12、手水舎と着物

 電車に揺られること二十分。

 全国でも有名な神宮に辿り着いた頃には、いよいよ年が変わろうかという頃合いだった。


 真夜中だというのに人は多く、この間のショッピングモールの比ではない。


 コートのポケットからスマホを取り出して、画面をつける。

 ディスプレイには23:58と表示されていた。


「そろそろだね。……揚羽?」


 手を繋いで隣に並んで歩く揚羽に声を掛けてみれば、彼女は道の脇の一点を捉えていた。


 まるで祭りの日みたいに道路沿いに立ち並ぶ屋台の数々。

 揚羽が見ているのはたこ焼き、フランクフルト、ベビーカステラ……って、食べ物ばっかじゃないか。


「もうお腹空いたの? 年越しそば、食べたでしょ?」

「っ、心外だよ! それじゃあまるであたしが食べ物にばっか目がいっていたみたいじゃん」

「そっか、ボクの勘違いだったか。じゃあ別に買わなくても大丈夫だね」

「……ハルくんのいけず」


 むっと唇を尖らせる揚羽。

 彼女の反応がわかりやすすぎて、思わず笑ってしまう。

 すると一層不機嫌になったので、「ごめんごめん」と謝った。


「参拝の邪魔になるから、帰りに買おう。あ、ほら。もうすぐ年が変わるよ」


 ディスプレイを揚羽の目の前に掲げながら言う。

 周りのざわめきも徐々に増してきた。


 カウントダウンが始まる。

 30、29,28……。


 ギュッと、不意に揚羽が手を強く握ってきた。

 そちらを見ると、揚羽がボクの顔を見上げて満面の笑みを浮かべている。


 15,14,13……。


 ボクも笑い返すと、揚羽の笑みは一層深くなった。


「10」


 十秒前になって、ボクたちもカウントダウンに参加する。

 周りにいるほとんどの人は会ったこともない人ばかりなのに、この瞬間ばかりは奇妙な一体感がある。


 丁度神宮の一番手前にある鳥居をくぐった。


「5、4」


 本殿まで続く、広く、長い参道の両脇に立ち並ぶ屋台の人たちも、手を止めてカウントダウンに参加している。


「3、2、1――」


 そして――年が明けた。

 地鳴りのような歓声が周囲から湧き上がる。


 ボクは揚羽に視線を向けて、口を開いた。


「あけましておめでとう。今年一年もよろしくね」

「あけましておめでとう、ハルくん! こちらこそ、よろしくっ! 色々とね!」

「なんだか含みを感じる言い方だけど、うん、よろしく」


 カウントダウンで少し鈍っていた足並みも、再び元に戻る。


 屋台の店主も活気づいた声を上げて、人で賑わう神宮の境内をより一層賑やかにする。

 その中を、ボクは揚羽と二人きりで進んだ。


     ◆


 手水舎はやはりといった感じか、例年通り人でごった返していた。

 結構な人が、並ぶのを諦めてそのまま本殿へと向かっている。


「どうする?」

「もちろん行くよっ。神様にお願いする前に心身を清めないと!」


 お願いする気満々なんだと思いながら、手水舎に並ぶ。


 暫く列に並び続けて、ようやく順番が来た。

 とはいえ、一人分しか空いていない。


 前に立っていたボクが先に柄杓を右手に持ち、作法に従って心身を清める。


「はい、揚羽」


 自分の番を終え、後ろで待っていた揚羽に譲る。


「ありがと」と小さく呟いて柄杓を手に取った揚羽だったが、その眉根が困ったように下がった。

 どうしたんだろうと思ったけれど、その理由はすぐにわかった。


「ほら」

「っ、あ、ありがと……」


 背中から手を回して、着物の両袖が濡れないように持ち上げておく。

 着物を普段から着ていたり、これまでに着た経験がある人はこういう時着物を濡らさない術を心得ているのかもしれないけれど、揚羽は恐らくその経験がないんだろう。


 何やら周りの視線が集まっているような気もするけれど、気にせず支えておく。


 とはいえ、中々この体勢はしんどい。

 それに何よりも、この位置だと普段は隠れている揚羽の首筋に否が応でも視線がいってしまって、ドギマギしてしまう。


 極力見ないように視線を逸らしていると、揚羽の顔がくいと前に傾いた。

 口元をすすいで、最後に柄杓の柄に水を流し、元の場所に伏せて置く。


「ほ、ほら」


 両袖から手を離し、ハンカチを取り出して揚羽に手渡す。

 それを揚羽は無言で俯きがちに受け取り、静かな所作で濡れた両手を拭いた。


「ハ、ハルくん」

「ん?」

「あたしね、ハルくんの優しいところ、……大好きだから」

「……ほら、邪魔になるから。行くよ」

「あっ……」


 ハンカチを返してきた揚羽の手を掴んで、本殿へ向かう列に合流する。

 ボクの手に引かれて歩く揚羽は、すっかり黙ってしまった。


 ……やっぱり、女の子の告白を誤魔化すのはダメだよな。


「そのさ、揚羽」


 声を掛けると、揚羽が顔を上げた。

 不安そうに揺れる瞳に向かって、ボクは頬を掻きながら言う。


「その、揚羽の気持ちが嬉しくないわけじゃないから」

「――――」


 ボクの言葉に、揚羽は瞠目したまま暫く表情を固まらせる。


 ……ダメだ、これ。すっごく恥ずかしい。

 ボクのがらに合ってないというか。


 だけど、揚羽はいつもこんな気持ちでボクに好意を伝えてくれてるんだろう。

 だったら、逃げちゃダメだ。

 その好意を正面から受け取れないのだとしても、誤魔化すのだけは。


 揚羽の表情が次第に変わっていく。

 口角が緩み、瞳が柔らかくなる。


 ボクの好きな、揚羽の表情へ。


「もしかして、あたしに惚れた?」

「惚れてない」

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