52、言葉選び

「っ、はぁっ、はぁ……っ」


 道沿いに設置された街灯の不安な灯りの中、勘を頼りに追いかける。

 揚羽とのやり取りは一瞬だったけれど、その一瞬で可憐の姿を見失ってしまった。


 国道から少し外れれば住宅街が並び、道は入り組んでいる。

 加えてすでに陽は落ちて人を探すのにはそれなりの苦労を要する。

 このまま闇雲に探していたらダメだ。


(こういう時、可憐なら……)


 昔の記憶を引っ張り出して、可憐が向かいそうな場所を予測する。

 可憐は昔から周りの大人たちに落ち着いて賢い子という評価を受けてきたけれど、それは妹の前でしっかりとしたお姉ちゃんでいようとしていたからだ。

 本当の可憐は結構わがままで意地っ張りで、だから、今日みたいなことも時々あった。


 揚羽には見せたくない自分を見せる時、悲しいことや嬉しいこと、腹立たしいことがあった時、可憐は――。


「……いや、いくらなんでもそれはないか」


 ふと脳裏によぎった場所に、ボクは苦笑しながら首を振る。

 そこはファミレスのある国道沿いからは離れた所にある。

 家に戻る方が近い位置関係だ。


 他にどこか向かいそうなところは――。


 辺りを見渡しながら他の可能性を模索しようとして、けれどボクはその場所へ足を向けていた。


     ◆ ◆


 穏やかな水の流れる音が耳朶をくすぐる。

 いつの間にか空に浮かんでいた月が、傍を流れる川の水面に写っていた。


 そのまま河川敷沿いに歩を進める。

 時間が時間だからか、人影はない。


 ――――いや、いた。


 草花が生い茂る河川敷の傾斜に華奢な人影がある。

 賭けのような推測が当たっていたことに安堵すると同時に、緊張で心臓がキュッと引き締まる。


 反射的に追いかけてきてしまったけれど、どう声をかければいいんだろうか。

 改めて考えると、今の彼女にかける言葉をボクは持ち合わせていなかった。

 そのことに気付いても、進む足は止まらない。


 石造りの階段を途中まで降りて、そのまま傾斜へ足を踏み入れる。

 可憐は三角座りで足の間に顔を埋めていた。


 ボクの気配にも気付いたんだろう。

 僅かに肩が震えていた。


 そんな可憐にボクは声をかけようとして、けれど口を噤んだ。

 一瞬立ち止まり、やがて意を決して可憐の隣にゆっくりと腰を下ろす。


 人違いかもしれない、勘違いかもしれない。

 脳裏を巡る言葉はそんな空虚なものばかりで、やっぱり言葉にはできない。


 とりあえず、ボクは考えるのをやめた。

 やめて、そのままボーッと川を眺める。


 真っ暗で不気味だけれど、月灯りのお陰で幾分か雰囲気は和らいでいる。

 どれぐらいそうしていたのか。

 不意にポケットに入れていたスマホが震えた。


 取り出して画面を見れば、揚羽からニャインが来ている。


『先に家に帰ったよ~。お姉ちゃんまだいないけど、ハルくんと一緒?』


 この状況を一緒と言えるのかは微妙なところだけれど、ひとまず『うん』とだけ返しておく。

 すぐに既読がついて、『がんばれニャ!』という可愛らしい猫のスタンプが送られて来た。


(って言われてもなぁ……)


 もう一度チラと横目で可憐を窺えば、まだ俯いたままだった。

 スマホの電源を落としてポケットに仕舞う。

 放り投げていた足を引き寄せると、可憐がポツリと呟いた。


「……ごめんね、突然飛び出してきて」

「まあ、そういう時もあるよ」

「なにそれ」


 ボクの言葉に、可憐は小さく笑った。

 指摘されるまでもなく、言葉選びが下手だなというのは自覚している。

 だから、折角会話が始まったのに、続ける言葉を思いつかないでいる。


 西条先輩が浮気をしていようがしていまいが、結局当事者でもないボクにはかける言葉がない。

 ここに来たのは、ただ単にこのまま可憐を一人にしておくのはまずいと思っただけで。


 言葉に窮していると、可憐は続けて独り言のように呟いた。


「実はね、なんとなくそんな気はしてたの」

「そんな気?」

「西条くんが、他の子と付き合ってるんじゃないかって」

「……どうしてそんな」


 ボクの記憶にある限りでは、西条先輩は浮気をするような人には見えなかった。

 わざわざボクを呼び出して可憐のことを気にするぐらいだ。

 とても紳士的で、真剣な交際をしているように感じていた。


 だから、さっき見た光景は気のせいだったと考えてしまう自分もいる。

 そんなボクの考えを、可憐は否定した。


「最近連絡がない日が続いたから。……前は、毎日ニャインを送ってきたのに」

「…………」


 それだけで浮気を疑う理由にならないような気がするけれど、現にそうなっていそうなのだから何も言えない。

 浮気をしているのかしていないのか。結局のところ、本人に訊くしかない。


「難しいかもしれないけれど、こうなった以上西条先輩を問い質すしかないんじゃないかな」


 可憐の心情を思えば容易にできることではないと思う。

 だけど、このまま曖昧にしておくよりはずっといいはずだ。


 ボクがそう提案すると、可憐は小さく首を横に振る。


「……別にいいの、このままで。西条くんが何か言ってくるまでは何もしないでいいの」

「っ、どうして」


 何故だか苛々して、少し強い語調で訊いてしまう。

 すると、可憐はゆっくりとその場に立ち上がった。


「たぶん、西条くんもわかってるんだと思う」

「……?」

「とにかく、私はもう大丈夫だからっ。ありがと、ハル」


 話はここまでと言わんばかりに、可憐は階段へ向かって歩き出した。

 ありがとうと、そう感謝の言葉を口にした可憐は笑っていた。


 ボクが嫌いな笑顔だった。


 少しの間河川敷を上がっていく可憐の背中を見つめてから、ボクもその後を追う。


「ありがとって、ボク以上に言葉選びが下手じゃないか……」


 よくわからない感情が渦巻いている。

 この感情をなんというのか。

 ボクにはその言葉が思い浮かばなかった。

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