44、らしさ

「それじゃあ、ボクはここで。風邪を引かないようにね」


 相沢家の前。

 終始俯いたまま、無言で隣に並んで歩いていた可憐に、ボクは声をかける。


 ボクの声で可憐はようやく家の前に着いたことを知ったらしく、少し驚いた様子で見上げてきた。

 それから慌てて傘の中からするりとすり抜けると、軒下に向けて駆けだした。


 キィッと門扉を開けて屋根の下へ滑り込む。

 そのまま無言で離れようとしたボクに、振り向いた可憐が「っぁ」と消えてしまいそうな声を上げた。


「その、ありがとう。……それと、ごめんね」


 ボクが何かを言うよりも先に、それだけ言い残して可憐は扉を開けて中に入っていった。

 去り際に可憐が浮かべた表情は、今にも泣き出しそうで、儚い笑顔だった。


 取り残されたボクはその笑顔が妙に頭から離れなくて、暫く立ち尽くす。

 ボクが再び帰路に就いたのは、雨が弱まりだしてからだった。


     ◆


 誰もいない家の玄関をくぐり、誰に言うでもなく「ただいま」と小さく呟く。

 いつの間にかビショビショに濡れてしまった靴下を脱いで中に上がる。


 自分の部屋に入って机の上に鞄を置くと、自然と溜め息が零れた。

 それが疲労によるものなのか、それとも別の何かなのか、ボク自身もよくわからなかった。


 机の端に手を乗せたまま、窓の外を見る。

 弱まった雨は再び強さを増している。

 降りしきる雨をボーッと眺めていると、可憐との会話が思い起こされた。


『あのね、これは聞き流してくれていいんだけどっ、もしね、私がハルに告白していたら――』


 いつになく緊張した様子で、彼女はそんなことを言った。

 もちろん、それが冗談であることはわかっている。

 あるいは緊迫した空気を弛緩させるための、彼女なりの気遣いだったのかも知れない。


 今にして思うと、ボクはそれに笑って返せば良かったのかも知れなかった。

「何言ってるんだよ」と、茶化せば良かったのだ。


 けれど、ボクは思わず怒ってしまった。

 その冗談は、ボクにとっては少し苦いもので、そして西条先輩や揚羽のことを思うと許されるものではなくて。


「それにしたって、あれはないよなぁ……」


 自分の態度を振り返ると、途端に情けなくなってきた。

 若干濡れている上着を脱いで、乱雑に椅子の背に掛けてからベッドへ倒れ込む。


 暫く枕に顔を埋めて突っ伏していると、ポケットの中が僅かに震えた。

 体勢をそのままに、ゴソゴソとまさぐってスマホを取り出す。


 画面を付けると、揚羽からニャインが届いていた。


『今日はごめんねっ、一人で寂しかった??』


 このメッセージを打っているときの揚羽の顔が何故だか容易に頭に浮かんで、思わず頬が緩む。


 ザーッと降りしきる雨の音。

 少し薄暗い部屋の中で、スマホが放つ光が少し眩しい。


 どう返そうかなと考えていると、なんだか全身にドッと疲れが押し寄せてきた。

 力なく枕元にスマホを置いて、再び枕に顔を埋める。


 頭の中で組み立てつつあった言葉の波が雨に流されるように霧散していって、ただ真っ暗になる。

 このまま寝てしまおうか、そんなことを考えた時だった。


「――ッ」


 突然、スマホが聞き慣れた着信音を発し始めた。

 枕元に置いていたために、耳元で鳴り響いて心臓がビックリする。


 飛び跳ねるようにして仰向けになりながら画面を確認した。

 揚羽からの電話だった。


「ど、どうかした?」


 恐る恐る電話を出る。

 すると、少しだけ不満げな声が聞こえてきた。


「どうかしたって、それ、あたしのセリフなんだけど」

「いや、だって突然電話を掛けてきたのは揚羽だし、用件を聞くのは間違ってないと思うけど……」


 ボクが間違っているのかなと、首を傾げながら反論してみる。

 スマホ越しに、むっとした気配が伝わってきた。


「ハルくんは、用がないと彼女に電話されたくないんだ」

「そ、そういうわけじゃないよ! うん、今のはボクが悪かった!」


 ずるい質問だけれど、そう言われては返す言葉もない。

 面と向き合っての会話ではないけれど、スマホを片手に持ったまま頭を下げて平謝りする。


 おどけるような沈黙の後、揚羽は真剣な声音で訊いてきた。


「それで、どうしたの?」

「別にどうもしていないけれど……」

「そんなことないよっ。絶対何かあった! じゃないと、ハルくんがあたしからのメッセージに既読を付けたまま返信しないなんておかしいもん」

「…………」


 言われてみればその通りだった。

 揚羽からのメッセージに気付くのが遅れても、確認したらすぐに返信をしていた。

 その自覚があまりなかった分、揚羽に指摘されると少し照れくさい。


「あれ、ということはもしかして、メッセージを送った後ずっとニャインを確認してるの?」

「~~~~っ!」


 ふと引っかかったことを口に出すと、スマホ越しに動揺する気配がした。

 先ほどとはまた違った、少しむず痒い沈黙が続く。


 それを打ち破ったのはまたしても揚羽だった。


「と、とにかく! 心配になったから電話したの! 大丈夫なの? 大丈夫なんだよねっ!」

「う、うん、大丈夫だよ。ちょっと横になってたら寝そうになっただけだから。そうだ、ピクニックの予定もある程度決まったから、また連絡するよ」

「じゃっ、あたしはてるてる坊主作っとくね!」

「うん、お願いするよ。それじゃ」


 通話を打ち切ろうと、一度耳元からスマホを離す。

 先ほどまで胸の内にあった不安感は殆ど払拭されて、どこか気が軽い。


 ……なんだか無性に伝えたくなった。


「揚羽。好きだよ」

「~~~~っ、や、やっぱりハルくん変だよ! じゃあね!!」


 慌てた声と共に通話を切られる。

 窓の外を見ると、いつの間にか雨は止んでいた。


「……うん、確かに変なのかもしれない」


 全くもって今日は自分らしくない。

 可憐との一件も含めて。


 軽く伸びをしていると、スマホが震えた。

 ニャインが届いていた。揚羽からだ。


『あたしも、好きだからねっ』


 これは本当に揚羽らしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る