残り六日


「あー、もうたりーなーっ。どんだけ物あるとや、こん部屋」

雷牙が耐えきれなくなったのか、手にしていたカレンダーを投げつけた。九年使っていたこの教室は、流石にもので溢れかえり、細々としたものが次から次に出てくる。

「仕方なかろ。私たちが九年間もお世話になった教室なんやけん」

雷牙をなだめつつ、溜息がてらに香はカレンダーを拾った。カレンダーにも埃がみっちりと張り付いていた。どれだけ掃除していなかったのか首を傾げたくなるほどだ。

「あっ。これ懐かしかー。みんなで作ったアルバムやー」

思い出ボックス、もといガラクタ置き場と化していた段ボールを漁っていた綾乃が嬉々とした声を上げる。綾乃のふわっとした髪に所々埃がついてしまっていたのを叡司がさりげなく払った。

「おっ。返されてないなーっと思っとったらこんなとこにあったんやね」

「みんな幼か。ちっこい上にぷっくぷくやな。……ん? 俺らん中に栗毛のやつっておったがや?」

ボーイッシュな結希のハスキーボイスに続いて、叡司の低音な疑問。何トンチンカンなことを言っているのか。

「え? そげん人おらんよ?」

「みーんな真っ黒やん。雷牙だってちょっとグレとったくせに髪染めたりはせんかったとやけん」

黒髪をオールバックにして、腰パンにして、学ランの前を全開にしていた雷牙はまるきり昭和のヤンキーだった。厨二がおかしな方向に……と引きつつ苦笑いしたのも記憶に新しい。

「だ、だよなー。俺ら、初等部入学からずっと六人一緒やもんな……」

「今更なに言っとるとや。お、これ体育祭のボンボンやね? 体育祭って言えるようなんって小学校始めくらいやったけん。それ以降は、人数少なすぎて体育祭って感じやなかったし」

雷牙は埃まみれで原形の見えなかった塊を振り、埃をもろに吸ったのかむせ返って挙句にくしゃみを連発した。くしゃみにより埃が舞って、埃によりくしゃみをして。エンドレス。呆れた結希がティッシュを差し出していた。

「そうやったね。先輩とか、学年飛び飛びやったし、六人も同じ学年だったのが奇跡みたいで誇らしかったわ。だってさ、うちらだけ一学年で一つの教室使っとったとよ」

「やね〜。去年も一昨年も卒業式なかったことやし」

お陰で六人は卒業生を送る、ということを初等部の時くらいしかしていない。

今までずっと手を止めず作業していた手を香がはたと止めた。

「そういや、雄大まだ帰って来んね」

雄大はゴミ捨てに行ったままだ。焼却炉はさほど遠くはないが、やはり雄大に行かせるべきではなかったか。叡司は苦笑した。

「確かに。どこまでゴミ捨てに行っとるとやろ」

まさか学校の外まで行ってるの⁉︎ いや、よもや雄大なら……と考えた綾乃は悪くない。悪いのは日頃の行いの悪い雄大だ。

日が大きく傾いて、黒板が赤みがかって見えた。

「あいつのことやけん途中でカラスにでも襲われて、何か奪われた挙句追っかけた先で捨て猫拾っててもうちは驚かん」

「それな」

叡司と雷牙の声がそろう。あいつはしかねない。誰もが納得した。

「不幸体質の上、庇護対象に巡り会いやすいけんなあ、あいつは」

呆れながらのため息交じりの声。全員が肩を落とした時、立て付けの悪い戸を開けてあいつの呑気な声が響いた。

「ただいま〜」

「ああ、おかえり、ってその格好どうしたと⁉︎」

頬や腕には引っかき傷のようなものが無数に走り、頭は蜘蛛の巣と埃と葉っぱとで掃除後の箒みたいなことになっていた。制服のあっちらこっちらには小枝やらなんやらぶら下げて。

「んもう、どこ歩いたとよ。まるで…………?」

まるで…………なんだったのだろう。つかめそうだったものがするりと香の思考の網から逃げて行った。

「……まあ良いわ。とにかく、どこをどうしたらこんなことなるとや! ほら、ちゃんとはらい」

香がおかんの如く雄大に世話を焼けば、結希と綾乃が笑い出した。堪えられなかったようだ。

「ゆっちゃんらしいね」

「やね、香も」

今では雄大の方がもちろん背は高いのだが、昔は香が高かった。ちょっと胸を張って、「もう、ほんと雄大は」なんて言っていた頃のままだ。あの頃はそうだよね、とかなんとか言ったような気がするけれど、今、あの頃の香が目の前でそんなことを言ったら、可愛いっ、と抱きしめてしまいそうだと、結希はほんのり頬を高揚させた。

「言えてる。昔から、ゆっちゃんの世話焼くんは香やったもんね」

「人目も憚らんといちゃついて、公害もいいとこやで」

香の顔が一瞬にして林檎になったのは誰の目にも明らかだ。

「イチャついてなんかないし!」

香のイチャついてない発言に雄大は不服そうだ。文句を言いだしそうなふてくされ具合。

「くははっ。ゆっちゃんはいちゃついとるつもりやったんか〜」

青い春だ。独り身の雷牙は何処か遠くを見つめた。

「ちゃかさんで!」

「とりあえずさ、どうしてそうなったと?」

雄大の話はうんざりするほど長かったので、要約すると、カラスにゴミを取られて、追いかけた先で捨て猫を見つけて、拾おうとしたら逃げられたのでついて行ってみたところ、崖に出た、と。

「崖って……お前海まで行っとったと⁉︎」

「通りで遅いわけや。てか結希の予感的中やな」

そういえば、そうだった。結希がそんなことを言っていた。

「でさ、懐かしいとこ見つけたとって」

「あんな遠いとこに懐かしい場所?」

崖というと、山を降りて街に行くのと同じくらい遠い。何せ反対側なのだ。一度頂上まで行くか、迂回してしか行かれない。

「覚えとらんか? よお遊んだやん、小一やったか小二の頃」

そんな小さい時に、あんな遠くまで行くはずがない。何処かと間違えているのではなかろうか。皆の間に沈黙が走った。ややあって雷牙がハッと何かを思い出したような顔をした。

「……………もしかして寄り神様んとこか?」

「そうそう、そこや! みんなは覚えとらんの?」

寄り神様。確かえべっさんだっただろうか。崖の中腹にポツンとある社。あれがえべっさんだと教えられた。石が積んであったり、生き物の慰霊碑やったり、いろんなものがあそこにはあった。海から流れ着いたものを祀ってあるところで、噂では、時に人も流れてくるという。

「あこに遊べるとこなんてあったっけ? 境内結構狭かったような気いするけど」

色々なものが祀られていた上に、崖の中腹だから大して広さがあるわけでなく。そんな、子供が遊べるほどの広さなんてなかったはずだ。

「それは社のとこや。本殿の前は結構広かった」

三者三様の言い方をしつつも、皆の応えは全て同じ。ーー覚えていない。

「私も……。ねぇ、雄大。本当にあったん? 私らそんなとこで遊んどったっけ?」

香は視線を下げた。

「……僕も忘れてたんやけど、あこ行ったらなんやろ、デジャブ言うんかな。そんな感じがしたんや。何処と無く懐かしいゆうんか。……とりあえず、行ってみたらわかると思うんや」

雄大が思わずといったように走り出した。打てば響くなんとやら、だ。

「ゆっちゃん、行き方覚えとんの? さっき猫を追っかけてついたゆうとったけど……」

雄大の動きが一時停止する。見事なストップモーション。雄大はおっそろしい程の方向音痴であるから……。

「はぁ。じゃ、各自日記とかそん時のこと書いてあるもの持ってきて。明日、土曜やし。みんなで行こう」

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