差し出す。

「ユイル君を探しているんですね?」

 ナミはマスターが差し出したハンカチを断り、肩口で涙を拭った。有難い申し出だったが、問い詰めるようなことをしてしまった手前、その優しさを受け取ってはならないと思ったのである。

「……はい」

「でも、見つからない?」

「はい」

 マスターはハンカチをポケットに戻し、悲し気に言った。

「どこにいっちゃったんでしょうね。ナミさんをここに置いていって。僕はてっきり、ユイル君はあなたと一緒にいるのだとばっかり思ってたのに」

 マスターの言葉に、ナミは首を傾げる。

「どうしてそう思うのですか?高校を卒業してから、私は一度もユイルと会っていないんです」

 すると彼は少し驚いた顔をする。

「だってユイル君、ナミさんがいないときは僕にあなたの話ばかりするですよ? それって好意を持っていなければ、しないことでしょう?」

(まただ……)

 ナミは再び泣きそうになった。

(私の知らないところで、ユイルが私のことを想っているような話を聞く。マスターさんもそう。ユイカもそう。でも、ユイルが本当はどう思っているのか私にはまったく分からない)

 しかし、彼女はもう泣かなかった。顔を伏せて何とか涙を堪える。そして立ち上がると、レノに言った。

「レノさん、ごめんなさい。紅茶を注文していたのに、外に行ってしまって……」

「いや、それはいいんだけど――」

(『ユイル』という人について聞きたいところだけど、そういう雰囲気ではないな)

 彼はナミが外に走り出した理由を聞きたかったが、多分今聞いても答えてくれないだろう。レノは聞きたい気持ちをこらえ、笑顔を見せた。

「紅茶、きっともう準備されているよ。折角だから飲もう。そのうちに、カイルが来るよ」

 ナミは何度か小さく頷くと、再び店内に戻った。

 そして紅茶を飲んでカイルが迎えに来るまで、レノとナミの間には紅茶の話題以外はなかった。

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