18、世界で唯一の本命チョコ

 一日の授業が終わり、ボクは一人帰路に就いていた。

 今日からテスト期間一週間前に入ったということで放課後の部活動も休止になったからか、いつもよりも人が多い気がする。

 教科書を家に持って帰って勉強しないといけないので、カバンの中が重たい。


 途中、小学生ぐらいの男女三人組が傍を駆け抜けていった。

 思わず立ち止まってその後ろ姿を眺める。


 ……懐かしいとは思ったけれど、羨ましいとは思わなかった。

 ボクたちも、いつまでも子どものままではいられないんだから。


 そう思いながら再び歩き出そうとして、我知らず自嘲の笑みを浮かべた。

 あの三人の中でいつまでも子どもなのは、たぶん、ボクだけだから。


 近所の公園に立ち寄って、ブランコに腰を下ろしてからポケットに入れておいた、可憐からの義理チョコを取り出す。

 例年どおりの、正真正銘の義理チョコ。


 袋の口を解いて、中からチョコクッキーを取り出して口に放り込む。

 小気味のいい食感と共に、甘みが広がる。


 飲み込んですぐに、今度は小さな生チョコを口に含む。

 口の中でとろける。


 次にトリュフに手を伸ばして、さらにクッキーをもう一枚食べる。

 そして、空っぽになった袋を手の中で握りつぶして一息ついた。


 体を軽く揺り動かせば、キィキィとブランコが音を立てる。

 しばらくそうやって空を眺めてから、公園を出た。


     ◆


「ただいま」

「おかえり!」


 玄関には行ってすぐに、リビングから勢いよく飛び出してきた揚羽が満面の笑顔と共に出迎えてきた。

 ……なぜか、桃色のエプロンをつけている。


「なんでエプロン?」

「えへへ、どう、似合ってる?」


 言いながら、揚羽はその場でひらりと一回転した。

 まあ、意外にも似合ってるけれど。


「ってそうじゃなくて、どうしてうちでエプロンなんて着てるのさ」

「言ったじゃん。ハルくんが学校から帰ってきたら、とびっきりの本命チョコをプレゼントしてあげるって! その最後の仕上げをしてたの。あ、おばさんには許可とってあるからね」

「最後の仕上げって……」


 一体どんなものを用意したのか、恐ろしくなってきた。


 ワクワクした様子の揚羽を尻目に靴を脱いで家の中に上がる。

 そのままリビングに入ろうとしたボクの前に、大の字になって揚羽が立ち塞がった。


「はいストーップ! ここから先は目隠ししないと通っちゃダメだからっ」


 そう言って、揚羽はボクにタオルを渡してきた。


 これで目隠しをしろということらしい。


 カバンを床において、タオルで目元を覆い隠す。

 前方から、満足したように頷く気配がした。


「うん。じゃあ、はいっ」


 ボクの両手を、柔らかい何かが包んだ。

 その感触にボクは覚えがあった。

 揚羽の手だ。


 握り返すと、「はい、ゆっくり進んでー」という声と共に揚羽が手を引いてくる。


 たぶん、こんな風にチョコを渡す女子は世界中を探しても片手の指で数えられる気がする。

 いよいよ持って変な緊張感が生まれてきた。


 なんだろう、食べられるものだといいけれど。


 視界の情報は何も得られないけれど、そこは勝手知ったる我が家。

 リビングに入ったことがわかった。


「足下に気を付けてね」


 揚羽に誘われて、ソファに腰を下ろす。

 ようやく揚羽の手が離れた。


「もう外していい?」

「うん、いいよっ」


 許しを得たので、タオルの拘束を外す。

 瞼の裏が朱色に染まった。


 少し逡巡してから、目をゆっくりと開けた。


「これ、は……」


 目の前のローテーブルの上に置かれているソレを見て、思わず声が震えた。

 愕然とするボクに、揚羽は得意げに語る。


「ふっふっふ、どう? 凄いでしょ!」

「いや、確かに凄いは凄いけどさ……」


 本当に凄いと思う。

 ローテーブルの上には、大・中・小それぞれの大きさのハート型のチョコレートが、まるでケーキのように重ねられて置かれていた。


 こんなに大きいチョコは初めて見た。

 これ、板チョコ何枚使ってるんだろう。


 ボクが唖然としているうちに対面のソファに腰を下ろした揚羽は、チョコレートが置かれている平皿を持つと、ボクに渡してきた。


「はいっ、あげる! 六年分の本命チョコだからね」

「あ、ありがとう……」


 って、重たい。


 渡された瞬間、手にずっしりとした重みが伝わってきた。

 そっとローテーブルに置き直しながら、揚羽に訊ねる。


「これって、どうやって食べたらいいの?」

「んー、包丁で切り分けるとか? ……あ、やっぱりダメ!」

「ど、どうして」

「だって、ハート型のチョコなんだもん……」


 途端にしおらしくなった揚羽の言葉に、ボクは得心がいった。

 確かに、ハートを包丁で斬るのは見ていて気分のいいものではない。


 ……仕方ない。

 ボクはもう一度平皿を持つと、両手の親指でチョコがずれ落ちないように押さえながら一番上にある小サイズのチョコにかぶり付いた。


 普通のチョコとは違って高さもあるからか、上手く噛み切ることができずに表面を削り取るような感じになってしまう。

 なんとか口の中に含めたチョコを飲み込んでから一息ついて、ボクに期待の目を注ぐ揚羽に向けて口を開く。


「明治かな」

「第一声がそれ!? 合ってるけど!」

「冗談だよ。美味しいよ」


 苦笑しながら言うと、揚羽は「なんだか素直に喜べないなー」とむくれてから朗らかに笑った。

 それから儚い笑みを浮かべて、胸の前で手をギュッと握った。


「やっと、渡せた……っ」

「――――」


 自分に言い聞かせるように、小さな声で呟いた揚羽の言葉はボクの耳にハッキリと届いた。

 その万感の思いが込められた声音に、ボクはいたたまれなくなって再びチョコに齧り付いた。


「……美味しい」


 ボクが再度そう言うと、揚羽は目尻に涙を浮かべながら「でしょ!」と誇らしげに笑った。

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