50、悪い癖

 揚羽と二人での勉強会はまずまずの進捗といったところだった。

 休憩前は少し落ち着かなくて勉強に集中できなかったけれど、その後はすいすいと進んだ。

 事あるごとに質問をしてきていた揚羽も、今はジッと教科書を見つめながらシャーペンを動かしている。


 一応揚羽に勉強を教えるという体でここにいるものの、ボクだって試験勉強をしておきたい。

 揚羽が集中して問題に取り組んでいる間は、ボクも自分のことをしていた。


 一瞬時計を見るとすでに七時になろうとしていた。


「ん~、んぁ~~~~」


 すると、突然揚羽がシャーペンを置いてまるで猫のような声を上げながら大きく伸びを始めた。

 その姿に頬を緩めながら手持ちの英単語帳をパタリと閉じる。


「そろそろいい時間だし、今日はこの辺りで終わっておく?」

「今すっごくいい感じだから続けたい! ……あ~、でも頭がぼんやりする~」

「二時間ぐらい集中してたからね、そりゃあ疲れるよ」


 受験勉強で培った集中力は健在だったみたいだ。

 とはいえ、一度切れてしまった集中を取り戻すのは大変だ。


 もう少しだけ続けたそうにしている揚羽に再度「終わっておこう」と提案しようとして、揚羽のスマホが着信音と共に震えた。


「あっ、お母さんからだ。ちょっと待っててね」


 そう言って、揚羽はスマホと共に部屋を出た。

 扉越しに何やら話している。

 少しして戻ってきた揚羽に視線を向けると、何やら嬉しそうに口を開いた。


「帰りが遅くなるから、ご飯食べておいでって!」

「良かったね。ちょうど終わろうと思ってたところだったし」

「それでハルくんもいるって話したら、三人で行ってらっしゃいって!」

「へ? ボク?」

「うんっ。お金はお母さんが出してくれるから!」


 別段夕食の用意があるわけではなかったからありがたい話ではあるけれど……。

 揚羽の言葉の中で引っかかったところをそのまま口に出す。


「三人?」

「そうっ。あたしと、ハルくんと、お姉ちゃん」

「可憐は風邪を引いてるって聞いてたけれど」

「仮病なんだって~」

「ええっ!?」


 とんでもない告白を聞いた。

 ここに先生がいたらお説教間違いなしだ。


 確かに玄関で会った可憐は普段と変わらないようには見えたけれど。


「まあ、おばさんが言うならそうなんだろうけれど。……うん、じゃあ折角だし」

「やった! お姉ちゃん呼んでくるね~」


 ボクが頷くや否や部屋を飛び出して「お姉ちゃ~ん!」と可憐を呼びに向かった。

 余程外食が嬉しいらしい。


 でもまあ、ちょうどいい機会だ。

 頃合いを見計らって可憐には改めて謝っておこう。


 丸テーブルに広げた教科書たちを鞄に纏めながら、どう謝ろうかと頭を悩ませた。


     ◆


「――ご注文の品はお揃いでしょうか?」


 高級焼肉店に行こうとした揚羽をなんとか説得して、ボクたちはファミレスに入店していた。

 テーブルに注文した料理が並べられ、店員さんの問いに肯定を返す。


「それじゃあ、いただきます」

「いっただきまーす!」

「いただきます」


 挨拶をしてから料理に手を伸ばす。

 鉄板プレートに載っているハンバーグをナイフで切っていると、対面で揚羽が「ん~っ」とご機嫌な声を上げた。


「勉強の後のご飯おいしー! 今日も働いた働いた!」


 クリームパスタを口いっぱいに頬張って、心の底から幸せそうな顔をしている。

 さっきまで「お母さんが出してくれるんだから、高いもの食べに行こうよ~!」と恐ろしいことを言っていたとは思えない。


 口元にクリームソースがついてしまって、隣に座る可憐が「ちょっと、ついてるよ」と紙ナプキンを手渡している。

 思えば、こうして二人と一緒に食事をするのは随分久しぶりかもしれない。


 見慣れているはずの姉妹の姿に懐かしさを覚えながら、切り分けたハンバーグを口に運ぶ。


「ところでお姉ちゃん、どうして今日休んだの?」


 お腹が落ち着いた頃合いで、揚羽が思い出したように可憐に訊ねた。

 ボクも何度も訊こうとしていたけれど、答えによっては気まずくなる話題をすんなりと訊けるのは姉妹だからか、それとも揚羽だからか。

 ……たぶん、後者な気がする。


 チラリと可憐を見れば、「あー」と困ったように苦笑いしていた。


「仮病じゃないの。ちょっと寝不足で体調が悪かったから」

「ふーん、そっかー」


 どこか誤魔化すような口振りに、揚羽はそれ以上の追及をやめた。

 その流れを読んで、可憐が話題を変えようと「そういえば」と切り出した。


「勉強はどんな感じなの? 初めての試験で酷い点数とったら、そのままずるずるいっちゃうよ?」

「それなら大丈夫! ハルくんに教えてもらってるから。あたしが赤点とかとったら、ハルくんのせいだし!」

「そこでどうしてボクのせいになるの」


 酷い責任転嫁を見た。

 ……まぁ、今日の感じを見るに赤点を取るなんてことはなさそうだけれど。


「そっか、うん、そうだよね……」


 ボクたちのやり取りを見て、可憐は納得したように薄く笑みを浮かべた。

 苦笑するでもなく、笑い飛ばすでもなく、ただ静かに。

 その様子が少し引っかかった。

 ボクは彼女のこの姿をつい最近も目にした。


 ……そうだ。あの雨の日。

 家まで送り届けた可憐が、別れ際に浮かべた笑顔と似ている。


「……っ」


 たぶん、ボクは何か声をかけるべきなんだと思う。

 空気を読まずに今日の欠席の理由を追求してもいい。

 寝不足だというのが嘘なことぐらい、ボクでもわかる。

 そしてタイミング的に休み前のあの出来事が起因しているであろうことも。


 ……もし可憐と二人きりだったなら、ボクはそれを口にできたと思う。


 けれど――。


「あっ、あたし飲み物取ってくる! お姉ちゃんたちの分も取ってこようか?」


 空になったグラスを手に、席を立つ揚羽。

 一瞬遅れて、「オレンジジュースをお願い」と自分のグラスを差し出す可憐。

 ボクはまだ半分以上残っていたので遠慮する。


 ドリンクバーの一角へ揚羽の姿が消えたのを見届けて、ボクは可憐に向き直った。


「さっきの話だけれど」


 ボクが切り出すと、可憐が僅かに身を固くしたのがわかった。


「その、ごめん。あの日はちゃんと謝れなかったから」

「どうしてハルが謝るのよ」

「少し冷静になったら冗談だってわかるのに、ムキになって、可憐に逆切れしたから」

「冗談……」


 可憐は小さく呟くと、顔を伏せた。

 髪が垂れて顔を隠す。


 少しの間を置いて顔を上げた可憐は、眉根を寄せて陽気に笑った。


「本当に気にしてないから。それに、あれは私が百パーセント悪かったことで、ハルのせいじゃないよ」

「でも」

「なんでもかんでもそうやって自分が悪いって思うのは、ハルの悪い癖だよ。……ま、私が言えたことじゃないんだけどさ」

「うん……」


 そう言われてしまっては、ボクは何も言えない。

 大人しく押し黙ると、可憐は両手をパッと広げた。


「今日休んだのだって、本当に何の関係もないんだから。どうしても学校に行きたくない日ぐらい、誰にだってあるでしょ? はい、だからこの話はこれでおしまいっ」


 これにて閉廷、といった風に両手を優しく合わせる。

 そのタイミングで両手にグラスを携えた揚羽が戻ってきた。


 グラスの中身が空になる頃には八時を回っていて、ボクたちはファミレスを後にした。

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