21、出会いと別れ
揚羽の勉強に付き合っていたら、すっかり帰りが遅くなってしまった。
いつもよりずっとゆっくり帰路を進みながら、ぼんやりと空を見上げる。
自然が多いこの辺りは都会と比べていくらか星が多く見える。
……可憐に彼氏ができたことを告白されたクリスマス一週間前のあの日から。
いいや、揚羽に告白されたあの日から、もう三ヶ月近くが経っている。
ボクと相沢家は小さい頃からの付き合いで、その付き合いとこの三ヶ月を比較すると、明らかに後者の方が短い。
けれど、ボクにとってはこの三ヶ月が何よりも濃密だった。
夜の冷たい風が全身に吹き付ける。
途中、道ばたにある自販機の明かりに吸い寄せられたボクは、気が付くと小銭を入れてコーンポタージュを選んでいた。
缶を手で包み込む。
じんわりと、温もりが広がる。
このままこうしていたいけれど、肝心のコーンポタージュが冷たくなっても仕方がないので数度振ってからタブを指に掛けて開ける。
体の中から暖かくなる。
こんな時間だから当然人のいないバス停のベンチに座って、しばらくコーンポタージュを飲みながら考えた。
ボクはこれから、どうしたらいいのだろうと。
もちろん、揚羽たちのことについてだ。
このまま揚羽や可憐たちと今までどおりの関係で居たいと思う反面、このままではいけないと思う自分もいる。
少なくとも可憐には彼氏ができたし、揚羽はボクのことを好きだと言ってくれた。
ボクは揚羽の告白を断りはしたけれど、彼女の諦めない態度に曖昧に接してしまっているのも事実だ。
シャクシャクと、コーンを噛み潰す。
ポタージュにはなかった甘みが口の中に広がる。
飲み込んでから、はぁと息を吐き出した。
結局のところ、これもまた曖昧にしようとしているだけのような気がする。
これからのことを考えて、考えようとして、けれど最終的な結論は出さないで。
考えているフリをしているだけなんだ。
「こういうところが本当、度し難いんだよなぁ」
思わず口に出していた。
この三ヶ月、何度自分のことを嫌いになったことか。
……揚羽のことを拒絶したいのなら、これまで通り接触するのをやめればいい。
デートの約束なんてせず、初詣になんて一緒に行かないで、チョコも受け取らずに、突然の呼び出しにわざわざ足を運ばないで。
そうしなかったのは、できなかったのは何故なのか。
たぶん、答えは随分前から知っていたように思う。
知っていて、そうじゃないと言い聞かせていたんだと思う。
幼馴染みだから? 好きだった女の子の妹だから? 拒絶すると彼女が悲しむから?
そうじゃないはずだ。
飲み終えた缶の中で、コーンが数粒、飲み口から出ようとせずに閉じこもっていた。
ボクは口の上で逆さにすると、缶の底を数度トントンと叩く。
強情じゃない粒はそれだけですんなりと口の中に落ちてきた。
……今日、揚羽が勉強する姿を、ボクは後ろからずっと眺めていた。
本を読むのも忘れて。
そのことは何よりも雄弁に、ボクの答えを教えてくれていたはずだ。
強く缶の底を叩いた。
残りの粒がようやく落ちてきた。
微かな達成感と共に噛み潰すと、ボクはベンチから立ち上がって歩き始めた。
◆
屋上の扉を開けてすぐに、すぐ傍をふわりと春らしい暖かい風が通り過ぎた。
その風にさらわれて、朝に手櫛で整えたボクの髪が乱れる。
癖を押さえて整えながら、ボクはニメートル以上はある柵の前に近付く。
校舎の日陰にそびえ立つ桜の花びらが風に乗って地上を巡っていた。
始業式から一週間が経ち、新たな学年での生活にも幾分か慣れ始めてきた。
高校生活は、二年生の時が一番楽しい時期という話をよく耳にする。
新生活の不安も、受験の重圧もなくて、修学旅行なんかもあるからだろう。
しばらく柵越しに地上を見下ろしていると、校舎から弁当箱を携えた可憐と西条先輩が並んででてきた。
何気なくその姿を目で追っていると、中庭のベンチに並んで座った。
ボクは視線を切ると、柵から離れた。
今年度から解放された屋上に早速設置されることになった木製のベンチに寝転がる。
ぽかぽかとした陽気がじんわりと肌を撫でた。
昼休みだというのに周りに誰もいないのは、わざわざ屋上まで行くのが面倒なのか、それとも新しい人間関係を築くために必死なのか。
ボクも、二年生になったら人の輪に入っていかないとなぁとは思っていたけれど、どうやらその必要はなくなったみたいだった。
手にずっと持っていた弁当箱をそっと置いて目を瞑る。
一年生は、まだ授業中なのだろうか。
そんなことを思いながら待っていると――、
「ハールーくーん!」
屋上の入り口の方から、聞き慣れた、春の陽気を吹き飛ばしてしまいそうなほどに明るい声が聞こえてきた。
ボクは目を開けると、ゆっくりと上体を起こしてそちらを見る。
淀岸高校の制服に身を包んだ揚羽が、弁当箱を片手にこちらに駆け寄ってきた。
「お待たせっ」
「うん、食べようか」
ボクはベンチの端による。
すると揚羽はボクの隣にそっと座った。
互いの弁当箱を開けて、手を合わせる。
そうして少しの間、無言で昼食をとっていた。
「えへへ」
不意に、隣で揚羽が笑みを零した。
訝しみながらそちらを見ると、揚羽は照れたように言った。
「ハルくんとこうして学校でご飯一緒に食べるの、夢だったんだよ。中学は教室から出たらダメだったでしょ?」
揚羽の言葉にボクは頷き返す。
揚羽が淀岸高校に合格したその日、彼女に直接「お昼ご飯は一緒に食べようね!」と言われた。
ボクは今までどおり、それに頷き返した。
そして今日、一日授業が始まった初めての日。揚羽と初めて一緒に学校でお昼を食べることになったのだ。
隣でツインテールを揺らしながら幸せそうにしている揚羽の横顔を見て、ボクも頬を緩ませる。
それは、彼女の子どもっぽいところが可笑しかったからでもあり、そして自分の気持ちの変化を再度突きつけられたからだった。
ホワイトデーの日に贈った髪飾りでくくられたツインテールを眺めながら、ボクは揚羽に言うことにした。
「ねえ、揚羽」
「ん?」
丁度口いっぱいにご飯を含んだ揚羽が、少しだけ間抜けな顔でこちらを見てくる。
ボクは吹き出しそうになるのを堪えながら言った。
「ボクも、揚羽とこうして一緒にお昼を食べられて嬉しいよ」
「~~~~っ!」
顔を真っ赤にして固まった揚羽をよそに、ボクは再び箸を動かす。
……うん、やっぱりボクは揚羽のことが好きなんだな。
改めて頭の中で言葉にすると少し照れくさい。
ともあれ、このことを自覚した以上ボクは揚羽に告白するべきなんだろうけれど。
チラと隣を見れば、ようやく動き出した揚羽がボクを見上げていた。
視線が交わると、妙に照れくさくて顔を逸らしてしまった。
……告白は、もう少し気持ちの整理ができてからにしよう。
春。出会いと別れの季節。
ボクは幼馴染みとしての揚羽と別れて、そして、女の子としての揚羽と出会った。
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