39、心からの・・・
今までズルズルといっていたことから、ボクは可憐に伝えると決めたその決意が揺らがないうちにニャインを起動した。
そして、『放課後話があるんだけど、河川敷に来れないかな?』と可憐にメッセージを送る。
同じクラスなのに直接声をかけないのは、当然クラスメートたちの視線を気にしてだ。
異性に放課後空いていないかと訊けば、当然愛だ告白だなどと騒ぎ立てるに決まっている。
……まあ、可憐の場合西条先輩と付き合っていることはすでに周知のことだから、杞憂かもしれないけれど。
ともあれ、メッセージを送ったボクは、前の方の席で一人静かに座っている可憐を見る。
どうやらメッセージは間違いなく届いたらしく、慌てた様子でポケットに手を入れた。
ただ、スマホは取り出さず、結局返事が来たのは帰りのホームルームが終わってからだった。
自席に座ったままの可憐を尻目に教室を出ようとすると、突然ズボンのポケットの中でスマホが震えた。
『ごめんっ、返すの遅れちゃった。大丈夫だけど、少しだけ職員室に行かないといけないから、先に行って待っててくれる?』
『了解。待ってる』
短く返信して、今度こそ教室を出る。
いつもであれば揚羽と一緒に帰るところだけれど、今日はどうやら友達と遊ぶらしい。
久しぶりに一人で帰路に就く。
帰路、といっても河川敷に寄り道するのだけれど。
のんびりと歩く。
慣れ親しんだはずの通学路も、揚羽がいないだけでとても新鮮に映る。
思えば、最近は揚羽のことばかり見ていたからか、周りの景色にそれほど意識を向けることはなかった。
だからか、久しぶりに見る周囲の何気ない景色が少し楽しい。
ゆっくりと歩いていると、当然、何人もの人がボクのことを追い越していく。
忙しなく動く彼らを呆然と見送りながら歩いていると、いつの間にか河川敷についていた。
「人って、こういうゆっくりする時間が大切なのかもなぁ……」
河川敷の斜面に腰を下ろして空を見上げながら、ボクはいやに感傷的なことを呟く。
ピクニックも、これぐらいのんびりとできる場所を探そう。
制服が汚れることも厭わずに横になる。
思えば半年前、ボクは今と全く同じ場所で、今とは全く違う状況にあった。
生まれて初めての失恋をして、そうして無様に泣きじゃくった。
それが、今や揚羽と付き合っている。
人間どうなるかわからないものだなぁと、改めて思う。
……ああ、そうだ。
可憐に、なんて切りだそう。
いきなり、付き、合い……始め、た、なんて……。
◆
「……ル、――ル! ハル!」
体を揺さぶる振動と、耳朶を打つ声でボクの意識は引き戻された。
どうやら、いつの間にか眠ってしまったらしい。
上体を起こしながら寝ぼけ眼で辺りを見回すと、すぐ隣に立ち、ボクを見下ろしていた可憐が呆れたように口を開いた。
「も-、やっと起きた」
「ご、ごめん。つい気持ちよくて……」
ボクの弁解の言葉に、可憐は小さく溜め息を零すと、ボクの隣にそっと座った。
「突然呼び出してごめん。西条先輩は大丈夫?」
「うん、西条くんは今部活で忙しいから」
「そっか。先輩も今年で引退だもんね」
何気ない会話で繋ぐ。
思えば、可憐とこうして一対一でゆっくり話をするのは随分と久しぶりな気がする。
可憐には西条先輩という彼氏ができて、ボクはといえばしばらくずっと揚羽と一緒にいたのだから、当然といえば当然なのかもしれないけれど。
なんとなく、すぐに話を切り出す気にはなれなくて、ボクは適当な話題を見繕った。
「何か怒られるようなことでもしたの?」
ボクの突然の話題に、可憐は一瞬目を丸くする。
けれど、すぐに職員室に行くと言って遅れたことを思い出したらしく、納得したように小さく頷いた。
「うん、実は……って、そんなわけないよ!!」
「だ、だよね」
思ったよりもノリがよかったから驚いてしまった。
ボクが呆気にとられているのが伝わったのか、可憐は恥ずかしそうにこほんと咳をした。
「そんなことよりも、改まって話って何? ハルがこういうことを言ってくるのって、珍しいよね」
「そうかもね。今までなら、普通に教室で話せていたし」
ボクがそう言うと、可憐は表情を暗くした。
すぐに取り繕ったような笑みを浮かべたけれど、長い付き合いであるボクにはそれがわかってしまった。
けれど、可憐が触れて欲しくなさそうに笑っているから、臆病なボクは触れないでおくことにした。
可憐の目が、ボクの話を待っているようにジッと見つめてくる。
ボクはどう切り出したものかと困ってしまった。
悩んだ結果、素直に結論から先に切り出すことにした。
「可憐は聞いたら驚くかもしれないんだけれど」
「ん」
「揚羽と付き合うことにしたんだ。というか、付き合ってるんだ」
「……え」
ボクが告げると、可憐は驚いたように目を見開いて固まった。
「か、可憐……」
数秒間、呆然としているものだから、心配になって優しく声を掛けると、可憐は弾かれたように動き出した。
「ご、ごめん、ビックリして。その、付き合ってるって、つまりそういうことなんだよね?」
「買い物に付き合うとか、そういう意味じゃなくて、彼氏彼女としてっていうことだよ。驚いた?」
「そ、そりゃあ驚くよっ。揚羽はともかく、ハルは揚羽のことをそういう目で見てると思ってなかったから、……うん、意外だった」
「ボクが一番意外に思ってるよ。半年前のボクにこのことを話したら、たぶん可憐以上に驚くんじゃないかな。いや、そもそも信じないかも」
あの頃の揚羽は、どこまでいってもボクの中では妹のような存在だった。
それが今や、自分で言うのもあれだけれど、揚羽のことが堪らなく大好きになっている。
「い、いつから?」
「この間のゴールデンウィークの時に。隠しているつもりじゃなかったんだけれど、中々切り出せなくて。でも、可憐もボクに伝えてくれたから、ボクも可憐に伝えるべきだと思ってさ。幼馴染みなんだし」
「そっか……」
ボクが伝えたいことを全て伝えきると、可憐は小さく呟いて三角座りをしている自分の膝に額を付けた。
「可憐……?」
声を掛けるけれど、反応はない。
まるで、可憐に彼氏が出来たことを告げられた時のボクみたいだなと、場違いにも思った。
次第に陽が傾き始め、水面がオレンジ色に光り出す。
ボクが黙っていると、可憐はようやく顔を上げた。
「ごめん、なんだか寂しくなっちゃって」
「寂しく?」
「今までの私たちの関係性が変わったんだって思うとね。私はハルの幼馴染みで、揚羽はハルにとって私の妹で。これからはそうじゃなくなるわけでしょ?」
「大袈裟だなあ。少なくとも、ボクと可憐の関係はこれまでと何も変わらないよ」
「……うん、そうだよね」
またしても沈んだ声音。
一体どうしたのだろうと不安になっていると、突然可憐が明るい声で訊いてきた。
「ね、それでどっちから告白したの? やっぱり揚羽?」
「え、それはちょっと、……うん、あんまり勝手に言うと揚羽に怒られるかもしれないから」
「えー、いいじゃん、教えてよっ」
「付き合い始めたばかりで破局は勘弁したいから、どうしても訊きたいなら揚羽から訊いてよ」
「ケチー」
唇を尖らせて、おどけた調子で笑う可憐。
いつもの彼女が戻ってきたと、密かに安心する。
「それじゃあ話も終わったし、帰ろうか」
胸のつかえが取れて、心なしか体が軽い。
立ち上がりながら伸びをして、可憐に問う。
すると、可憐は座ったまま水面の方を見つめていた。
「私はここでゆっくりしていこうかな。まだ驚きが残ってて動く気が起きないの」
「わかった。じゃあ、また明日学校で」
「ハルっ」
河川敷の斜面に敷かれている石の階段を昇り始めたボクの背中に、可憐の声が投げられる。
ボクは顔だけ振り向く。
可憐は、ボクの方をジッと見て、何か言いたげに口を開いていた。
けれど、ボクが黙っていると、躊躇いがちに口を閉じ、キュッと真一文字に引き結ぶ。
そうして、春の風が通り過ぎてから、可憐は再び口を開いた。
「おめでとう、ハル。揚羽をよろしくね」
「ありがとう。可憐こそ、西条先輩と仲良くね」
祝いの言葉を素直に受け取って、ボクもまた可憐の幸せを願う。
いつか口にした時とは違って、今度のは、心からの言葉だ。
そういう風に思えている自分に喜びを覚えながら、ボクは河川敷を後にした。
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