第45話 スバル・ライト

 「スバル」とユイルに言われた男は、すらりとした体型の人だった。彼には申し訳ないが可愛らしい顔をした人で、その上童顔である。スーツを着ている姿から、ナミたちよりも年上だとは思ったが、その顔立ちのせいで同い年と見てもおかしくないように見えた。

「はじめまして。スバル・ライトです。よろしく」

 思ったよりも低い声だった。スバルはユイルの隣に座ると、ナミに挨拶した。彼女はテーブル越しに頭を下げ、同じく挨拶をする。

「はじめまして。ナミ・クララシカです」

 何故この人が挨拶をするのか、一緒の席に座るのか分からず、ナミはちらりとユイルを見た。すると彼は笑って言った。

「ナミ、彼はさっきピアノを弾いていた人なんだよ」

 さっき、ピアノを弾いていた人。

 ナミの頭でその言葉が木霊する。そして、その意味が分かると、彼女は目を丸くした。

「えっ」

 ナミがその意味に気が付いたのを見て、ユイルは微笑む。どうやら思った通りの反応をして嬉しかったようだ。それから彼は説明した。

「スバルが女装していたんだ。びっくりだろ?」

「え? ええ? この人が女装?」

 ナミは思わずスバルをまじまじと見た。

「確かに、女装しても分からなそうだけど、でもとっても綺麗だったから本当の女の人だと思った……」

「ね、すごい完成度でしょ。女装して演奏している時の名前は、『ルーシュ』って言うんだ」

 ユイルがスバルの代わりに得意気に言うと、スバルは苦笑いを浮かべていた。

「まあ、そこを褒められるのは何とも複雑だけどね」

「でも、男の人が女の人の恰好をするなんて……」

 シュキラでは男が女の恰好をするというのは、軽蔑される対象だ。ナミは直接会ったことはないが、男が女に化けているのは見るに堪えないものだという。そして頭の狂ったものが行うもので、人々は彼らに近づかないようにと周囲の大人から言われていた。

 そのため、ナミは「おかしいことだよ」と話を続けるつもりだった。しかし、彼女の代わりにユイルが真顔で言った。

「おかしい?」

 彼の言葉は強かった。声が大きかったわけではない。しかし、単純に「おかしい」と言ってはいけない響きがそこにはあった。

「えっと……」

 ナミはユイルの瞳をじっと見た。宝石のようなブルーの瞳が強い意志を持って輝いている。彼女は彼女は美しい幼馴染が何を考えているのか想像しながら、否定的な言葉を避ける言い方をした。

「……おかしいって言うか、そんなこと思いつきもしなかったから」

 すると、ユイルがふっと微笑む。

「今ね、ルピアでは流行っているんだよ」

 ナミは再び目を丸くする。「流行っている」とはどれほどのものなのだろう。

「ルピアで?」

「そう。男が女になる」

「男が女に……」

 ルピアではそんなことが当たり前に存在するのだろうか。ナミは何だか怖くなった。すると、ユイルの隣でスバルが言った。

「女の人が男の人になるときもあるよ」

 まるで、「スーパーに買い物に行こうよ」くらい軽い話し方だった。

「そう、なんですか?」

 ナミの問いかけに、スバルはテーブルに肘をつきそこに顎を載せて頷く。

「あるよ」

「……」

 ナミがどう答えていいのか分からなくなっていると、スバルが言った。

「でも、僕のは本気じゃないから」

「本気?」

「本当に女の人になりたいって思っているわけじゃないってこと」

 ナミは眉を寄せた。女の人になりたいと思っているわけではないのに、女の人に変装する。その意図がよくわかなかった。

「じゃあ、何で女の人になったんですか?」

 するとスバルは快く答えてくれる。

「『メタモルフォーゼ』をしたかったから」

「『メタモルフォーゼ』?」

「そう。自分じゃない誰かになりたいから」

「そんなの……どうして?」

 すると、スバルはにこっと微笑んだ。

「まあ、僕の演奏を聴いて欲しいからってことなんだけど――」

 そう言って彼は言葉を続けた。

「演奏はどうだったかな? 気に入ってもらえたかな?」

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