残り五日

朝。木々がさざめき、鳥は歌う。午前八時。校門前に六人集まった。

ボサボサの髪に眠け眼のとろんとした目の雄大が今にも寝そうだ。

「ゆっちゃんはいっっつも朝弱いもんね〜」

「遠足んときもよお遅刻しとって、こってり怒られよったけえのお」

思い出話に花が咲く。ずっと一緒にいたのにあと数日でお別れだから仕方もない。

「ちょ、みんななんか持ってきた?」

「テレレレッテレー! 小学生の時の夏休みの絵日記〜」

勢いよく結希が日記を取り出した。某青いタヌキのロボットが道具を出すときの効果音がよく似合う。

「右に同じく」

「そのまた右に同じく」

「前に同じーく」

「俺たちの歩んできた軌跡、すなわち…………おうっ、あ、はい、絵日記です!」

結希の左にいた叡司、雄大と後ろにいた綾乃のが続く。キメ顔をしやがった雷牙は結希に叩かれ、凄まれていた。ご愁傷様というべきか自業自得というべきか悩む、と香の顔にありありと書かれている。

「そして、私も絵日記。……全員同じかいっ」

「結希の絵、全部棒人間やんけ」

香のツッコミを軽く流し、雷牙は結希の絵日記を覗き込んでニヨニヨと笑った。結希も負けじと雷牙の日記を覗き込み、吹き出した。

「ライの、頭足人って、アッハッハ、ないわー」

雷牙の背中をバシバシと叩きながら大笑いしている。頭足人。それは家庭科の保育で出てくる用語だ。幼児が描く、頭に手足が生えた人物画。習った頃は朝登校して夕方下校するまでに、後ろの黒板で頭足人が現れては消え現れては消え、という事件が多発していた。国語の蝶を潰す話の「そうか、そうか、つまり君はそんなやつだったんだな」と同等に張り合うほど流行った。

「ていうか誰のにも行き道書いてないな〜」

「ちっこい頃の日記やけえの。仕方ない」

香の嘆きに叡司が諦めを漏らすが、仕方がないですむのならはじめからこんなもの持ち寄ったりしない。

「仕方ない……て言ったって、さすがに雄大の記憶に頼りとおない。だって雄大めちゃくちゃ方向音痴なんやもん! 行き慣れた道でさえ迷うこいつについてったら最悪全員で遭難すっぞ」

雄大を除く全員が大きく頷いた。雄大について行くなんて、下手したら本当に笑えない。

「ひどいな〜。そこまでじゃないよ。僕だってさすがに……」

「この間通学路で反対側に歩き出そうとしていたのはだあれ?」

いつもの緩慢な動きからしたら褒めてあげたくなるようなほど素早い動きで雄大が視線を逸らした。心当たり、どころでなく身に覚えがありまくりだったせいだろう。

「俺のに行き方書いてあった」

六人の中で一番空気の読めない男、雷牙。今の流れをどう理解しているのか。空気が読めないのか、空気を読まないのか、はっきりしてほしいと結希は思った。

「……問題はこの暗号をどう解読するかや」

雷牙の字はミミズがのたくったような字と形容されるものよりも酷い。最早言語かどうかも怪しいレベルだ。雷牙自身読めていないと公言している。テストの時だけどうやって字を綺麗にするのか不思議だ。

「失礼な。行き道、っつう文字は読めたんや。他のやって読めるはずやき」

「じゃ、読んでみいよ」

不可能だろ。誰もの目がそう言っていた。

「き……し………く……も………の………える…ま………さ……?」

「騎士雲のエルマさん?」

なんなんだ、某児童書の龍のような、はたまた何年か前の大河ドラマみたいなネーミングは。呆れがてら叡司が日記をひったくる。

「きのしたをくぐりもみのきのみえるやまをくだるさき。なんや、普通に読めるやん」

否、普通は読めない。

「流石は叡司!」

「雷牙専用読解機!」

叡司は褒め称える(?)言葉の数々を笑顔で受けた。でもさあ、と綾乃がおずおずと口を出す。

「そんなとこ、しらみつぶしに探したらキリないとちゃう?」

もっともな意見。山がどうの木がどうのといったところで、ここら辺では手がかりになりもしない。そこら一体山だ。

「……うち、そこ知っとるわ」

「ほんとか」

「うちがいつも走っとる道にあるとって。そう遠くない。多分小学生でもちょっと遊びにいける距離や」

香は結希が言い淀んだ理由に思い当たった。結希は走るのがとても好きで、いつもいつも早朝走り込みをしていたが、この頃は親に止められてしていない。

「それだ!」

またも雷牙は空気を読めていない。

「そんじゃあ、しゅっぱーつ‼︎」

雷牙に便乗しやがり、先陣切って歩き出そうとする雄大を引き止めつつ、香は心の中で謝りすまなそうな顔をした。

「結希、先頭お願い」

結希は静かに頷いた。



「確かに、なんか懐かしい感じがするな」

木漏れ日が神々しく降り注ぎ、薄っすらと潮の香りのする何処か神秘的な境内に足を踏み入れて早々、叡司が呟いた。

思っていたよりも境内が広い。たくさんの祠が点在していて、まるで祠の林のようだ。六人が此処を忘れていたように、近隣の人が参ることも少なくなっていたのだろう。いくつか壊れているものも見受けられた。掃除もあまりされていないようで、本殿の板の間は踏んだらすぐにでも抜けそうである。

「ほんと広〜い。……あれ、なんか聞こえる」

波の音に甲高い子供の声がのった。楽しげな鞠つき唄が響く。

此処らにはもう子供はいない。香に妹はいるが、二つしか違わず、こんなに幼い声をしているはずがないのだ。そもそも彼女が外に出て遊んでいるはずがない。皆怪訝そうな顔をした。

「ちょっといってみようや」

常ならおどけたような声しか出さない雷牙の、いつになく真剣な声色。誰も異議を唱えることなく応じた。

寺の裏へ回れば、ペテンペテンと少々まぬけなボールをつく音が聞こえた。そのボールをついているのは七、八才ほどの少女。とても楽しそうに一人、唄を歌っている。

「誰かんとこの孫かいな」

そうであるはずだ、そうでなくてはおかしい、とどこか希望的観測も混じっていた。

「それならありうる……?」

だが、誰かの孫というわけではないことはわかっていた。伊達にご近所づきあいをしてない。親類縁者全員、となると知り得ないが、孫くらいなら写真とかだって見せられている。葬式でもないのに遠い親戚が来るとかそんなことがあるのなら誰か一人くらいは聞いていたとしてもおかしくない。観光客ならこんなところに来るはずがない。

ボールが少女の手から逸れた。あっ、と少女が顔を上げやっと少女の瞳が六人を捉えた。香がボールを受け止め、少女に差し出す。

「どっからきたと?」

少女は含み笑いをした。何かを企む様に。

「なーいしょ」

不可解な少女とはいえども、此処らでは珍しい子供。六人は優しく笑って自己紹介した。雷牙の様付けで呼んでもいい、発言に結希が土搗きを入れたのは不可抗力である。

「私の名前は……なぁいしょ! へへ」

秘密が好きなお年頃なのか、と香は微笑ましく思った。

「呼び名がないのは不便やけん、じゃあ名無しの権兵衛ちゃんで」

一気に不機嫌そうに頬を膨らませる少女。まるで河豚の様である。もとよりそんな名で呼ぶつもりなどないであろうに香は勿体つけてしょうがないな、と続けた。

「代案、あーちゃんで」

「なんで、あーちゃん?」

「や、ただ単に五十音の一番最初の音ってだけなんやけど」

結希の至極まっとうな問いに香が答える。適当だな、とかなんとかボソッと叡司が言ったのを香が睨んだ。

「あーちゃん、いい名前やん。じゃ、あーちゃんってことで」

雄大は何がおかしいのか、笑っている。香の顔が面白いからだろうと雷牙は思った。

「決まったところで遊ぼうや! 影踏みしよ!」

結希を筆頭に五人と少女は呆れながらも雷牙の提案に賛同した。

「よっしゃ決まり!鬼、叡司な」

「なんで⁉︎」

「わーい。にっげろー」

方々に逃げて行く中、叡司の目の前を少女がよぎった。少女の短く揃えられた明るい色の髪に、叡司は視線をそらすことができなかった。




「あー。よう遊んだのう。こんなん久しぶりやわ」

茜色の日を浴びて褐色の肌の雷牙が振り向いた。

「やね。みんなで遊ぶこともへっとったし、特に今年はみんな受験勉強で全くやったもんね」

綾乃のふわふわの髪が透けたように金色に見える。

「ひゃー。明日筋肉痛なりそー。この頃走ってなかったし」

「お前やったら明後日やろ。……てか、走っとらんかったんか? あんなに走るの好きやったんに」

結希は視線を伏せた。香は「みんなが触れずにいたことをズケズケと聴きやがって。雷牙のこの野郎」と因縁込めた目で雷牙を睨んだ。

「……楽しかったね」

楽しかったと言っているようには思えない雄大の声に、香は雷牙を睨むのをやめて雄大へ視線を移した。そして、雄大の顔色の悪さにギョッとする。

「……どうしたん、雄大」

「ん。なんでもなかよ。叡司もやろ」

何事もなかったかのような様子で叡司へいきなり話を振る雄大。だが、香の不安そうな顔は晴れなかった。

「あ、ああ」

「歯切れ悪っ」

言い篭った叡司に鋭く結希が突っ込む。男子がボケて女子が突っ込むのはこの六人の中でのいつもの光景だ。因みにいじられるのも男子。

「いや、楽しかったって」

「ふーん。あ、この辺で。バイバイ!」

「私もだ」

いつのまにかみんなの帰路の分岐点。じゃあね、また明日、と散り散りに帰っていく。叡司は一人名残惜しそうにとどまっていた。

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