第39話 誘拐犯
ナミが何とかユイカを背負って、「グリーン・ルーフ」に帰って来た時である。
何故か「グリーン・リーフ」の敷地の外で、ジェシカの夫・レノが腕組みをし、ブロック塀に寄りかかっていた。
背が高くて、スポーツマンのような体格をしたレノは、ナミに気が付くと「よっ」と手を挙げて軽く挨拶をする。見た目も仕草もやんちゃ坊主のような印象だが、内面は気さくで優しい人だ。
「おかえり、ナミちゃん」
「レノさん?」
ナミは何故レノがここにいるのかよく分からず、きょとんとした表情のまま近づくと、彼は人差し指を立てて「しっ」と声を潜めるように指示する。
「どうしたんですか、こんなところに立って……」
指示に従い、小さな声で尋ねるとレノはちらりと自分の家の方に視線を向ける。
「警察」
レノの低い声に、ナミは怪訝な表情を浮かべる。
「えっ?」
「ちょっと、覗いてみな」
彼は親指で「グリーン・リーフ」の方を指さしたので、ナミはそっと顔を出し、その様子を眺める。するとジェシカの部屋の前に、警察官の男が二人立っているのが見えた。彼女はそれを確認すると、体を引っ込め再び敷地の外のブロック塀に隠れる。
「レノさん、何か悪いことしたんですか?」
「まさか」
そう言ってレノは笑ったが、すぐに表情を曇らせる。
「俺のことだったらいいんだけどなあ……」
彼はため息をついてから、こう言葉を続けた。
「ナミちゃんのことらしい」
「わ、私っ?」
ナミは驚いて目を丸くした。レノが頷く。
「みたい」
「どうして……」
彼女の疑問に、レノは静かに答えた。
「どうやら行方不明になった子を探しているらしいよ。それで、ナミちゃんが誘拐犯になってる」
ナミは息を飲んだ。
「嘘、ですよね?」
一縷の望みに縋るように尋ねたが、レノははぐらかしたりしなかった。
「ホント」
彼女はうろたえながら、自分の行為を肯定しようとした。
「でも、私は家の前にいたこの子を保護しただけで……」
ユイカはナミが連れてきたわけではなく、彼自身が自らやって来た。それも父親がナミのところへと言ったというのだから、誘拐犯になるなどお門違いだ。
レノは頷きつつも、硬い表情で言った。
「それがちょっと厄介なんだ。ナミちゃんにこの子を預けたのが、親の公認だったら警察なんて動かない。だけど、そうじゃない。だろ?」
「……」
ナミは目を泳がせた。
(じゃあ、ユイルは私を誘拐犯に仕立てるために、ユイカを家の前に置き去りにしたってこと?)
「何で?」
ナミは震える声で呟いた。
やっとユイカを守る側としての意識が芽生え始めたというのに、今度はこの子をさらった誘拐犯扱い。次から次へと苦難はやってきて、もはやユイルと会えるどころではない。
「何でなのよぉ……」
彼女は長い溜息をつく。それから、ずり落ちそうになっていたユイカに気が付いて背負いなおす。
その様子を何気なく見ていたレノは、「あ、そうだ」と明るい声を出す。何か思いついたらしい。
「ナミちゃん、警察が帰るまで下の喫茶店に行こうよ」
「え?」
「まだまだかかりそうだし。見つかったら面倒でしょ。だから紅茶でも飲みながら待たない?」
「あ、えっと、でもお金が……」
先ほどスーパーで散財したばかりである。だが、彼はそれをさらりとかわす。
「いいから、いいから。紅茶いぐらい奢るし。――カイル」
レノは急に、自分の息子の名を呼んだ。
どこに隠れていたのか、反対側の道からカイルがひょこっと顔を出す。彼は父の元に来ると、用件を尋ねる。
「何、父さん?」
「父さんは、ナミちゃんと下の喫茶店『シャロン』に行ってくる。警察官が帰ったら知らせに来て。できるね?」
レノは早口で息子にそう言うと、小さいが頼りある少年は大きく頷いた。
「うん、できる」
「よし、頼んだ」
レノは息子の頭をくしゃくしゃに撫でると、にこっと笑う。するとカイルは得意そうな笑みを浮かべて、また道の反対側へ戻って行った。
「さて、行こうか」
レノはナミの背からひょいとユイカを抱き上げる。筋肉質の体は伊達ではないようだ。
「あ……」
ナミが困ったような声を出したので、レノは歩きながら弁解した。
「どこからこの子を背負って来たのか知らないけどな、だいぶ前傾姿勢だよ。俺が抱いていくから、少し自分の体を労わりな」
(前傾姿勢?)
ナミはそう言われて、ゆっくりと体を起こした。すると腰のあたりから背中にかけて、ピキピキと骨が鳴る音がする。
(本当だ……レノさんに言われるまで気が付かなかった……)
6歳児の子供を背負うのは、慣れない者にとっては重労働である。しかもシュキラ特有の階段の上り下りをしてこなければならなかったのは、中々に体に堪えた。
(レノさん、軽々だ)
ナミはユイカを抱いたレノの背中を見ながらそんなことを心の中で思った。男の人だと、あれくらいの子供は軽く抱けるものなのかもしれない。
その時ふと、レノの背中姿がナミの知っている、思い出の中のユイルの背中と重なった。そして彼が振り向く――。
「ナミちゃん、置いていくよ」
そう言ったのは、レノだった。
彼に呼ばれてナミは現実に戻った。ついでに首を横に振って、幻影のユイルの姿をかき消した。
(誘拐犯扱いされそうになってるのに、私ってば何想像してるんだろ!バカみたい!)
そして、急いでレノの背を追った。
「ま、待ってくださいっ」
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