48、恋人の勉強会

 その日の放課後。教科書やノートを鞄に詰め込むと、早々に教室を出た。


 テストが近いのもあって、教室の後ろにあるロッカーはいつもより物寂しいことになっている。

 かくいうボクの鞄もいつもより重い。


 階段を下りて揚羽との集合場所である昇降口へ行くが、彼女の姿はまだ見えなかった。

 テスト前らしく、鞄から取り出した英単語帳に適当に目を通して待つことにした。


 勉強をしているとどうしても将来の進路について考えてしまう。

 今年の冬には学校から進路に関する話がされて、年始にはある程度固めないといけなくなる。

 将来やりたいこともなければ行きたい大学もないので、ひとまず勉強だけはしておかないと。


 ……そういえば、西条先輩ってどうするんだろう。


 三年生の西条先輩は、今年がまさに受験の時期だ。

 進学すれば当然可憐とは学校で会えなくなる。

 地元の大学ならばまだしも、遠くへの進学なら学校外であっても会えないだろう。


「そう考えると、やっぱり地元の大学になるかな……」

「何が?」

「いや、将来の――うわっ、びっくりした!」


 耳元で囁かれた問いに反射的に答えようとして、その違和感に気付いて振り向く。

 背後に張り付くようにして、揚羽が立っていた。


 ボクが叫びながら飛び退くと、揚羽は満足そうに笑う。


「お待たせ~! で、何の話?」

「いや、話っていうかただの独り言なんだけれど……進路の話。大学、どうしようかなって」

「そっかー、二年生にもなるとそういうこと考えないといけないんだね。遠い話だと思ってたけど案外近いのかも」

「一年生のうちは考えなくていい気もするけれど。内申点も関係ないし」


 話を広げながらお互いの靴箱へ行き、靴を履き替える。

 校舎の外で再び合流して、ボクたちは帰路へ就いた。


「あたしはさー、別にどこでもいいなーって思ってるんだよね。ハルくんの大学に進もうと思ってるし」

「それでいいの?」

「いまさらだよ」


 そう言って、揚羽はくすりと笑った。大人びたその笑顔にドキッとする。


 ……そういえば、揚羽がこの高校に来たのもボクがいるからなんだっけ。


 熱くなる顔を左手で押さえていると、揚羽が唐突に言った。


「――それに、浮気しないか見張らないとだしね!」

「ぶふぅっ」


 ビックリして吹き出してしまった。

 そしてすぐに抗議する。


「揚羽は、ボクが浮気すると思ってるんだ。へぇ~……」

「じょ、冗談だよっ。怖い、ハルくん怖いよっ」


 などとしているうちに、相沢家が見えてくる。

 ガチャガチャと鍵を開ける揚羽に訊ねる。


「おばさんたちは?」

「今日は二人で買い物だって」

「可憐を置いて?」

「うん」


 風邪を引いている娘を一人で家に置いて行って大丈夫なのだろうかと思いながら、ボクは揚羽と共に家に入る。

 靴を脱いで玄関を上がった時、階段を下りる音と共に可憐の声が飛んできた。


「揚羽、おかえり……って、ハル!?」

「お、お邪魔します……」


 ピンクを主体に白の水玉模様のパジャマ姿で現れた可憐に僅かに目を逸らしながら頭を下げる。

 すると可憐は揚羽の方を向いた。


「ど、どうしてハルが?」

「勉強教えてもらおうと思って! ほら、テスト近いから」

「あ、ああ……、よろしくね、ハル」

「うん……」


 それだけ言うと、可憐はボクたちをすり抜けてキッチンの方へと向かった。

 その背中を見送ると、今度は揚羽が言う。


「じゃあ行こっか」


 彼女の後ろに付いていき、階段を上がる。

 部屋に入ると、以前来た時と同じ甘い匂いが広がっていた。


 揚羽は部屋に入ると、鞄を勉強机の上に置いて「そこに座ってて」と言って部屋を出て行った。

 飲み物を取りに行くみたいだ。


 部屋の中央のピンク色のカーペットの上に座り、丸テーブルにノートや教科書を広げる。

 文房具などを並べていると、揚羽が戻ってきた。


「麦茶しかなかったや」


 そう言って、お盆の上に載せていた麦茶の注がれたグラスをテーブルに置いた。


「ありがとう。先に使わせてもらってるよ」

「うん。ハルくんはあたしがわからなくて困った時以外は普通にしてて!」


 そう言いながら、揚羽も勉強机に置いた鞄の中から教科書やらを取り出すと、ボクの対面に腰を下ろしながら広げる。

 だが、座ると同時に何やら考える仕草をして固まった。


「どうかした?」

「ん~、これだといつもと一緒だよね」

「いつも……?」


 要領を得ない揚羽の言葉に戸惑っていると、不意に揚羽が広げた教科書を畳んでノートの上に重ねると、ボクの隣に押し付けてきた。

 それと同時にずずいと体を滑らせて、ボクの左隣に位置を変えた。


「あ、揚羽っ!?」

「これ、なんだか彼女みたいでしょ?」

「…………」


 揚羽の中の彼女の定義がよくわからないけど、いい匂いがすることだけは確かだ。

 それと同時に、揚羽の先ほどの言葉の意味がわかった。


 揚羽の部屋で対面に座り合うだけなら、付き合う前からもしていた。

 カップルとして、そうではないことをしたいという意図だったのだ。


「それに、この方が教えやすいでしょ?」


 そう照れ笑いを浮かべる揚羽に、ボクは力強く頷いた。

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