涙の夜

暗闇の中に白いドアがただ一つ。まるで浮かび上がるかのごとく淡く光を放つそれの周りに壁はなく扉だけがそこに立っていた。怪しいことこの上のないその戸の前に迷いなく雄大が立つ。

目を閉じて雄大は扉に触れた。冷たい木の扉。この向こうには何があるのだろうか。墨を垂らしたような光のないここからでは何も見えやしない。雄大は自嘲した。見えたところで何をするとも思えない。なら、進んでしまえばいい。ドアノブを回して開けるだけだ。けれど何故だろう。ドアノブにかけた手の甲に温かい水が落ちた。手が無意識に水の居所を遡る。手は目に行き着いた。涙。雄大は盛大にせせら笑いたくなった。不意に背が暖かくなる。仄かに明るさも感じて雄大は思わず振り向いた。橙の夕日のような光に包まれた六人の子供の姿。パントマイムを見ているような心地がした。楽しそうに話しているような時も、籠目で遊んでいる時も、一音たりとも聞こえてこない。それはひどく奇妙で不思議な感覚だった。やがて暖かな光は冷たい月光に変わる。小さな子供の雄大を残して五人は大きくなり、突如現れた白い扉に戸惑い、躊躇いつつも吸い込まれるように消えた。

「いやや。いやや。置いていかんで」

そう叫んだのが自分だったのか、それとも幼い子供の自分だったのか、雄大には分からなかった。音のないはずの空間でその声は情けないほど掠れて湿った音をしていた。

泣いていても始まらないのだ。この戸を開けなければいけない。だというのに雄大の手は小刻みに震え、眼からは水が滴り落ちる。分かっていたはずだった。いつか終わりが来ることを。なのに何故だろうか。いつまでも、それこそ永遠にずっと続いていくものだと思っていた自分がいた。だからこそ、あの関係を崩したくなくて、弱みなんか見せたくなくて、強がって笑っていたのだ。苦しい時も辛い時も、仮面をつけたように笑っていたのがなんのためか。楽しかったというのが嘘ではないのだけれど、それが十割全てな訳ではなくて。泣きたくても、キレたくても、八つ当たりしたくても。我慢して、我慢して、我慢して……。みんなの関係を真綿で包むように守ってきたのが馬鹿みたいだ。感情吐き出して、ぶつかって、何もかもを理解できるほどに接していれば何か変わっていたのか? 答えは否。

進まなくてはならない。この戸を開けなければならない。雄大は強く拳を握った。進まなくては。変わらなくては。血が滲みそうなほど下唇を噛む。みんなが変わっていく。終わりはきた。瞳を固くつむったままドアノブに手をかける。終焉が側まで迫っている。止まったままじゃ変わらない。――変われない。

「――――」

声にもならぬ絶叫とともに戸を開け放った。

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