40、おかしなこと

 翌日の夕方。学校の授業を終えて早々に家に帰ったボクは自室のベッドに横になりながらネットの海に飛び込んでいた。

 週末、揚羽と予定しているピクニック。その場所を探しているのだ。


 普通、場所を決めてから誘うものじゃないかということに今更ながらに気付いたけれど、勢いで誘ったのだから仕方がない。


 一応昨日のうちから調べていくつかの候補は決めている。

 基本的には有名で大きな公園のような場所をピックアップしている。

 普段行かないところがいい、というのが揚羽の希望だけれど、遠すぎるとピクニックの意義が薄れる気がするのでその辺りはうまく調整しているつもりだ。


 ひとまず、電車で一時間ほどもかからないところをいくつかリストアップしたものを揚羽にニャインで送る。

 既読はすぐについた。

 ただ、返信はすぐには来なかった。

 恐らく、ボクが貼り付けた場所に関する詳細をひとつずつ確認しているのだろう。


 なんというか、少し緊張する。

 こういうのはセンスが試されるのだ。


 落ち着かない気持ちを抑えようとベッドを降りて部屋の中をグルグルと歩き回る。

 そうして少しの間待っていると、机の上に置いたスマホがブーッと震えた。


『どれもいいと思うよ!』

『どれもいいじゃ困るよ。絞りきれないからこうして揚羽に相談してるんだからさ』

『あたしはお弁当の献立を考えるので大変なの! それに、場所選びはハルくんに任せたでしょ?』

『そりゃあそうだけどさ……、知らないよ? ボクが変なところを選んでも』

『大丈夫大丈夫。ハルくんが選んだところならどこでも楽しいって!』

『……ありがとう』


 突然こんな言葉を投げかけてくる辺り、気が抜けない。

 揚羽には、もう少し自分の発言が相手にどういう影響をもたらすかをきちんと考えて欲しいものである。


『それなら、四つ目に送ったところにしよう。人もそんなに多くない、穴場スポットらしいから』

『了解! 楽しみにしてるねっ。あ、お弁当、楽しみにしててね!』

『うん、楽しみにしてる』


 揚羽とニャインをしていると、知らず知らずのうちに口角が緩んでしまっている。

 そのことに気付くのは、スマホの電源を落としてからだ。


「雨、降らないといいけれど……」


 ベッドに倒れ込み、天井を見つめながら呟く。


 ピクニックは、天気が崩れると何も楽しめなくなる。

 揚羽のお弁当を自然の中で食べるためにも、地球には頑張ってもらいたい。


 ひとまず、場所も決まったので、日程を洗い出す。

 何時に集合したら昼頃につけるかとか、そういうのだ。


 彼氏たるもの、スマートに彼女をエスコートしたい。

 ……まあ、今し方その彼女を頼っていたボクが何を言っても格好良くはないけれど。


「そうだよね、彼女なんだよね」


 まだ、揚羽が彼女であるということが慣れない。


 結局、揚羽は可憐に全てを話したのだそうだ。

 クリスマス一週間前の日にボクに告白して振られ、そして遊園地でボクに告白されたことを。


 それを聞いて、最初可憐は困惑していたのだそうだ。

 正直、ボクも同じことを聞いたら混乱する自信がある。


 ともあれ、これでもう本当に可憐に対する隠し事はなくなった。

 お陰で可憐に対する後ろめたさも解消されて、半年前と比べたら本当に劇的に日々が楽しく感じられる。

 その大きな要因が揚羽であることを考えると、彼女に対する愛しさが膨れ上がる。


「って、そうだ、日程を纏めないと……」


 頭を振って一旦思考を整理する。

 週末の休みまで後二日しかないのだから、うかうかしていると準備不足で当日を迎えてしまう。


 再びネットを開こうとスマホを取り出したのと同時に、ニャインの通知がディスプレイ上に表示された。

 揚羽からだろうかと思いながら見ると、西条先輩からのメッセージだった。


     ◆


「やぁ、ご無沙汰だね」


 西条先輩に呼び出されて、ボクはオレンジ色に染まる空を見上げながら足早に以前も利用したことのある隠れ家的な喫茶店に足を運んでいた。


 ドアベルを鳴らしながら中に入ると、奥の席に座っていた西条先輩が慣れた所作で片手を上げてきた。

 軽く会釈をしながらテーブルを挟んで対面に座る。


 西条先輩の装いは、これまた依然と同じくサッカー部の練習用ユニフォームだった。


「まさか、来てくれるとは思わなかったよ。何せ急だったから」

「まあ、丁度暇だったので」


 差し出されたメニュー表を受け取りながら簡単に受け答えする。


 西条先輩から送られてきたメッセージは、今からこの喫茶店に来れないかという旨が記されていた。

 もちろん、無理なら大丈夫とも。


 数十秒ほど悩んだ結果、ボクは行くことにしたのだ。

 単純に西条先輩がボクを呼び出した理由が気になったし、何より今まで少なからず抱いていたかもしれなかった嫉妬のような感情がなくなったことで、物腰が軽くなったというのもあった。


 西条先輩と最後に会ったのは、というより会話したのは揚羽の誕生日プレゼントを選んだときだったはずだ。

 久しぶりに会う西条先輩は、以前となんら変わりなかった。


 フルーツジュースを注文したボクは、メニュー表を閉じながら西条先輩に訊いた。


「あの、可憐とは一緒じゃないんですか?」

「相沢さん? うん、まあね。最近練習が長引くことが多いから、一緒に帰らないようにしているんだ。待たせるのが申し訳なくてね。……それに」


 西条先輩はいつものように万人受けする優しい笑みを刻みながら、しかし一瞬その笑みに陰りを見せる。


「西条先輩?」

「ああ、いや、なんでもないんだ。……そうだ、君を呼んだ理由なんだけど」


 話を遮るように、西条先輩は矢継ぎ早に切り出してきた。


「最近、相沢さんに何かおかしなところはないかな? 些細なことで構わないんだけど」

「可憐ですか? ……どうでしょう、特に気になったところはないですが、どうかしたんですか?」

「いや、ないならいいんだ。俺の思い過ごしならそれに越したことはないから」

「話って、もしかしてそれだけですか?」

「うん、まあね。こういう話をニャインでするのもどうかと思ったんだ。すまないね、変な手間をかけさせて」

「い、いえ、別にボクはいいんですけれど……」


 西条先輩の表情は、険しかった。

 彼が何を言いたいのかはよくわからないけれど、少なくとも可憐に何かが起きているらしい。


 そうとあっては、ボクも他人事ではいられない。

 どうきりだしていったものか考えていると、注文したフルーツジュースが目の前に置かれた。


 チューと吸い上げる。

 甘くて、フルーティーな味わいが口いっぱいに広がる。

 飲み込むと、フルーツらしき粒が心地よく流れた。


「……これは、聞き流してくれてかまわないんだが」


 不意に、西条先輩が神妙な面持ちでボクを見つめてきた。


「はい」

「君は、相沢さんのことをどう思っているのかな」

「へ?」


 余りにも突拍子のない質問に、ボクは思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。

 しかし、西条先輩の表情は真剣そのものだった。


「えっと、どういう意味ですか」

「言葉通りの意味だよ。……以前、俺は君に話しただろう? 彼女の思い出の大部分が、俺ではなくて他の男で形作られていることに焦っていると」

「確かに聞きましたけど、それは幼馴染みだからだと」


 整然と、以前に話したことを繰り返す。

 しかし、今日はそれで納得してくれなかった。


「……そういう問題じゃないんだッ」


 いくぶんか荒い声。

 滲み出る怒気に、ボクは堪らず押し黙った。


「っ、いや、すまない。最近気になることが多くて気が立っていた」


 ボクが黙っていると、西条先輩が慌てて頭を下げてくる。


「いえ、その、好きな人のことになると色々と考えてしまう気持ちはわかりますから」

「そういえば、君には好きな人がいるんだったな」

「ええ、まあ」


 その人と交際を始めたとは、言わないことにした。

 今はとてもそんなことを言える雰囲気でもなかったし、言う必要も感じられなかったのだ。


 そこで、西条先輩は疲れたように背もたれにもたれかかると、深く息を吐き出した。

 彼が一体何を考えているのか、何が言いたいのか皆目見当も付かないボクは、ただ身を縮めるしかない。


 目元を押さえながら、西条先輩は口を開く。


「いや、違うんだ。こんな話をしようと思って君を呼んだわけじゃなかった」


 自分に言い聞かせるように呟く西条先輩を、ボクは黙って見つめる。


 居住まいを正した西条先輩と視線が合ってしまって、妙な気まずさを覚えた。

 けれど目を逸らさないでいると、西条先輩は元の柔和な笑みと共に、しかし真剣な眼差しでボクに言ってきた。


「とにかくだ、相沢さんに何かおかしなことがないか、気付いたら教えて欲しい。些細なことでも。……俺は、相沢さんの彼氏なんだから」


 何かを噛みしめるように告げてくる西条先輩に、ボクはただ頷くことしか出来なかった。


 結局、今日はこれ以上目立った会話は行うことなく解散となった。

 自室に戻ったボクの心は、家を出るまでと違って漠然とした不安が滞留していた。

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