5、デートの定義とその約束

「ハルくんと二人きりで出かけるのって、凄く久しぶりだよね?」


 この時間はまだ人が少ないのか、電車内は比較的空いていた。

 ボクたちが座席に腰を下ろして一息吐くと、揚羽が突然嬉しそうに訊いてきた。


「そうだね。……いつもは、可憐も一緒に居るから」


 揚羽の問いに、ボクは自分の中にある記憶を巡ってみる。


 初詣、それぞれの誕生日、海、盆休み、遊園地、クリスマス。

 ボクが揚羽と一緒に出かけるときは必ずと言っていいほど可憐がついてきた。

 その逆も然りで、ボクの隣には相沢姉妹のどちらかだけがいるということはほとんどなくて、必ず二人共がいた。


 振り返ってみると、少し不思議な話ではある。

 歳が同じ可憐ならばともかく、揚羽までもが自分たちと一緒に遊んでいるというのは。


 ボクが抱いた疑問を感じ取ったのか、揚羽は悪戯っぽく笑うと得意げに言った。


「大好きなハルくんをお姉ちゃんに独占させるのが悔しかったからね。ハルくんからしたら、あたしはお邪魔だったんだろうけど」


 またしても。揚羽は前半を嬉しそうに、恥ずかしそうに。そして後半を申し訳なさそうに語る。

 しゅんと垂れた睫毛。体を小さくしている揚羽を見て、ボクは気付けば「いや」と口を開いていた。


「確かにボクは可憐のことが好きだったけど、それとこれとは別の話だよ。ボクは揚羽とも遊べて楽しかったよ?」

「……そういうところ、本当ずるい」

「え、なにが」


 揚羽はポツリと呟くと、困惑するボクからそっぽを向いて車窓の外を流れる景色に視線を向ける。


 田舎とも都会ともとれないボクたちが暮らす街、柏浜町は、自然豊かな場所だ。

 内陸側は山や森、田畑が広がり、沿岸には綺麗な海が広がっている。


 生活をしている上での不便はなく、最低限以上の娯楽はある。

 電車を使えば大抵の遊びはできる。


 他の街で暮らしたことはないからわからないけれど、ボクはこの街が好きだ。


 木々と、立ち並ぶ家々、そしてその遠くに海を収める車窓の景色が流れ、直後真っ暗になる。

 耳がキーンとする。

 トンネルに入り景色が見えなくなったからか、揚羽は車窓から視線を外すと体勢を正した。


「最後にハルくんと二人っきりでお出かけしたの、いつだったっけ」

「確か、可憐の誕生日プレゼントを一緒に選ぼうって出かけたのが最後だから……、四ヶ月前?」

「お、覚えてたんだ」

「そりゃあ覚えてるよ。プレゼントを買うだけのつもりが、帰りに強引に映画に誘われたんだから」

「っ、しょ、しょうがないでしょ! ハルくんと二人でお出かけできて嬉しかったんだもん!」

「う、うん……」


 直接的に好意を示されると、やはり恥ずかしい。

 ボクは曖昧な返事をしながら天井で揺れる広告に視線を彷徨わせた。


 窓の外が明るくなる。

 トンネルを抜けた。


 車内のアナウンスが次の駅に到着することを告げてくる。

 減速する電車。その反動で、揚羽の体が肩にもたれかかってくる。


 チラッと視線を落とすと、揚羽が口をきゅっと引き結んでいた。

 やがて電車は完全に停車し、ドアが開くと同時に数人の乗客が乗り降りしてくる。

 再び電車が動き出すと、揚羽は俯きがちに呟いた。


「ね、ねえハルくん。今日って、デート……だよね?」

「……異性と日時を決めて会うことをデートと言うのなら、たぶん、そうなんだと思う」

「むー、なにそれー」


 ボクの逃げ腰の返事に揚羽は不満げに頬を膨らませると、ふっと表情を緩めてこちらを見上げてきた。

 その視線を感じてボクも揚羽を見返す。


 彼女の頬は僅かに赤らんでいて、ボクは不覚にもドキリとした。


「今日が終わっても、またデートしてくれる……?」


 座高の差から、上目遣いに。僅かに潤んだ瞳は寂しげに、不安そうに揺れている。

 聞き慣れているはずの甘い声はいつもと違った響きを持ってボクの鼓膜を静かに震わす。


 ……何度も自分に言い聞かせるように繰り返すけれど、ボクは可憐のことが好きだ。

 彼女に彼氏ができたことを知った今でさえも。


 そんなボクが、彼女の好意に応えられるとは思えない。

 絶対に惚れさせてみせると彼女は言ったけれど、その言葉に甘えて彼女を突き放さず傍に留めておくのは、非情なことではないか。


 そう、思うのだけれど……。


「……ッ」


 真剣な眼差しで自分を見つめてくる揚羽。

 自分なんかに振られた今でも、変わらず好意を向けてくる彼女。


 ボクは一度揚羽から視線を切ると、再び車内の広告を見上げた。

 この時期らしい、温泉旅行の広告や、初日の出を車内で見ようといったキャンペーンのものまである。

 隣で身動ぎをする気配。


 ボクは再び揚羽に視線を戻すと、一度小さく息を吐き出してから答えた。


「もちろん、いいよ」

「ほ、本当!」


 パッと彼女の顔に花が咲く。

 自分の返事が彼女にとって残酷なものだと思いながらも、揚羽のその顔を見ていると自然に頬が緩んでしまう。


 可愛い、と思ってしまった。

 そのことが少し恥ずかしくなったボクは、その羞恥を紛らわすように口を開く。


「ただし、受験が終わったらね」

「うっ」

「本当なら、今日だって受験生は普通勉強しないといけないんだよ?」

「い、息抜きは大切だから……」


 顔を引きつらせて明後日の方向を見る揚羽。

 しかし、すぐに何か思いついたのか勢いよく顔を回して再度ボクを見上げてくる。


「じゃ、じゃあ! 受験が終わったらデートしようよっ。それまで我慢するから!」

「揚羽が受験終わるのって、三月でしょ?」

「三月まで待つからぁ!」


 子どものように説得してくる揚羽に、ボクは「わかったよ」と頷く。


「合格したら、お祝いにどこかに遊びに行こう。それなら、今日と違ってボクも色々と考えておけるから」

「や、やったぁ! 約束だからね!」

「し、しーっ」


 嬉しさのあまりか声を張り上げてしまった揚羽を慌てて制する。

 ここは公共機関の中だ。人が少ないとはいえ静かにしないと。


 慌てて口を押さえて縮こまった揚羽は、しかし小さく「デート、デート」と繰り返し呟くと、満面の笑顔を浮かべて顔を上げた。


「じゃあ、今日はあたしがエスコートしてあげるっ」

「うん、よろしくね」


 揚羽の言葉に返しながら、ボクはふと気付いてはいけないことに思い至ってしまった。

 ……傍から見れば、これはカップルの会話じゃないかと。


「? どうかした?」


 様子がおかしいことに気付いたのか、揚羽が首を傾げる。

 ボクは慌てて首を振ると、「な、なんでもないよ」と若干上擦った声を発した。

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