13、五倍バージョンとおみくじ勝負

 ようやく本殿に辿り着き、前方一体が賽銭場所となっているところまで歩み寄ったボクたちは、それぞれ財布の中から小銭を取り出す。

 こういう時、いくら入れるのか悩むけれど、やはりここは五円玉だろうか。


 揚羽はどうしているのだろうと思って隣を窺うと、五十円玉を五枚取り出していた。


「それってどういう意味があるの?」

「ん? 五重にご縁がありますようにの五倍バージョンだよ~」

「五倍バージョン!?」


 これまでの人生でおよそ聞いたことのなかった言葉に、思わず反芻してしまう。

 すると揚羽は、にへらと少し恥ずかしそうに笑った。


「ハルくんを惚れさせるには、これぐらいしとかないとだから」

「……惚れないって」


 クリスマスの日からの態度でわかってはいたけれど、やはりまだ揚羽は諦めていないらしい。


 吐息を零しながら、ボクも財布の中から五十円玉を三枚取り出した。

 ……本当は五枚入れようと思ったけど、三枚しか入ってなかった。


 後ろにも人が並んでいるので、揚羽とせーので小銭を静かに投じた。

 きちんと入ったのを確認して、二礼二拍手をしてから目を瞑る。


 元々この祈りは個人的な欲望を願うものではなくて、儀式的なものだったそうだ。

 感謝や反省などをこの祈りの中でするらしいけれど、現代においてその意味は希薄化し、この一年で叶えたいことを神頼みする催しへと変わっている。


 ボクも、その時流に身を投じることにしている。


 願い事、願い事かぁ。

 今年一年で叶えたいこと……。


 去年は確か、可憐に好きになってもらえるような人間になれますようにって願ったんだっけ。

 その願いは、どうやら叶わなかったけれど。


 チラリと薄めを開けて、隣で祈っている揚羽を見る。


 ――揚羽が合格できますように。……それと、高校で素敵な人を見つけられますように。


 目を開けて、ゆっくりと一礼する。

 揚羽はまだ祈ってる途中らしく、脇に逸れて彼女が来るのを待つ。


 少し遅れて、人混みをかき分けながら揚羽がひょこりと顔を出した。


「ごめんね、ハルくん。待たせちゃった」

「別にいいけど、たくさん願いすぎると強欲な奴めって神様に怒られるかもよ?」

「大丈夫! あたし、今回は一つのことしか祈ってないから」

「なのにあんなに長かったの?」


 一つしか願い事をしていない割には時間がかかりすぎていたような気がする。

 ボクが疑念の混じった声で訊くと、揚羽はどこか誇るように言った。


「すっごく心を込めたからねっ。――今年こそは、ハルくんがあたしに振り向いてくれますようにって」

「……っ、そ、そっか」


 これは揚羽からのアピールというよりは、たぶん彼女が時々見せる無自覚の類いのものだろう。

 つまり、今この瞬間に恥ずかしいのはボクだけだ。

 だけど、それはその瞬間に限定される話で。

 自分の発言を客観的に認識するだけの時間が与えられたら、状況は変わる。


「……ぁ、いや、その」


 予想通り、顔を真っ赤にしてあたふたとし始める。

 もの凄く気まずい。


 空気を紛らわすために、ボクは冗談混じりに声を掛けることにした。


「それにしても、神様にお願いしたことがそれだけって珍しいね。受験生は普通、高校に受かりますようにとかお願いするものでしょ? もしかして、結構自信があったり?」

「あ」


 ボクが言うと、揚羽はただ一語呟くと顔面を蒼白にして固まった。


 もしかして忘れてただけだったとか。

 え、いやまさか。だって、受験生がそんな……。


「ちょっと今からお願いしてくる!」

「待って揚羽、落ち着いて!」


 勢いよく振り返り、人混みの中へ突撃しようとした揚羽の腕を慌てて掴む。


「揚羽の合格祈願はボクがしておいたから! 大丈夫だから!」

「え……?」


 ボクが言うと、先ほどまでの勢いはすっかり鳴りを潜めて困惑したようにその場で立ち尽くした。

 しかし、次第にその表情は明るくなり、瞳をキラキラと輝かせてずいと身を乗り出してきた。


「なになに、ハルくん! あたしのことについてお願いしてくれたのっ?」

「……やっぱりしなかった」

「嘘だー。あたしの合格祈願してくれたんでしょ? 他には! 他にはなにお願いしたの!」


 ……言わなければよかった。


 はしゃぎながらボクに絡んでくる揚羽を適当に躱しながら、ボクたちはおみくじコーナーへと移動する。


「むぅ、ハルくん強情すぎるよ」


 ボクがなにも言わなくなったことが不満なのか、隣では揚羽が唇を尖らせている。

 そのことに気付いていない風を装って、「ほら、おみくじやろうよ」と提案した。


 渋々といった様子で、巫女さんにお金を手渡しておみくじ筒を受け取る。

 ボクも一緒にお金を納めた。


「ハルくん、先にやりなよ」

「え、どうして」

「ふっふっふ、ハルくんが凶を引いたらあたしが引く確率が下がるでしょ?」

「それ、ボクが大吉引いたらどうするの」

「……はっ」


 その考えには思い至らなかったと、その場で硬直する揚羽。

 大丈夫かな、この受験生。


 結局揚羽が先に引くことになった。


「来い、大吉!」と呟きながら念入りにおみくじ筒をジャラジャラとした揚羽は、ようやく決心したようで逆さに向けた。

 一本の棒を手に取ってから、ボクに渡してくる。

 今年受験生でもないボクは、二度三度おみくじ筒を動かしてから棒を取り出した。


 巫女さんに渡すと、後ろにある木箱の中からそれぞれのおみくじを持ってきてくれた。

 受け取って見ようとすると、揚羽が「ちょっと待って!」と制止してきた。


「折角だし、せーので開こうよ。どっちの運勢が上か、勝負!」

「おみくじってそういうものだっけ」


 まあいいや、と。互いに見える位置におみくじを持っていく。

 やけに楽しそうな揚羽の「せーの」という言葉と共に、おみくじをバッと開いた。


「やった、大吉だ!」

「……凶なんだけど」


 嬉しそうにする揚羽に反して、ボクのおみくじには凶という文字が刻まれている。


 別に、おみくじの結果なんて全然気にしていない。

 凶は珍しいから、逆に運勢が上がるみたいな話があるし、凶より下はないから、今年一年上がり調子になるとかいう話もある。

 だから、全然気にしていない。


 ……本当に気にしていないけれど、後でこのおみくじはくくっておこう。


 ハルくんに勝ったー! とはしゃいでいる揚羽から見えないように、ザッとおみくじに目を通す。

 ……女難にことにきをつけなさい、か。

 おみくじは信じていないけれど、やっぱりこのおみくじはくくっておいた方がいいな。


     ◆


 おみくじをくくった後、家族や自分用にお守りを買ったボクたちは、神宮内で売られているぜんざいを食べることにした。

 この寒い中、ぜんざいを食べて温まろうという考え方は皆同じなのか、結構な列ができている。


「二人分貰ってくるから、暖かいところで待ってなよ」

「いいよ、悪いし。それに、こうしたら暖かいでしょ?」


 そう言って、少しだけ恥ずかしそうにしながら揚羽はわざわざ手袋を外してボクと手を繋いできた。

 冷たいけれど、奥から伝わってくる体温が暖かい。


 揚羽とこうして手を繋ぐことに慣れてきてしまっている自分が少しだけ怖いけれど、今更逃れられる気もしなかった。

 ギュッと握り返すと、ふにゃりとした笑顔でこちらを見上げてくる。


 顔が熱い。

 ……やっぱり、慣れていなかったみたいだ。


 早く自分たちの番が来てくれないかなと思ったその時、背後から声がかけられた。


「あれ? ハル?」

「……可憐」


 振り返ると、そこには見慣れた着物に身を包んだ可憐と、そして、その隣には茶髪の青年の姿があった。

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