叡司
夕闇にそびえ立つ家が牢獄か何かのように思えた。窓から光が漏れている部屋はどこにもなく、まるで家が死んでいるよう。いや、死んでいればまだましだったのかもしれない。
「ただいま帰りました」
この一言で、叡司は叡司でなくなる。
「お帰りなさい、拓也。学校はどうだった?」
十分美人の部類に入る母が、料理中だったのだろう前掛け姿で叡司を迎えた。
「充実した日でしたよ。卒業近いですからね、教室の片付けをしたり、色々と」
「そう。拓也はあの中では唯一の転校生、だものね。いじめられてない? あの人たち結束が強そうだし……」
叡司は内心、苦虫を噛み潰したような表情をした。あくまで内心。表には出さない。
「大丈夫ですよ、お母様。皆さんとても良い方々ですし、私のことは、叡司と同じように扱って下さるんです。それにもう転校して三年ですよ?」
母が胡乱げな顔をする。
「叡司と同じようにって……。……そうねぇ、もう三年も経つものねぇ」
「そうですよ。では、荷物を置いてきますね」
一昨年。兄が逝った。事故だった。全寮制の学校に通っていた兄の、久方の帰省日。家に帰る途中、ダンプカーに轢かれて。即死だったそうだ。運転手は未だ捕まっていない。
兄と自分は年子なのだとその日まで信じて疑わなかった。でもそれは違った。
棺に横たわる兄を前に母は泣き崩れた。化粧が原型を留めなくなっても、髪が乱れても、全く気にもしないで。母が母でないような感じがした。
「拓也ぁ、拓也ぁあ! どうして、どうしてっ……どうして私の子が……どうしてっ……どうしてあの女の子供じゃ……叡司じゃないのよぉおおおおお! 拓也を返して! 返してぇえええ」
その叫びで全てを悟った。自分はこの人の子供じゃないということ。自分の存在がこの人を苦しめていたということ。そして、死ぬべきは自分であったこと。
悲しいと、思ったかもしれない。でも、今までの少しづつの違和感と、贔屓されていた兄への羨ましさが、どこかで符合してしまった。どうせ叡司は愛されていないのだから。叡司は必要でないのだから。
それなら、殺して仕舞えばいい。
肩を落とす母に近づき、出来るだけ低い声を出した。もう変声期を迎えていた拓也は叡司のそれより幾分か低いものだったから。
「気を落とさないでください、母上。叡司のことは残念でしたが……」
紛れもなく兄と同じ声で。顔はもともと瓜二つだった。
「僕がそばにいますから、ね」
その瞬間から叡司は拓也になったーー。
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