残り三日

朝焼けが霜を照らす寒々しい朝。登校時間までだいぶある教室で、結希は一人物思いにふけっていた。

「おはよう。いつもこんな早いんか?」

雷牙が飄々と戸を開け、あたかも当然のように結希のそばの机に座った。

「ん……、今日はたまたま。前の習慣のまんま起きとってさ」

「前ゆうと、走っとったころんことか。…………そういや、なして走るんやめたんや? あんな好きやったんに」

この学校に部活なんてものはないから、自主的に毎朝ここら辺の部落をぐるっと走っていたことを雷牙はよく知っている。持ち前の空気の読めなさ加減を発揮して、暗い面持ちをしている結希に雷牙はなんてことない事のように尋ねた。否、雷牙は結希がこのことに触れて欲しくないと思っていることなどとおに分かっている。だが、空気の読めないフリでもしていないとこれは聞きづらかった。

「え………。……てかあんたはどうして今日こんな早いん」

「はぐらかさんといて。……俺んこと見て喋れや」

雷牙の真摯な瞳が結希を射貫く。結希は思わずといったように視線を背けた。

「あんた見たらオールバックのあのうける格好思い出してしまうけん、嫌」

「…………。笑っていいけん、こっち見て」

はい向いた、これでいいんでしょ、と言いたげに勢いよく振り向いた結希は、思った以上に雷牙の顔が近くにあって驚いた。

「じゃ、答えて。どうして走るんやめたん」

結希は俯いて顔を隠した。何故だか、雷牙に見せたくないと思った。

「それは………………。……やっぱ話しとうなか」

口ごもりながら紡がれる声はどこか涙の色を含んでいて。雷牙はそれ以上追求できなくなってしまった。

「結希、泣いとるん?」

「は? そんなわけなかろ」

俯いたまま反論する結希。

「鼻声で言われても説得力なんかあるわけないやん。ほい、使いや」

雷牙は結希にティッシュを差し出したが結希はそれを突っぱねた。

「こういう時って普通、俺の胸で泣けとかいうとこちゃう?」

「そんなくさいセリフ言うやつと思われとったとは驚きやが……」

結希へ向けて居直り、一つ大きく呼吸する。

「じゃあ、ハンカチにしていいから」

こてん、と結希の頭を自分の肩口へ倒す雷牙。結希は雷牙に触れるか触れないかのところで、蜘蛛のように飛び退った。

「きしょいわっ」

「そんな遠慮せんと」

逃げる結希に追いかける雷牙(因みに結希はかなり本気で、雷牙はニヨニヨと笑いながら)。座ったままの姿勢で繰り広げられるその攻防はまるで恋人同士がじゃれているようにも見え。

なんの前触れもなく耳障りな音を立てて教室の戸が開く。戸を開けた雄大は軽く三拍ほど硬直し、顔を真っ赤にさせて、ぎっぎっぎと擬音が聞こえるような不自然な動きで向きを変えると走り出した。

「…………なんかごめんッ」

「雄大!」

「誤解やーーーー!」





橙で世界が染まる時分に本日も件の神社でお遊び中。どういう経緯か、桃太郎の大合唱である。ポピュラーで絵本とかにもよく載っている三番までを通り過ぎ、あーちゃんだけが溌剌と四番を歌った。

「潰してしまえ、鬼ヶ島〜」

みんなギョッとしてあーちゃんを見やる。ネタの一環として全員四番以降の歌詞も知っているが、小さい子がいるということで割愛しようとしていたからだ。当の本人が歌いだすとはよもや思っていない。

「そっからはちょっとちっちゃい子が歌うんには適さんと思うんやけど……」

「同感」

引きつった笑顔の香に雄大も賛同した。

「お兄ちゃんたちが教えてくれたんじゃない。忘れたの?」

あーちゃんは五番も快活に歌う。桃太郎の歌は作られた時代の背景ゆえか歌詞の内容が残酷且つ桃太郎が酷すぎる。それを小さい子が楽しげに歌うというのはかなりシュールに見えるものがあっても致し方ない。

「……てか俺ら教えたっけ?」

「そんなはずないんやけど……」

雷牙と結希にそんな覚えはない。あーちゃんはついに六番まで歌いきった。

「最終的に桃太郎は猿と犬と雉に宝を乗せた車を引かせて一人高笑いで帰る、と。ただの悪党にしか見えんのは僕だけかいな?」

「大丈夫や。私にもしっかり悪党に見えるけん」

これが情報リテラシーか、と雄大は当たらずも遠からずなことを考えていた。したり顔をした叡司がずい、とあーちゃんに近づく。

「そういや桃太郎のその後の話っていうのがあってん」

「桃太郎の元に綺麗な鬼のお嫁さんが来て、お嫁さんは本当はタラし込んでグサってやる予定だったけど桃太郎のこと好きになっちゃって、だけど実家からは殺せって命令されてて、板挟みになって身投げしちゃう話でしょう?」

胸を張ってあーちゃんはドヤぁあ、という顔をした。叡司を含めた六人は、反応のしようもない微妙な表情だが。

「なんでこんなディープな話知っとるとや……」

げんなりとした叡司。少女が鈴のように笑い出したかと思うと、雄大があらぬ方向を向いてわざとらしい笑い声を出した。女子三人が湿った目で雄大を見る。

「ゆ・う・だ・い!」

「えー。て、あ、いたいたいたいたいっ。耳引っ張らんといて〜。いや、耳じゃなかったらいいってことでもないからっ」

三人は雄大の耳やら二の腕やら摘んで引っ張った。聞く耳なんぞ持っちゃいない。

「いや、だから痛いって。あー、もう時間だーぼくもう帰らないとー」

わざとらしすぎる棒読みで帰る宣言をした雄大は三人の腕を振り払うとスタコラサッサと鳥居をくぐり、階段を駆け下りて行った。

「わざとすぎるやろ」

「私も帰るわ」

雄大が去った方をじっと見ていた香がそう呟いたことで、本日はお開きとなった。

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