8、絶対に無くせないもの
「全く、乙女の純情をもて遊んだらいけないんだよっ」
あの後、必死の謝罪でどうにか機嫌を持ち直してくれた揚羽は、しかしまだ怒っているらしく、通路脇のベンチに腰を下ろしてソフトクリーム(ボクの奢り)の先を舐めながら言った。
「いや本当に、揚羽の言うとおりでございます」
身を縮めて、チラチラと揚羽の機嫌を覗いながら首肯する。
くそぅ。ペースを掴んだつもりがまたしても揚羽に言いようにされている気がする。
「それじゃあ、デートの続きしよっか」
いつの間にかソフトクリームを食べ終えた揚羽が勢いよく立ち上がる。
それに倣ってボクもベンチを立つと、「んっ」と揚羽が右手を差し出してくる。
「……はいはい」
ここで変に断ってまた機嫌を損ねるのもまずい。
大人しくその手を取ると、揚羽は嬉しそうに「えへっ」と笑った。
彼女に告白されたからだろうか。
揚羽のこういった仕草にドキリとしてしまう。
エスカレーターに乗って上の階に移動する。
見るからにお洒落な店が並ぶその区画を、揚羽に連れられて適当にぶらついて見て回る。
「あ、見て見てー。お餅売ってるよ~」
「そっか、もう一週間もしたら年が変わるんだね」
吹き抜けによって分断されている南側と北側を繋ぐ通路の端に積み上げられている小さな鏡餅を見て、いよいよ年の瀬なのだと実感する。
それにしても、クリスマスの日に鏡餅を売るのは結構珍しい気がする。
そういう戦略なのだろうか。
「ねー、ハルくん。初詣一緒に行こうね?」
「行きの電車の中で、三月までは勉強に専念するって約束しなかったっけ」
「は、初詣は別だよっ。受験なんだから、願掛けしとかないと」
ボクの指摘に慌てて反論してくる揚羽。
まあ確かに、勉強で忙しい受験生でもこの日ばかりは羽を伸ばす者の方が多いだろう。
「ボクは別に構わないけれど、揚羽はいいの? 友達とか、そういう誘いあるんじゃない」
「だいじょーぶだいじょーぶ。ハルくんと行く予定だったから全部断ってるもん」
「おい、ボクの意思はどこに行った」
ボクが揚羽と一緒に初詣に行く前提で予定が組み立てられていた。
ひどい。もしかしたらボクも友達と行くかもしれないじゃないか。
ボクが反射的に突っ込むと、揚羽がきょとんとした表情で覗き込んでくる。
「……え? だってハルくん、お姉ちゃんと一緒に初詣に行くの、毎年楽しみにしてたじゃん」
「――!」
み、見抜かれていた!?
相沢姉妹とボク、そして時々二人のお母さんと一緒にクリスマスパーティをするように、初詣も毎年同じ面子で行っていた。
揚羽は普段の私服のままだけれど、可憐は初詣の時は必ず着物を着ていた。
着物姿の可憐を見ることが、ボクの密かな楽しみであったのだけれど、まさか揚羽にバレていたとは。
……いや、まあ可憐に対するボクの好意を見抜かれていた時点で驚くことではないのかもしれないけれど。
「それでどうするの?」とでも言わんばかりに無邪気な表情でこちらを覗き込んでくる揚羽に、ボクは嘆息を交えながら空いている右手を軽く掲げた。
「わかったわかった、降参だよ。ただし、本当に初詣だけだからね。その後遊んだりとかはしないから」
「そんなに警戒しなくて大丈夫だって。あたしだって、遊びすぎて高校落ちちゃったらハルくんと同じ所に通えないんだからさ。そこは真面目にやるよ」
真剣な面持ちで、揚羽は言う。
ボクの左手を握る彼女の柔らかい手にギュッと力が籠もった。
強い意思を感じさせるその横顔を見つめながら、ボクは受かって欲しいなと心から思った。
◆
その後、ウィンドウショッピングを続けているうちにいい時間になり、クリスマスケーキを選ぼうかというところで一度トイレ休憩に入ることになった。
揚羽よりも先にトイレ前に戻ったボクは、手持ち無沙汰に周囲を見渡す。
「ん、あれって……」
吹き抜けを挟んで向こう側に構える店を、目を細めて見つめる。
見たところ雑貨店のような装いのその店の店頭には、セールと称して冬物の防寒具が売り出されている。
マフラーに、耳当てに、ニット帽に、……手袋。
そういえば、揚羽の奴手袋を無くしたって言っていたような。
見通しがいいここなら、揚羽が戻ってきてもすぐに見つけられる。
気が付くと、前へと歩き出していた。
吹き抜けを繋ぐ通路を抜けて、雑貨店へと近付く。
店の前には少しばかりの人だかりができていて、体が当たらないように気を付けながらセールコーナーに入る。
メンズ、レディース、キッズを問わず、様々な手袋が陳列されている。
揚羽に似合いそうな手袋も、いくつか並んでいる。
……まあ、塞ぎ込んでいたボクを外に連れ出してくれた恩もあるといえばあるし、今日はクリスマスイブだし。
並んでいる手袋の中の一つを手にとって、マジマジと見つめる。
紺と白の毛糸を主軸に編まれた手袋。
これは、可憐の方が似合うだろうな。
揚羽とは違って落ち着いている雰囲気の彼女にはよく合うはずだ。
ボクはそっと手袋を元の場所へ戻し、別のものを掴む。
ピンクを主体としたミトンの手袋。手首はモコモコとした白い毛が敷き詰められていて、その中からうさぎの耳のようなものがぴょこんと飛び出ている。
揚羽が着けているところを想像してみる。
……絶対に似合う。
もっと他の商品と比べてじっくりと選んだ方がいいのだろうけれど、揚羽もそろそろ戻ってくるだろう。
ボクはうさみみ手袋を手に持ったまま、レジへ並んだ。
「彼女さんへのプレゼントですか?」
店員のお姉さんがにこやかに微笑みながら訊いてきた。
ここで返答に詰まっても変な空気になるだけなので、「ええ、まあ」と曖昧に頷いておいた。
店を出てトイレの前へと向かうと、すでに戻っていた揚羽が捨てられた子犬のように不安げな面持ちで周囲を見渡していた。
「ごめん、揚羽。お待たせ」
「っ、ハルくん、どこに行ってたの。あたし、帰っちゃったのかと思って心配だったんだよっ」
「流石にそんなことしないって」
ボクが声を掛けるとパッと安堵の笑顔を浮かべ、そしてすぐに拗ねたように唇を尖らせる。
再度、「ごめんごめん」と謝りながら近付く。
「ん、ハルくん、何か買ってたの?」
ボクの手元にある紙袋に気付いた揚羽が訊いてくる。
その問いにボクは答えずに、紙袋をそっと揚羽に手渡した。
「? なに?」
「開けてみなよ」
「う、うん……」
戸惑いながら、揚羽はガサゴソと紙袋の中に手を入れて中の物を取り出した。
包装を丁寧に剥がすと、ピンク色の手袋が姿を出した。
「これって……」
取り出した手袋を呆気にとられたように見つめた揚羽は、即座に顔をぶんと上げてボクを見る。
その目は期待と歓喜に満ちていて、ボクの次の言葉を待っていた。
わかりやすい揚羽の反応に思わず苦笑しながら、ボクは小さく頷いた。
「プレゼント。揚羽、手袋無くしたって言ってたから。まあプレゼントと言っても安い奴だから、無くしても大丈夫」
ずぼらな彼女のことだ、きっと来年には無くしてしまっているだろう。
そこまで高いものではないからそうなっても気にしなくていいと、前もって言っておく。
すると、揚羽はぶんぶんと首を横に振った。
「無くさないよ! ……これは、絶対に無くさないもん」
「――――」
手袋をぎゅっと抱きしめて、揚羽は強い声音で言い放つ。
そして、顔を上げて満面の笑顔を浮かべた。
「ハルくん、ありがとう! 大切にするねっ」
「……うん」
もう一度、嬉しそうに手袋を胸に抱き寄せる揚羽を見て、ボクは買って良かったと心から思った。
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