第4話「妾が、神だ」

 「フリードさん、何処に向かっているのですか?」


 フリードさんに抱えられながら、私はそんな事を問い掛ける。何処に向かっているのかが分からない以上、私に説明するのは困難だろう。

 そもそもこの辺りの地理に詳しく無い私の場合は、目的地以前の問題となっている。ここが何処なのか、どういう場所なのかさえ、良く分かっていないのである。


 「――私の上司が居る所だ」

 「上司……という事は、その人はフリードさんよりも強いって事ですか?」

 「実力は試した事は無いが、恐らく瞬殺されるだろうな。私の剣を見切り、あれ程の使い手は他には存在しないだろう」


 フリードさんはそう言いながら、口角を上げて笑みを浮かべる。その様子から、さっき言っていた言葉を思い出していた。


 ――私を楽しませたのは、貴君で三人目だ。


 恐らくはその中の一人であり、相当な実力を持っている人物なのだろう。しかもフリードさんの上司という事なら、尚更だ。


 「……私では敵わない相手、という事ですね」

 「ほぉ?貴君が実力不足だと、会ってもいない段階で決め付けるのかね?それは少々早計ではないか?」

 

 確かに。戦ってもいない段階で、諦めるのは私の性分ではない。だがしかし、私が勝てなかった人物の上司という存在。

 それだけを聞けば、大体の実力層は見えてくるものだ。


 「フリードさん、その方はどんな方なのですか?」

 「うーむ、なんと言うのだろうな。唯我独尊ゆいがどくそんという言葉が似合う人物だな」

 「え、自分勝手って事ですか?」

 「会ってみれば分かる。それまで楽しみにしておくといい」

 「……分かりました」


 何か誤魔化された気がしたが、確かに自分で見極めるのが道理だろう。人の持つ価値観は、その人の個人の基準から決められるもの。

 ならば私の価値観の中で、その人物がどういう存在なのかを見極める事にしよう。


 「着いたぞ。ここが、そのお方が居る場所だ」

 「ここが……」


 私たちよりも高く、そして大きい扉は視界をおおう。その扉から、得体の知れない緊張感が空気を凍らせていた。

 

 「……(ゴクリ)」


 生唾を飲み込み、私はフリードさんに小さく言った。


 「自分で歩きます。ここからは、そういう場所だと思いますから」

 「(この娘、やはり面白い。得体の知れない場所でも冷静になり、己で考え行動する事の出来る判断力。そして動くと決めた決断力。……極め付けは、己だけが知る直感という所ろうか)」

 「な、何ですか?いきなり///」


 何を思って行動を起こしたのかは分からないが、フリードさんは口角を上げて私のくしゃくしゃと頭を撫でた。

 少し乱暴というか不器用だったが、それでも暖かいのが微かに心地良い。

 そんな事を思った瞬間、私は気恥ずかしくなって借りた剣を突き付けた。


 「いつまで撫でるつもりですか?」

 「クハハ、すまない。そう怒るな。私も娘が居たのでな、つい同じ事をしてしまった。許してくれ」

 

 許すも何も、そもそも私は怒っていない。どんな感情で答えれば良いのか、どんな顔をして話せば良いのか。いまいちそれが分からないだけだ。

 私は両親に、家族に、どうやって話していたのだろうか。どんな顔をして、向き合っていたのだろうか。

 どう考えても仕方がない事なのに、私は開いた扉の奥へと一歩を踏み出すのである。


 ――そこに居たのは、私と同じくらいの少女だった。


 「遅い。待ち草臥くたびれたぞ、お主ら」


 その容姿とは裏腹に、その言葉と雰囲気は異質だった。

 何より驚いたのは、フリードさんが彼女の言葉を聞いた瞬間に跪いた事である。


 「ハッ。お待たせ致した御無礼を御許し下さい。しかしながら、我が主君である御身の前に立つべき人間を見定めるという私の義務を果たしたまで。何卒なにとぞ、御容赦を願いたく存じます」

 「ふむ。して、その者が彼の地に参った人間じゃな?」

 「ハッ。既に私と剣を交え、その存在は主君に害意があるという判断は御座いません」


 何やら急展開過ぎて、フリードさん達の会話の流れが掴みにくい。要するに、私があの場所で目覚めるのを把握していた上で、フリードさんは彼女に仇なす存在かを剣で見極めていた。という事だろうか。

 ではこれまでの会話は全て、仕組まれたものであるという事なのだろうか。


 「……フリードさん。私は貴方に騙されていた、という事で宜しいでしょうか?」

 「っ……貴君、何を(これは、魔力っ。凄まじい勢いで、魔力が彼女から湧き出ている。いかん、このままでは!)」

 「小娘が。神聖な妾の城の中で、誰の許可を得て牙を剥いている?――妾が神だ。神の御前で頭が高いぞ小娘!」

 「っ!?」


 おびただしい程の濃さで、凍っていた空気をさらに凍らせた殺気。その殺気は真っ直ぐに私の方へと迫り、そして躊躇ちゅうちょなく放たれた。

 迫り来る殺気の濃さだけで、私は全身が硬直して死を悟った。見えているのに避けられないというのは、何とももどかしい気分だ。

 そう思っていたのだが、迫っていたそれは途中で何かに遮られ、衝撃だけが私を包んだのであった。


 「――何をしておるのじゃ、フリードよ」

 「恐れながら、この者はまだ若い。若さ故の過ちというのが御座います。我が主君である神よ、この瞬間のみの慈悲じひを頂きたい!」

 「お主、その者を無き娘と重ねているのではあるまいな」

 「否定はしません。しかしながら、この者の持つ才は、必ず貴女様の役に立ちでしょう。その前の投資だとお思いになれば、その怒りは治まるのでは御座いませんか?我が君」


 ムスッとした様子の少女の前で跪き、フリードさんは真剣な眼差しでそう言った。

 二人の間にはピリピリした空気が走る中、私はただ彼の後ろに佇むだけ。それしか出来ない。してはならないという空気の中、私は深呼吸をして彼の隣に並んだ。


 「……(私の後ろに居れば良いもの、何を)」

 「フリードよ。お主の頑張りは無駄に終わり……」


 フリードさんの隣に私が来た瞬間、彼女が何か言おうとしていたが知った事ではない。

 今私がすべき事は、フリードさんの罪となってしまう前に払拭する事。それに私が犯した罪なのであれば、それを他人に払拭させるなど馬鹿げている。


 「――大変失礼致しました。まだこの地に来て日が浅く、貴女様がどれ程の偉大さを持っているのか。未だ半人前の私では理解は出来ませんでした」

 「ほぉ?正直な事は結構じゃが、それで妾の気が済むと思っておるのか?」

 「思っておりません。なので自分の犯した罪は、自分で背負うのが道理。ならば、貴女様に不躾ぶしつけな願いをしても宜しいでしょうか?」


 フリードさんが、何やら私の後ろで焦っている気配を感じる。貴方がそんなに焦る事は無いだろうと思いつつ、私は口角を上げて言葉を続ける。


 「この私、榊原理沙の魂を差し出します。貴女様がどのような存在であり、どれ程の偉大さを悟る事の出来なかった私には、貴女様に忠誠の儀をする資格は無いでしょう。ならばこの魂、最後の一欠片ひとかけらまで、血の一滴まで貴女様に捧げます。どうか、貴女様の寛大かんだいさで、私の後ろに居るフリード様に延命を」


 少女の前で深く頭を下げ、目を瞑って返事を待つ。ピリピリとした空気はさらに肌で感じる事が出来て、フリードさんに至っては心が乱れたかのように曲げた膝を伸ばし掛けている。

 だが駆け出せば最後、私の行動が無駄になってしまうと理解しているのだろう。そこから動く事は無く固まっている。

 だがその拳には、微かに血が滲んでいた。私はその手だけを見て、感謝したように口角を上げる。


 「……お主の望みは、フリードの延命か?それとも妾の手で葬られる事か?」

 「フリードさんの延命です。私の価値は、恐らくそれ程高くはありません。なので、今の貴女にとって価値のある存在を残すのは道理です。ですからフリードさんの事――許しては頂けませんか?」

 

 私はそう言って、深く頭を下げ続けた。もし、これで誠意が足らないというのなら、土下座も覚悟の内である。


 「フリードよ」

 「はい」

 「妾はこの者の願いを叶える事が出来るが、この願いを叶えればこの者のせっかくの再スタートを切る事が出来なくなる。それは理解しているな?」

 「理解しております。ですが私としては、この者には違う地で人生をやり直す。という選択肢を選んで欲しかったと」

 「生前。鬼の将軍とも呼ばれていた者が、よおや小娘一人にたぶらかされるとは。人の子よ、妾の前で言った先の言葉。その中に偽る意思は入っておるか?」


 本人を目の前にして、何を聞いているのだ。そんなもの、本人が居る前であると言える訳が無い。


 ――試されている?


 いや、もし彼女が神様という存在というのに偽りがなければ、ここで誤魔化しても無駄な事だ。相手が神様であるならば、やる事はただ一つだけだ。


 「偽りはありません。私は、フリードさんは剣友と思っております。そこに嘘偽りはありません」

 「ククク、良かろう。妾の前ですら、お主は意思を曲げなかった。それだけで十分であり、妾の眼の前ではどんな野心も筒抜けじゃ。故に、お主は嘘を吐いてはおらぬ。試すような事をして悪かったのう」

 「っ!?」


 驚いた。神と名乗っていた彼女が、自ら頭を下げるなどあってはならない行為だ。

 それを彼女は行い、私の事を引き寄せて言った。


 「人の子を抱くのは久し振りじゃな。お主は稽古をしていたから、多少筋肉が付いてはおるが華奢きゃしゃ体躯たいくじゃ。ちゃんと食べれておったか?健康体であったか?不満や不安は無かったか?どれ、人の子、榊原理沙よ。全て吐き出してみよ」


 抱き締められる。これ以上無いくらいに強く、そして優しく包まれている。

 生きていた頃、そう言って良いのかは分からないけど、両親にも甘えた事は無かったし、ましてや抱き締められた事なんて記憶に無い。

 そんな事をされたら、されてしまったら私は――全部、吐き出してしまうじゃないか。


 「良いのじゃぞ。お主はよう頑張った事、ここに居る妾たちは知っておる。じゃから隠さなくても、我慢しなくても良いのじゃ。思うがままに、吐き出してみよ」

 「っ……うぅ……っぐ……!」

 「辛かったか?」

 「はい……」

 「寂しかったか?」

 「っ、はい……」

 「そうか。でも、もう良いのじゃ。お主の自由は、妾が作ってやる。もう怯えて暮らさなくても、無理に笑みを浮かべる必要も無いように、妾がお主を導いてやる。だから、今は眠れ。――お主のような者も、人間には生まれた時から権利があるのじゃ。幸せになるという権利がの」

 「……かみ……さ、ま……?」


 優しく頭を撫でられたまま、私の意識は遠くなった。そして私は、再び深いに眠りに付くのであった。


 「お主の次の人生に、絶望の二文字ふたもじは無い――」

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