第38話 腕の中の少年-2

「私がこの子を引き取るということはできるんですか?」

「引き取りたいの?」

 ヤヒリに聞いておいてその様に問われると、ナミは頷くことはできなかった。

「分からないですけど……だた、もうこの子の泣くところ見たくないんです」

 ヤヒリは鳥の巣のような頭をガシガシと掻きながら、「そっか……」と呟く。

「うーん。法的制度がどうなっているか、僕も詳しいことはよく分からないけれど、もし引き取ることができたとしても簡単なことじゃないことは確かだ。

 自分の子だって育てるのが大変なのに、赤の他人って言うともっと難しくなる。世間の目もそうだし、この子が大きくなった時両親のことを気になりだしたら君はどういう説明ができる?」

「説明……」

「それに養育費もかかる。失礼なのを承知で聞くけど、ナミさんは未婚だよね?」

「はい」

「だとすると、大変だ。結婚をして離婚した場合や、死別している場合は町から補助金が降りるけど、未婚の場合だと出ない。ここにもね、未婚の母がいて子供を連れてくるんだけど、生活は大変だと言っていた。女性が男性のように働けるような場所も中々ないから、生活費を稼ぐだけで大変だって。

 シュキラはルピアと違って税収が少ないせいもあって、町民に対する補助が少ないんだよ。こういうことを聞いても、ユイカ君を引き取る覚悟があるかってことだね」

「……」

 ナミは俯いた。ヤヒリの問いにすぐに答えることができなかった。

 ユイカを守ってあげたいと思ったとたん、「法律」という壁が自分とこの子の間に立ちはだかる。それも高い壁だ。

(乗り越えられるだろうか?)

 ナミは自分の前にそびえ立つ壁を見上げた。今のところ、乗り越えられる気配は全くない。

(それでも、前に進まなくちゃ……)

 ユイカが今頼れるのは、自分だけ。

 ユイルはどこにいるか分からないし、ユイカの話を聞く限り母親はきっと自分の子供の居場所すら分からない状態だろう。

「先生」

「うん?」

「大変なことは分かりました。どうするか、考えてみます」

 そう言って、ナミは顔を上げた。そこに浮かんだ表情は先ほど病院を出た時とは違った顔をしていた。何かから逃げ出したいようなものではなく、向き合おうとしている強い意志を感じた。

 彼は思わず微笑んだ。

「そっか、うん。考えるのは大事なことだ。焦らずにね」

 彼女は頷いた。

「はい。色々教えて下さってありがとうございました」

 そう言うと、ナミはユイカを一旦おろしてから自分が立ち上がり、それから彼を背負った。ただ、一人ではうまく背負えなかったので、ヤヒリの手を借りながらだったが。

 ユイカを背負った彼女がよろよろと立ち上がるのを見て、ヤヒリは心配そうに声を掛けた。

「大丈夫?」

 ナミはユイカを持ち直しながら苦笑する。

「多分……。6歳児って重いですね……」

 ヤヒリは笑いながら同意した。

「子供は重いよ」

「……そうですね」

 二人はそう言って、部屋を後にする。ヤヒリは玄関先まで付いて来てくれて、先ほどユイカの手当てをしてくれたミワという女性も見送りに出てくれた。

「気を付けて。何かあったらいつでもおいで。相談に乗るよ」

「はい。ありがとうございました」

 ナミは深く頭を垂れて病院を後にする。背負った者の重みと体温が感じられる。今はそれを感じるのが嬉しかった。

 病院を出てからすぐに、数組の母親と子供とすれ違った。道の先にあるものを考えると、すべてヤヒリの所に行くかもしれない。

「もう夕方だよ……」

 ナミは階段を降りる前に、夕日に照らされたシュキラの町を見下ろした。町全体がオレンジ色に輝いている中で、「セレ・ドヴァイア・ミカラスカ」は相変わらず、吸い込まれそうなほど濃い藍色をしている。

 ナミはそこでゆっくりと息を吐きだすと、ユイカを背負いなおし帰路に着くのだった。


 そして、もう一方で新たな動きがあった。

 ナミがヤヒリの病院から帰った後、シルクハットを被った二人のスーツ姿の男が、ヤヒリの元を訪れたのである。

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