第8話 扉の前に
(私にとって、ユイルは人生の大半を占めていた。彼がいることによって、ありきたりな日常が、彩豊かなものとなった。だけど、ユイルがいなくなって、彼が結婚をし子供ができたと聞いてから、私は彼を失った。胸にはぽっかりと穴ができ、それから私は、いつもそこに埋めるものを探していた。彼に代わる何かを。でも、ダメなんだ……。ユイルじゃないと……。私はユイルが今でも好きなんだ……)
ナミが顔を上げると、すでに日は沈み、辺りが暗くなっていた。
「帰ろう……」
ナミは立ち上がり、服についた砂を払い落とすと、ユイルを探すために使った自転車を引きながら、重い足取りで帰路についたのだった。
ナミは現在、『スイピー』の近くにあるアパートで生活している。実家もそう遠くないところにあるのだが、一緒にいると色々うるさく言われるので、22歳の時に移り住んだ。あまりお金がないので、立派な場所には住めないが、アパートの住人が皆いい人達なので、気に入っていた。屋根と壁がパステルグリーンに染められたアパート「グリーン・ルーフ」の二階にある一部屋が、ナミの今の家だ。
彼女がいつもよりも疲れ切って、アパートの階段を上ったときである。
(え……?)
ナミは自分の目を疑った。自分の部屋の前に小さい子供が、ドアに背を預けて座っているのである。紺色のつばのある帽子を深々と被り、リュックを背負い、肩には水筒をかけていた。
「誰……?」
ナミはため息まじりに呟きながら、そっとその子供に近づき、様子を見る。だがこちらに気が付かないので、今度は腕をつんつんを突いてみるがぴくりともしない。どうやら眠っているようだった。
「おーい……君、起きてー」
ナミはその子の方を掴んで揺すると、「んん……」と言いながら子供は目を覚まし、「うーん」と腕を伸ばした。そして目を擦ると、半分開いた瞼からきらきらと光るブルーの瞳が覗き、ナミを捉える。
「あれ……、あの……あなたは、このお家の人ですか?」
高い声だが、男の子だろう。彼がまだ半分寝ているような状態で、目がとろんとして尋ねる。ナミは、彼が誰なのか聞きたい気持ちを飲み込んで、頷いた。
「そうだけれど……」
「それじゃあ、お姉さんが、ナミさん?」
彼はナミの名を知っていた。
「そうだけど……、どうして知ってるの?」
少年は目を擦り、欠伸をしながら答えた。
「お父さんに……、困ったことがあったら、ナミさんの所に行くといいって言われたから、です」
ナミはその瞬間、ある予感が頭を過った。
(まさか……)
「ねえ、君。お父さんって誰?名前を教えてもらえる?」
ナミの胸が高鳴るのを感じる。すると、少年はナミが求める回答を口にした。
「はい。えっと……、お父さんの名前は、ユイル・イルクラナスです」
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