　17時になると、仕事は終わりである。ナミは片付けを終わらせて、店を後にした。

(好きな人、か……)

　ナミは丘の中腹にある店から、下の方へ降りていく階段で足を止め、景色を眺めた。夕焼けの空が半分以上を占めているが、視線を下に移すと住宅地が広がり、ぽつりぽつりと家の明かりが見える。さらにその下に大きな黒い湖が見えた。

「……」

　ナミの家は、店からそう遠くない場所にあるのだが、今日は真っ直ぐ家には帰らず、寄り道をすることにした。目の前に続く階段を、20分くらいかけて降りると、ようやく一番標高の低い所に辿り着く。

　ナミは、そこから目の前の大きな道路を渡ると、すぐ目の前にある『セレ・ドヴァイア・ミカラスカ』へ向かった。近づいてみると、まるで海のような湖は、周りが浜辺のようになっており、船の仕事をしている大人の他に、若い男女のカップルが歩いていた。これから暗くなると、この湖に星が映る。ロマンチックなその場所で、彼らは相手を想う気持ちを深めるのかもしれない。

　ナミはその傍をそそくさと通り過ぎ、人気のいないところにくると腰を下ろした。

　少しずつ日が暮れていき、風が冷たくなっていく。その風は湖の表面の水を撫で、さざ波を立てていた。

「……」

　ナミは暫くその様子を眺めていたが、膝を抱え顔を腕の中に埋めて呟いた。

「ララさん、本当は私、好きな人はいるんです……」

　誰にも聞こえないくらい小さな声だった。

「どんな人って聞かれたら、とても美しい人って答えます。男の子なのに、女の子みたいに綺麗なんです。幼馴染で、私の大切な人……」

　ナミはゆっくりと顔を上げ、じっと遠くを見つめた。湖の向こうにある『ルピア』の街を、見ようとした。

「でも、その人はこの町にもいないし、結婚もしているんです」

　ナミの瞳からは一粒の涙が、ほろりと零れ落ちた。

「本当は諦めなくちゃいけないんですけどね……。どうしてでしょう。できないんです」

　ナミは日が暮れるまでその場にいて、湖なのか、空なのか、はたまた虚空なのかどこかをぼんやりと眺めていた。彼女は時折この場所で記憶の中にダイブし、好きな人と起こった出来事を思い返していた。ナミにとって、『セレ・ドヴァイア・ミカラスカ』は想い出に浸れる場所である。こうすることで、寂しいと言う気持ちをごまかすことができた。好きな人と共に過ごす気持ちが蘇るのである。だが、それは未来に進むことはない。彼女はずっと、その好きな人との過去を、ここで思い出すだけなのである。

　ナミは一通り想い出に浸り終わると、ゆっくり立ち上がった。すると、遠くのほうにカップルの姿が見えた。暗かったが、シルエットの動きでキスをしているのが分かってしまった。

　ナミはさっと視線を逸らすと、はあ、とため息をついた。

(いいわね……)

　両思いとは、なんて幸せなことなんだろう、とナミは思った。自分にはないもの。

(片思いって、諦められなかったら、どうしたらいいのかしら……)

　ナミは再びため息をつきながら、帰路についたのだった。