42、好き
授業が終わり、弛緩した空気が流れる廊下を歩きながら、ボクは窓の外を見やる。
昼は晴れていたのにいつの間にか空は真っ暗な雲に覆われて、しとしとと雨が降っていた。
周りを行き交う生徒たちの間では、「やべぇ、傘持ってきてねぇよ」「部室にあるの、拝借しようぜ」などといった会話がされている。
ボクも朝を出たときは雨が降るなんて微塵も想定していなかったから、傘は持ってきていない。
けれども、カバンの中に折りたたみ傘を常備しているので大丈夫だ。
こうすることで毎朝天気予報を確認する必要も、傘を持っていくか悩む必要もなくなるので個人的には気に入っている。
このことを揚羽に話したら、「えー、余計な荷物が増えるじゃんかぁ」といまいちな反応だった。
……まあ、揚羽が忘れてもボクのに入れてあげればいいし、何よりもそうするように迫ってくるだろうから、確かに彼女にしてみれば余計な荷物なのかもしれない。
雨を見ながら色々と考えてはいたものの、今日はボク一人だけで帰ることになっている。
揚羽はなんでもクラスでの用事があるそうだ。
図書室で待っていようかと思ったけれど、ボクはボクで色々と忙しい。
具体的には週末のピクニックに向けた最終確認をしなければいけない。
後、ついでに試験勉強も。
「雨、降らないといいけれど……」
当たり前だけれど、ピクニックは雨が降るとおじゃんになる。
てるてる坊主でも作ろうかなと真剣に考えながら昇降口に差し掛かって――上履きを脱いでいる可憐と目が合った。
「あ、ハル」
「一人?」
「うん。ハルも?」
「揚羽に用事があるらしくて」
先に教室を出ていた可憐に追い付いた。
可憐の隣に並びながら、ボクも靴を履き替える。
西条先輩と話をしてから、ボクは可憐の様子をなるべく見るようにしているけれど、それでも気になったところはない。
あえて何かあるとすれば、今日みたいにホームルームが終わると足早に教室を去ることぐらいだろうか。
「傘持ってきてるの?」
「この通り。折りたたみ傘は常備しているからね」
可憐の問いに、ここぞとばかりにカバンの中から折りたたみ傘を取り出して見せる。
すると、可憐は「そういえばそうだったね」と苦笑した。
「可憐は?」
「私もハルと同じタイプだからね」
少し得意げに、可憐もまたピンク色の折りたたみ傘を取り出した。
どちらから言うでもなく、一緒に校舎を出る。
なんてことはない。
学校からボクの家までの帰り道に、相沢家もあるのだから自然とそうなる。
雨の時はお互いに傘を差すから、自然と距離が空いてしまって話しづらい。
ふと隣を見ると、可憐は俯きがちにしていた。
……昼休みの時は余計なお世話かもしれないと考えるのをやめたけれど、やっぱり可憐には笑っていて欲しい。
西条先輩もあれだけ可憐のことを心配していたんだ。
上手くいっていない、なんてのはボクの杞憂かもしれない。
探るような疑問の声は、思ったよりもすんなりと口から出た。
「最近、西条先輩とはどう?」
「と、突然、どうしたの?」
驚きと困惑、そして同様に震える声が返ってくる。
そりゃあそうだ。
突然恋人との仲について訊かれたら誰でも戸惑う。
ボクの方を見上げてくる気配を感じながら、雨音に耳を傾けて続けた。
「ほら、恋愛の先輩の話を聞きたいなって。こうした方がいいとか、こんなことをしたとか」
自分でも驚くぐらいに上手く取り繕えた気がする。
……半分は、ボクの本心でもあった。
「そっか……、うん、そうだよね」
可憐は小さく笑いながら再び俯くと、ボクから距離を取った。
その動きで、ボクも前方にある大きな水溜まりに気が付いた。
「危ない危ない。雨の時はこういうのが嫌だよね。靴下が濡れちゃう」
言いながらボクも可憐から距離を取って、水溜まりを躱す。
回り込むようにして再び元の位置に戻った時、可憐が口を開いた。
「ハルってさ、揚羽のどういうところを好きになったの?」
「可憐こそ、突然だね」
思わず苦笑する。
けれど、ボクを見上げてくる可憐の目が真剣で、ボクは「質問に質問で返すの?」という決まり文句を言おうとした口を噤んだ。
「揚羽のどういうところを好きになった、かぁ……」
曇天を見上げて整理する。
口にすることへの躊躇や羞恥心は、なぜだかない。
……たぶん、相手が可憐だからだと思う。
幼馴染みで、ずっと一緒にいて、彼女の姉で、初恋の人で。
だから、自分の気持ちを赤裸々にすることへの躊躇いがないんだと思う。
ボクは、暫く規則正しく鳴り響く自然の音に耳を傾けて、脳内で半年間を振り返って、そうして言葉にした。
「本当を言うとさ、ボク自身も驚いていたりするんだ。つい最近まで、揚羽はボクにとって妹みたいな存在だったから」
「……うん」
「でも、徐々に惹かれていったんだ。揚羽の天真爛漫で元気なところとか、自分の感情を素直に言葉に出来るところとか。……うん、言葉にしてみると単純なことかもしれないけれど、ボクにとっては大切なものなんだ」
「ハルは、揚羽のそういうところを好きになったんだね」
「んー、どうだろうね」
「え?」
可憐の言葉に、ボクは肩を竦めた。
観覧車で揚羽に告白をしたとき、ボクの中で色々な感情が湧き上がった。
その時に、自分の中のもう一人のボクが、一体目の前の女の子のどこを好きになったのか、なんて冷静に考えたりもした。
可憐に語ったことは全て本当で、ボクは揚羽のそういう所をいいなぁって思っている。
けれど、「好き」とは少し違うような気もする。
「ボクはさ、揚羽のそういうところに憧れたんだと思う。うん、憧れだ。憧れの好きなんだ」
「憧れ……」
自分で言っていて、よく分からないことを口にしているような気がするけれど、可憐は小さく反芻した。
「憧れの好きは、たぶんキッカケのことなんだよ。ボクはそういう揚羽の好きなところに気付いて、揚羽をよく見るようになって、そうしたらいつの間にか好きになってたんだ」
愛の反対が無関心だなんて言われるみたいに、相手に関心を持たないと、感情は始まらない。
ボクは揚羽のそういうところに気が付いて、そうして揚羽を真剣に見るようになって、いつの間にか揚羽自身を好きになっていた。
だから、やっぱり彼女のどこが好きなのかを訊かれたら、ボクは揚羽の全てだと答えるしかない。
「少し回りくどい言い方をしてしまったけれど、ボクは揚羽と一緒にいたいって思ってる。色々なことを一緒に経験して、共有して、そうしたいって思ってる。だからボクは揚羽が好きなんだ。……ごめん、答えになってるかは自分でもわからないけれど」
「……ううん、ハルの言うとおりだと思うよ。正直に言うと、あんまりよくわからなかったけど、それでもハルが揚羽のことを凄く好きだってことは伝わったもん」
「なんだか改めてそう言われると少し恥ずかしいね」
柄にもなく熱く語ってしまった。
雨で頬を濡らせば、たぶん気持ちいい。
……って、そうだ。本来の目的を忘れたらダメだ。
「そういう可憐は、西条先輩のどういうところを好きになったの」
半年前なら、絶対に訊けなかった問いだった。
可憐が西条先輩の好きなところを知れたら、それを取っかかりにして二人の仲を探れるかも知れない。
自然な流れで訊いたボクの問いに、可憐は沈黙した。
あまり急かすようなことでもないし、もしかしたら恥ずかしくて答えられないかも知れない。
何か話題を変えようかと考え出したとき、不意に可憐が言った。
「わかんない」
「え?」
「ハルの話を聞いてたらわかんなくなってきた。……好きって、なんなんだろ」
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