37、恋人繋ぎ
観覧車を降りたボクたちは、予定通り帰路に就いた。
少しぐらい寄り道してもいいんじゃないかという気持ちもあったけれど、口にするのは憚れた。
そんなに焦らなくてもいいと思う。
これまで揚羽から凄くたくさんの時間をもらってきたんだ。
そのことを思えば、今日はこれで十分な気がした。
「……ね、ハルくん」
「ん?」
遊園地を出て駅に向かう道中。
なんとも言えない気恥ずかしさのようなものがボクたちの間に漂っていて、ボクも、そして揚羽も互いに俯きがちに黙って歩いていた。
そんな中、不意に揚羽が囁くような声を上げた。
ボクが聞き返すと、揚羽は髪をいじいじと弄りながら躊躇いがちに呟く。
「手、繋いでいい?」
何を今更、と女心に鈍感だったボクは思ってしまった。
これまで何度となく手は繋いできただろうに、と。
けれど、揚羽の真っ赤に染まった顔を見て気付いた。
今までとは違って、これからは彼氏彼女の関係で手を繋ぐことになる。
それは今までのものとは一線を画したものであるはずだ。
そのことを自覚すると、ボクもなんだか手を繋ぐことがとても恥ずかしいような気がして、思わず周囲を窺った。
見ると、周りでは若いカップルたちが手を繋いだり、腕を組んだりして歩いている。
郷に入っては郷に従えって言うし、……よし。
微妙に使い方が違うような気がしながらも、気合いを入れる。
そして、勢いそのままに揚羽の右手を掴んだ。
「いいに決まってるよ。……ボクは、揚羽の彼氏なんだから」
「う、うんっ!」
ギュッと、握り返す感触。
男らしさを見せようと勢いで言ってみたけれど、もの凄く恥ずかしい。
ボクが顔の火照りを感じながら空を見ていると、ボクの手の中にある揚羽の手がモゾモゾと動いた。
揚羽の細く柔らかい指が、ボクの指と交互に絡まっていく。
これは、いわゆる恋人繋ぎというやつでは……?
そう思いながら慌てて揚羽の方を見る。
揚羽は、ボクのことを見ていた。
ボクを見上げる揚羽は、最初は羞恥に染まった、ボクの反応を不安げに窺うような表情を浮かべていた。
だけど、ボクと視線が交わった瞬間に普段のからかうような挑発的な笑みを浮かべた。
その、日常と非日常が交わり合ったような揚羽の表情に、ボクはドキリとさせられてしまう。
結局、ボクは揚羽の手にしっかりとボクの指を絡ませて、駅まで真っ直ぐ前を向いて歩いた。
◆
地元の最寄り駅を降りて、揚羽の家まで歩く。
すっかり辺りは暗くなっていて、外灯の明かりがぼんやりと慣れ親しんだ道を照らす。
電車に揺られて帰ってきたからか、まだフワフワとした感覚があった。
妙な緊張感があって、ボクはすっかり黙り込んでしまったのだけれど、隣に並ぶ揚羽は駅を出てからというもの、時折「ふへ、ふへへ」という謎の声を漏らしている。
その声が漏れるのが十度目を超えて、ボクはようやく揚羽の方を向いた。
「揚羽、さっきから大丈夫?」
「な、なにが?」
「声、漏れてる」
ボクが端的に指摘してみせると、揚羽は「ふぇっ?」という間の抜けた声を上げて暫く固まってから、慌ててボクの手を離し、両手で顔を覆った。
「あ、あたし、口に出してたんだ……っ」
羞恥を誤魔化すように、おどけた様子で「あー、恥ずかしっ」と少し大きめの声で言う。
そんな揚羽の姿は可愛かったけれど、一体全体どうしたのだろうというボクの疑問は全く解消されていなかった。
ボクが黙っていると、顔を覆っていた指の隙間からチラリと揚羽が覗いてきた。
それから、躊躇いがちに訊いてきた。
「……その、引かないって約束してくれる?」
「え? う、うん」
一体なんのことだろうと不思議に思いながら、ボクは曖昧に頷いた。
「その、ね? 少しだけ考えてたんだぁ。ハルくんとこれから恋人としてどんなことをするんだろうって。そうしたら、つい嬉しくて……」
「……考えるだけじゃなくて、話してよ。ボクも揚羽とたくさん恋人らしいことをしたいからさ。お互いにそういうことを言い合っていけたら、いいと思わない?」
その言葉は、ボクの口からするりとこぼれ落ちていた。
揚羽のことを可愛い、愛しいと思うのと同時に、幸せにしたいと思った。
ボクの言葉に、揚羽は一瞬虚を突かれたように固まった。
それから、徐々にその表情を変えていく。
ボクが好きな、揚羽の笑顔。
「うん!」
その何の屈託のない笑顔が眩しくて、ボクは顔を背ける。
そして、照れを誤魔化そうとボクは咳払いをしてから、少し格好付けて言った。
「……取りあえず、ボクは手を握り直したいかなって思うんだけれど、どうかな?」
返事はなかった。
その代わり、ボクの手に揚羽の手が交わった。
それきり言葉は交わさずに、気付けば揚羽の家の前にいた。
浮かれていたからか、一瞬で着いたような気がした。
名残惜しさを覚えながら手を放す。
揚羽は門扉を開けて中に入ると、玄関の扉に手をかけながら振り返った。
「また、ね。ハルくん」
「うん、また」
お互いに挨拶を交わし、揚羽が玄関を開けた。
「あ、揚羽。お帰り」
「ただいまー」
すると、丁度そこには可憐がいた。
揚羽を出迎えた可憐は、その奥にボクの姿を認めたらしい。
揚羽の肩越しに、覗き込むようにしてボクに声を掛けてきた。
「ハル? ごめんね、揚羽を送らせちゃって」
「ううん、いいよいいよ。こんな時間まで付き合わせちゃったのはボクなんだしさ」
「そうだよ、お姉ちゃん。悪いのはハルくんだよっ」
「こらっ」
おどけて冗談を言う揚羽を、同じく苦笑いしながら形だけ諫める可憐。
そんな姉妹のやり取りを見てから、ボクは「それじゃ」とだけ言い残して自分の家へと向かった。
◆
家に帰ってすぐに、ボクはシャワーを浴びた。
それから髪を乾かしてご飯を食べる。
自室に入ると、時計の短針は九の数字を示していた。
ベッドに倒れ込むと、途端に疲労感がのしかかってくる。
今日一日、本当に色々なことがあった。
揚羽と一緒にいて、とても楽しかったけれど、知らないうちに気を張っていたらしい。
枕に顎を埋めながら、スマホを手に取る。
すると、ニャインに通知が来ていた。
開くと、揚羽から画像が送られていた。
観覧車でハグをして、頂上を通り過ぎてから暫くして。
揚羽が慌てて「写真を撮らないと」と言って二人で撮った写真だった。
ボクと揚羽の間から、観覧車の外の景色が見える。
ボクは、そんなものよりも揚羽の顔を見ていた。
赤くなった目と、嬉しそうな満面の笑顔。
ボクは思わず頬を緩めながら画像を保存する。
揚羽からは、メッセージも来ていた。
『今日はありがとう! 明日からもよろしくね、ハルくん!』
このメッセージを打ち込んでいる時の揚羽の表情が、何故か想像できた。
ボクは仰向けに寝転がると、胸元にスマホを置いて暫く目を瞑る。
今日一日のことを瞼の裏で振り返った。
それから、ボクは揚羽にメッセージを返す。
『こちらこそ、ありがとう。大好きだよ、揚羽』
やっぱり今日のボクはテンションがおかしいみたいだ。
でも、後悔はなかった。
とてつもなく幸せな気持ちに包まれて、ボクはまた目を瞑る。
いつの間にか、夢の中に意識を投じていた。
揚羽から着信が来ていたことに気付いたのは、朝になってからだった。
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