第二章

22、スマホとニャイン

 今日は、一日授業が始まってから初めての休日だ。

 始業式から二週間が経って二年生の生活にも慣れてきたとはいえ、やっぱり久しぶりの一日授業は中々に疲れた。

 だから、今日は家でゆっくりと休むつもりだった。


 ……そう、そのつもりだったんだ。


「あ、ハルくん、いらっしゃ~い!」

「いらっしゃいって、揚羽が呼んだんでしょ」


 相沢家のインターホンを鳴らしてすぐに、捻挫が無事に治り、元の活発さを取り戻した揚羽が勢いよく飛び出してきた。

 その満面の笑顔にジト目を向けながら、ボクは小さくため息を零す。


 例のごとく、今朝方可憐経由で揚羽から呼び出しをくらったのである。


 時刻は昼過ぎ。昼食を食べたボクは、早々に相沢家に向かった。

 予定だと、平日の疲れを癒やすためにベッドでゴロゴロしながらマンガを読むつもりだったのに。


 とはいえ、惚れた弱みという奴だろうか。

 揚羽に呼び出された手前、それを断るという選択肢が残念ながらボクにはなかった。


 今日は珍しく可憐から用件を聞いていたため、ジト目のままに言葉を続けた。


「それで、揚羽のスマホを買いに行くっていう話であってる?」


 高校に入学した揚羽は、晴れてスマホを与えられることになった。

 そのスマホ選びに今日行くので、ボクもついてこいという話だった。


 果たしてボクがついていく意味はあるのだろうかと不思議に思ったけれど、考えないことにした。


 ボクが言うと、揚羽は一層笑顔を明るくして頷いた。


「うん! 丁度今から出ようと思ってたところなんだよっ。流石ハルくん、タイミングがいいね」

「いや、狙ってないし」


 ボクらがそんな会話を繰り広げていると、家の奥からおばさんがひょこりと顔を出した。


「ごめんなさいね、揚羽ったら、春人くんを呼ぶって聞かなくて」

「いえ、ボクは別にいいんですけど、……ボクは一体何をしたらいいの」


 おばさんに返しながら、途中で揚羽を見る。

 揚羽は一瞬固まると、何かを隠すようにはにかんで見せた。


     ◆


 駅近くにある小さな携帯ショップに入った揚羽とおばさんは、早速店員さんに話しかけていた。

 ボクはと言えばやることもないので子どもの遊び場スペースを囲っているクッションに腰を下ろした。


 遠目に、スマホを物色する揚羽の顔を見る。

 その表情は見るからにワクワクしていて、楽しそうだ。


 一瞬スマホのカメラを起動して撮りそうになったけれど、なんとか抑え込んだ。

 取り出し掛けたスマホをポケットに仕舞い込んで、揚羽を眺める。


 少しして、それまでスマホを見つめていた揚羽が不意にこちらを向いて手招きをしてきた。


「どうかした?」


 まるで忠犬のように揚羽の傍に歩み寄ると、揚羽は両手にそれぞれ違う色をした同機種のスマホを見せてきた。

 右手に持っているのがピンク色、左手に持っているのが水色だ。


「ハルくん、どっちがいいと思う?」

「どっちがいいって、そんなの揚羽が好きな方を選びなよ」

「やだ、ハルくんが選んだ方がいいの」

「やだって言われても……」


 ボクが当惑してみせても、揚羽が厳とした様子でジッとボクを見つめてくる。


 こうなると、揚羽はてこでも動かない。

 変なところで意地になるのだ。


「……ピンク」

「じゃ、こっちにする!」


 ボクがポツリというと、揚羽はパッと笑みを咲かせておばさんに差し出した。


 本当可愛い、じゃなかった面倒くさいなぁ。

 数年は使うものなんだし、自分の好きな方を選べばいいのに。


 ……というか、もしかして今日ボクはこれのためだけに呼ばれたのだろうか。

 だとしたら貴重な休日を潰された不満をぶつけなければならない、けど、まあこういう過ごし方も有意義なのかもしれない。


 その後、スマホの契約やらなんやらを終えた揚羽とおばさんと共に、駅前のファミレスに入った。


 無理矢理付き合わせちゃったからなんでも好きなの頼んでね、というおばさんの好意に甘えて、ミルクレープを注文する。

 隣で、揚羽が大きなパフェを頼んでいた。


「ね、ね! 開けていい?」


 注文が届くのを待っている間に、揚羽はおばさんの隣に置いてあるスマホが入った箱を見ながら、子どものような調子で訊いた。

 おばさんは苦笑しながら、「いいけど、散らかさないでよ?」といって袋ごと揚羽に手渡した。


 袋から箱を取り出して、おばさんに言われたとおりに散らかさないように気を配る揚羽。

 膝の上に置いた袋がどうにも邪魔そうだ。


「ほら」


 ひょいと袋を取り上げる。

 揚羽は一瞬ボクの方を向いてから俯いて、「ありがと」と小さく呟いた。


 箱から取り出したスマホの電源を押す。

 画面カバーは店員さんにつけてもらったようだ。


 ……ボクの時は、自分でつけるといって悲惨な目に遭ってしまったことを考えると、もしかしたら揚羽の方が余程大人なのかもしれなかった。

 いやだって、初めてのスマホだったから、店員さんにあまり触られたくなかったんだ。


 揚羽がスマホが立ち上がるのを待っている間に、おばさんは席を立った。

 その背中を見送ってからコップの水を一口呷る。

 隣で、揚羽が嬉しそうにスマホの設定を進めていた。


 少しして、揚羽が「ん」とボクの方に真新しいスマホを突き出してきた。

 ボクが眉を顰めると、揚羽は少しだけ頬を膨らませながら照れたように早口で言った。


「……ニャイン」

「え?」

「だから、ニャインだよ。連絡先交換しようよっ」

「あ、ああ……」


 我ながら察しが悪いと苦笑しながら、ポケットから慌ててスマホを取り出してニャインを起動する。

 少しもたつきながら連絡先を交換した。


 ボクの数少ない友達リストに、『あげは』という名前が追加された。

 隣を見ると、揚羽がスマホの画面を見て「えへへ」と顔を綻ばせていた。


「これで、あたしのニャインの友達第一号はハルくんだねっ」

「……もしかして、今日ボクを呼んだ理由ってこれ?」

「うんっ、ハルくんを一番最初に登録したかったから。……ごめんね、学校休みだったのに」


 途端に申し訳なさそうにボクの顔を見上げてくる。

 今更過ぎるその言葉に、しかしボクは一切不満を抱かなかった。


「いや、いいよ。ボクも今日は適当に外をぶらつこうと思っていたから」


 決して嘘ではない。

 今この瞬間に、そういう予定だったということになったから。

 休みの日に部屋でダラダラしているだけなのは、休みの無駄遣いだ、うん。


 くだらないことを考えていると、ピコンとスマホが通知音を発した。

 画面を見ると、早速揚羽からニャインが来ている。


 トーク画面を開いてみると、『よろしくね、ハルくん!』と揚羽からメッセージが送られていた。


 ボクは少し逡巡してから、画面をフリック操作する。

『よろしく』と一言だけ返した。


 ボクの隣で、揚羽のスマホが通知音を発した。

 すぐにプッと小さく揚羽が笑いを零す。


 訝しみながら見ると、揚羽もこちらを見ていた。


「えへ、ハルくんのニャインって本当ハルくんらしいねっ」

「そうかな?」

「そうだよっ」


 ボクらしいって、一体何なんだろう。

 ともあれ、笑いながらそんなことを言ってくる揚羽に、妙な気恥ずかしさを覚えた。

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