黒髪の剣姫編
第1話「アルテミス家の姉妹」
――リーサ・アルファード・アルテミス。
それが私の名であり、生まれ変わった私の新しい名前だ。黒髪ロングという髪型の私と鏡合わせで対面しながら、私は背後にいる彼女と言葉を交わしていた。
「お嬢様の黒髪は、相変わらずお綺麗ですね」
「ありがとうございます。でもシェスカさんの茶色の髪も、私は綺麗だと思いますよ」
「これは嬉しいお言葉を頂きました。お褒めに預かり光栄ですが、お嬢様?私たちメイドにそのような敬語は必要ありません。どうぞ、楽な口調でお話し下さいませ」
楽な口調と言われても、これが一番楽なのだから仕方ない。それにシェスカさんは目上の人である以上、別に敬語を使うのは間違いでは無いはずだ。
しかし、それは私の常識。この世界では違うらしい。
「お嬢様は私たちの仕える主人の一人。そんな方にメイドが敬語を遣わせるのは言語道断です。本来であれば、私たちは解雇となっているでしょう」
「でもシェスカさんは、お母様とは普通に話していましたよね?この前だって、庭で談笑していたと思うのですけど……」
「奥方様に私は幼少の頃より仕えている事もあり、大した壁は御座いません。ですがお客様の前では、決してそんな話し方はしていませんよ」
「それは、何というかずるいです。私もシェスカさんと対等にお話をしたいのに」
私は頬を膨らませながら、足をブラブラさせて口を尖らせた。そんな様子に困っているのか、シェスカさんは笑みを浮かべつつも私の肩に手を置く。
「大丈夫ですよ。お嬢様は奥方様に負けないくらい綺麗ですから、そのうち私の娘ともそうなりますよ」
「私はシェスカさんとも対等になりたいんですけど、それは追々で頑張ります」
「左様ですか。さて、髪を結い終わりましたが、如何でしょうか?お嬢様」
そう問い掛けられたと同時に、私は鏡へと視線を戻す。そこには黒髪ロングから髪を多少下から掬い上げて、後頭部で結われている私が居た。
「大丈夫です。動きやすいです」
「そこは可愛らしいとか仰って下さるとやり甲斐があるのですが……お嬢様には期待をしないようにしましょう」
「私に自分自身を可愛いという趣味は無いですよ?」
動きやすいと思ったのは本当だし、別に嘘を吐いたとしても意味が無い。なら取り繕った言葉よりも、素直に思った事を伝えた方が良いと思ったのだが……。
シェスカさんは苦笑いを浮かべている。
「お嬢様がお綺麗なのは真実ですよ。嘘では無いのですから、自分で可愛いと思っても良いのではありませんか?」
「うーん、難しいです。私は御洒落に興味が無いですから、こうしてシェスカさんに髪も任せてますし……。それにこういうのは、自分よりも周囲の目の方が確実ですよ?」
「た、他力本願ですか。やれやれ。お嬢様がいつか恋をした時、どうなるか見ものですね」
恋をした時、そんな事を言って笑みを浮かべるシェスカさん。良かった。戸惑っていた様子はもう無くなったらしい。
あのまま戸惑った様子のままなら、私は何をしたら良いか分からなくなってしまう。
他人との距離感がいまいち掴み難い以上、余計ないざこざや不安は邪魔である。
早々に払拭してしまうに限る。
「それではお嬢様、そろそろお食事の時間です。さ、参りましょう」
「そうですね。シェスカさんの見立てが正しいかどうかは、お父様の反応で一目瞭然ですから」
「あぁ、旦那様ですか。あはは、そうでしょうね」
これも戸惑った様子ではあるが、この反応は仕方ないという反応だ。私もあの人の事は理解して来たけれど、未だに慣れない部分もある。
「シェスカさん、ミレイナは起きてますか?」
「ミレイナお嬢様には先程、私の愛娘が起こしに行っていますよ。簡単に起きるかどうかは、また微妙ですが……」
「まぁあの子はそうですね。簡単には起きませんからね。……寝相も、寝起きも悪いですから——」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
——リーサ達の言葉通り、シェスカの娘であるルルゥがミレイナの寝室へと向かっていた。
「はぁーあ、リーサお嬢様を起こしたかったなぁ。ミレイナお嬢様、ちゃんと起きてくれるかなぁ……」
コンコン。と辿り着いた寝室の扉をノックし、ルルゥは扉の向こう側にいるミレイナに声を掛ける。
「お嬢様?ミレイナお嬢様!朝ですよー、起きて下さーい」
『……』
扉の向こうから返事は無く、外からはチュンチュンと小鳥の鳴き声しか聞こえない。
ルルゥは溜め息を吐くと、心底面倒臭そうにしながらも言うのである。
「ミレイナお嬢様ぁー、後10秒数えますので起きて下さいねー。起きない場合はこちらを強行突破致しますので、お覚悟をお願い致しますー。では行きますよー、いーち!——」
カウンドダウンを始めるルルゥだったが、彼女自身、これは無駄な事だと分かっている。
だがしかし、これをやる事で他のメイドが『ミレイナお嬢様を起こしている』というのを理解する。
それもあってか、ルルゥは恥じる素振りもなく大きな声で数を数えた。
「——きゅー、じゅー。……はぁ、やはりこうなりますか。ミレイナお嬢様ぁ、入りますからねー」
扉を開けて中へと入るルルゥ。部屋の中は薄暗く、閉め切ったカーテンの隙間からは日差しが差し込んでいる。
それでもミレイナに日差しが届く事は無く、だらしない格好でベッドで寝ているミレイナの姿がそこにはあった。
「またお腹出してる。これは屋敷の外には見せられない様子ですねー。ミレイナお嬢様ぁー起きて下さーい!朝ですよー」
「んんぅ……あと、5分……むにゃ」
「5分くらいで起きるとは、到底思えませんよー。また爆睡する未来しか見えませんので、さっさと起きて下さい!」
「ルルゥ〜……無理矢理は、良くないよぉ」
「起きないミレイナお嬢様が悪いでーす。さ、早く着替えましょう。もう旦那様たちは食堂に行ってますよ?」
「んんぅ……むにゃむにゃ」
「はぁ……また寝ようとしないで下さい。こうなったらリーサお嬢様をお呼びするしかありませんね。あの方なら、いとも簡単に……」
「そ、それはダメ!やめて!起きるからっ」
ルルゥがリーサの名前を出した瞬間、ガバッと起き上がったミレイナ。慌てる様子を見て、ルルゥは微かに笑みを浮かべながらミレイナの着替えを手伝った。
やがて着替えが終え、廊下を歩いてる最中にミレイナは口を尖らせて言った。
「ルルゥは意地悪だなぁ。お姉様の名前を使うなんて、メイドとしてどうなのかな?」
「あくまで最終手段ですので、毎度使っていては失礼でしょうねー。けどミレイナお嬢様がすぐに起きれば、解決する問題ですよー。これは」
「うぐ……正論過ぎて言い返せない」
「次からちゃんと起きて下さいねー。まぁ、期待はしませんが」
「そこは期待して!」
ルルゥの言葉に頬を膨らませるミレイナだったが、辿り着いた扉の前で足を止める。
そこは食堂なのだが、リーサを含め、両親とメイドたちが中で待っている。それを理解しているミレイナは、身嗜みを確認して深呼吸をした。
「宜しいですか?ミレイナお嬢様」
「は、はいっ……(うぅ、いつ来ても緊張する〜)」
「では……お待たせ致しました。ミレイナお嬢様が御起床されたので、連れて参りました」
「——お、おはようございましゅ!」
盛大に噛んだミレイナは、口をぱくぱくとさせながら真っ赤になっていく。そんなミレイナの様子に微笑みながら、リーサは言うのである。
「おはよう、ミレイナ。そこに立っていたらメイドさん達に迷惑ですから、座ったらどうですか?」
「お、お姉様、おはようございますっ!」
リーサの言葉に従ったミレイナは、慌てながらも彼女の隣の席に座った。紅茶の香りに包まれた食堂には、気楽だけど窮屈という曖昧な空気感である。
そんな空気を感じて取っていたミレイナは、隣で紅茶を飲むリーサに問い掛ける。
「あ、あの、お姉様?」
「どうしたの?ミレイナ。コソコソとする程の内容かしら」
「違うけど……どうしてこんなに暗いのですか?いつもはもっと、こう……ワイワイとしてたはずなんですけど?」
ミレイナの言葉を聞き、リーサは手に持った紅茶を置いた。やがて口元に付いた水滴を白布で拭き取ると、目を閉じて言うのであった。
「……普段から
「確かに嫌いですし、苦手ですけど……せめて何があったかは教えて欲しいです」
「世の中には、知らなくて良い事というのがあるのですよ。そう例えば……知らぬ間に私たちに縁談の話があった。とかね?」
そう言いながらリーサは、不敵に笑みを浮かべた。その後ろにはドス黒いオーラが見え隠れしており、ミレイナはそのオーラが視えてしまったのか。
ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「縁談の話。お父様が聞けばこうなるのは必然ですから、今更驚く事でも無いですけれど……少しは気楽に考えてはいかがでしょうか?お父様」
そうリーサが視線向けた先には、人類補完計画宜しくという雰囲気で、手を組んでいる男が居た。
その男は、グレイル・アルテミス。リーサとミレイナの父であり、この屋敷の主人である。
「……むむ……んん」
真剣な表情を浮かべる中、そんな父の様子を見ていたミレイナはリーサに耳打ちした。
「(お姉様?縁談の相手って?)」
「(何でそんな事を知りたがるのですか?)」
「(だって縁談だよ?お姉様が婚約だよっ!?気にならない訳無いよっ!ふんすっ)」
リーサは思っていた。ミレイナのキラキラと輝いている瞳を見て、ミレイナが好奇心という衝動に駆られていると。
ミレイナの後ろに立つルルゥも、聞き耳立てている様子もあり、リーサは溜息混じりに答えた。
「相手が誰であろうと既に断りました。私に結婚はまだ早いですし、私自身に誰かと婚約するつもりはありませんよ」
「「ええー」」
リーサがそう言った瞬間、残念そうな……いや、つまらなそうな反応を見せたミレイナとルルゥ。
そんな彼女たちに呆れながら、リーサは椅子から立ち上がる。
「あれ?お姉様、何処か行くのです?」
「ミレイナ、貴女は何を寝惚けているのですか?学園に決まっているでしょう?このままお父様のワガママに付き合っていたら、二人とも遅刻ですよ」
「え゛ぇ!?うわ、ホントだ!お父様、ルルゥ、行ってきます!」
バタバタしながらも、挨拶を忘れないミレイナ。そんな様子を眺めながら、微かにリーサは微笑んで一礼をした。
「私も行ってきます。皆さん、今日も一日宜しくお願いします♪」
『行ってらっしゃいませ。お嬢様方』
リーサがそう言った瞬間、シェスカとルルゥを含めたメイドが全て頭を下げる。その様子に戸惑いながらも、リーサは微笑んだままミレイナと共に外へと飛び出すのであった――。
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