第6話「初めてのワガママ」
「ふわぁ……はふぅ……」
「リーサお嬢様。はしたないですよ」
「はうわっ、シェ、シェスカさん!気配を消して背後に立たないで下さい!」
屋敷の中で、欠伸をしながら廊下を歩いていた時だった。メイドのシェスカさんが、いつの間にか背後に忍んで来るのだ。
「あはは、ビックリするかなと思いまして」
「そりゃ驚きますよ……」
「しかし、お嬢様が眠そうにしてるのは珍しいですね。何かあったのですか?」
「あぁ……いやぁ……ちょっと考え事をしてただけなので」
言えない。昨日の夜に皆さんが話してた事に感謝を感じ過ぎて、嬉々感で眠れなかったなんて言えない。
「シェ、シェスカさんは何か用だったんですか?」
「私はリーサお嬢様にお話がありまして、今お時間は宜しいですか?」
「はい。大丈夫ですけど……?」
「それは良かった。では参りましょう?リーサお嬢様」
「は、はぁ……」
シェスカさんは笑みを浮かべて、私の手を引いて歩き出す。訳も分からずに着いて行くが、いまいち狙いが分からない。だが分かる事もある。それは……
「(絶対何か企んでますね。お菓子の新作でも出来たのでしょうか?)」
日頃から食事も管理しているシェスカさんならば、有り得なくは無い話だ。だがあくまで可能性で、決めるのは早計過ぎるかもしれない。
ここは会話で引き出すしか方法は無いだろう。
「あのシェスカさん、何処へ向かっているのですか?」
「秘密です」
「……し、詳細は?」
「教えられません。諦めて下さい」
「で、では何をするのかだけでも……」
「秘密です♪」
何かを企んでいるのは決定したけれど、取り付く島も無い程に秘密のゴリ押しだった。お父様やお母様の誕生日はまだですし、シェスカさんやルルゥさんもまだで、ミレイナの誕生日もまだである。
これはいよいよ、本当に分からないという状態です。ま、まさか……その楽しそうな様子でまさかのお説教とかでは!?
「……ん?どうしたのですか?お嬢様」
「い、いえ、特に何にもありませんよ……」
「そうなのですか?顔色が優れない様子ですが、具合が悪いのであればまた今度に致しますが?」
「(まさかのお説教の延長コース?!)」
な、何か私は知らずの内に失敗したのだろうか。私は記憶を遡って、あらやる可能性を絞り出していた。
そんな中で、やがてシェスカさんは足を止めてしまったのだった。目の前にある扉とその場所を見ると、私の思考は停止した。
「(し、執務室……お、お父様の部屋!こ、これはもう、本当にお説教ですか!?私は何かしたんですか?何か、何か言って下さいシェスカさーん!!!)」
「では、参りましょう、お嬢様♪」
「は、はい。(嫌です!参りたくないです!良い笑顔で私の手を引かないで下さい!)」
シェスカさんに手を引かれ、完全に逃げ場を失った私は開かれる扉の中へと足を運ぶ。内心的に諦めた時、目の前に大きな花束が差し出されていた。差出人は、妹のミレイナであった。
「はい!お姉様♪」
「え……は?え?な、何ですか?」
頭の回転が追い付けずにいる私の目の前で、優しい笑みを浮かべるミレイナ。その後ろで口角を上げて微笑んでいる両親とルルゥさん。
私は次のミレイナの言葉が出るまで、事態の収拾が出来なかった。
「お姉様、お誕生日おめでとう!」
「たん、じょうび……わたしの?」
そう告げられた時、私は自分の誕生日の事を思い出していた。それはこの世界の私ではなく、生まれ変わる前の記憶である。
そこに居るのは、他の家族が誕生日ケーキを買っている様子を眺める私。クラスメイトがプレゼント交換をしてる様子を眺める私。誕生日と名のつくイベントに一線を引いて、眺めていた私には無縁の物だと思っていた。
それが今、目の前で広がっている。ケーキやワインがあり、微笑んでくれる家族と花束を差し出す妹の姿が視界を覆う。
やがて事態を把握出来た私は、胸の奥から込み上げてくる感情を抑える事は出来なかったらしい。
「お、お姉様?ど、どうしたの!?お誕生日、嫌だった?」
「どうして?」
「だってお姉様、泣いて……」
「え……?」
ミレイナの言葉に私は顔に触れ、自分が涙を流している事に気が付いた。私は慌てて拭うのだが、どうしてもその涙は拭い切れなかった。
拭っても、いくら拭っても……その出してしまった感情は抑える事は出来ない。迷惑掛けたくない。悲しませたくないと思っても、この感情は抑えられない。
「いいえ、そんな事無いですよ。ありがとう、ミレイナ。……お父様、お母様。シェスカさん、ルルゥさん。ありがとうございますっ」
頭を深く下げた私は、震えた声で感謝の言葉を紡いだ。何度も、何度も……同じ言葉を繰り返していた。
そんな私の目の前までやって来たお父様は言った。
「リーサ。何か私たちにして欲しい事は無いか?これまでお前に断られて来た祝いの席なのだ。今日ぐらいは、何かワガママを言っても許されるだろう」
「っ……ワガママ、ですか?」
「あぁ、して欲しい事は?何でも良いんだ。欲しい物があれば買うし、手配もしよう。作って欲しい物も、お前が望む物を私達は叶えたいのだよ。リーサは私達の娘であり、宝なのだから」
「そうよ?貴女は私達の宝なの。宝石よりも遥かに掛け替えのない宝物なのよ。だから、思い付くもので良いわ。リーサの欲しい物を聞かせてくれるかしら?」
「お父様……お母様……」
私はその言葉を聞いた瞬間、遥か昔のように感じる記憶がフラッシュバックした。その時に感じていた感情を思い出した私は、絞り出した声で俯きながら呟いた。
「だ、抱き締めてくれますか?」
そう言った途端、驚いた表情を浮かべた家族。やはり駄目だろうかと思った直後、両側から両親に抱き締められた。
「そんな事、いつでもやってやるさ」
「ええ。やっと、貴女から言われた願いだもの。何度だって抱き締めてあげるわ」
「……っ」
そんな事を言いながら、両親は私を強く抱き締めた。まるですぐに割れてしまう繊細な物を扱うように、強くてもそこには確かに優しさがあった。
私はその優しさを感じながら、ある事を思い出していた。
『理沙、おいで』
『ほら、理沙の好きなケーキだぞー』
『おとうさん、おかあさん、ありがとう!』
その記憶はかつて、幼い頃に迎えた誕生日の記憶。私がまだ榊原理沙として生きて、物心が付くほんの少し前の出来事だ。それを思い出した私は、重ねる訳じゃ無いけれど……感謝の言葉を紡いだ。いつもよりも壁を失くして、無邪気な子供のようにその言葉を今の両親に捧げるのであった。
「ありがとう!お父さん、お母さん、皆、大好き!」
そしてその日。私は10歳になり、本当の意味で家族になったのである。
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